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1940年代 フランス歌手 ポピュラー音楽 アーティスト

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1940年代 フランス アーティスト(歌手一覧)

1940年代 シャンソン

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「フランスアーティスト歌手 一覧 フレンチポップ シャンソン 年代順」(https://aycique.com/france-artists-singers/)

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1940年代 フランス アーティスト

1940年代 フランス 歌手

1940年代(1940s/AtoZ)
Les années 1940

  1. コラ・ヴォケール Cora Vaucaire
  2. ジョーゼット・プラナ Georgette Plana
  3. ジャン・マルコ Jean Marco Years active 1946–1953
  4. ジュリエット・グレコ ( Juliette Greco ) Juliette Gréco
  5. ポール・モーリア Paul Mauriat
  6. イヴ・モンタン Yves Montand

40年代 シャンソン

ジュリエット・グレコ ( Juliette Greco ) Juliette Gréco

la javanais

グレコとマイルスの出会いについては次の動画などもご参考に Miles Davis – A Visit to France (from The Miles Davis Story)

イヴ・モンタン Yves Montand 1945-1991(活動期間)

1945年映画デビュー。
1946年映画『Les Portes de la nuit(意味:夜の門※)マルセル・カルネ監督』主演
※1946当時本邦未公開2014年『枯葉~夜の門~』として初DVD化(2016年マルセル・カルネ監督生誕110年/没20年HDマスターとして再発)

ayCique 支配人
ayCique 支配人

枯葉(フランス語 Les Feuilles mortes)の原曲は、

1945年ハンガリー出身で1930年代からパリでフランス映画音楽などを作曲していた作曲家ジョゼフ・コズマが作曲したローラン・プティ・バレエ団の舞台『Rendez-vous』伴奏音楽が曲としての最初の原曲。

※ジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma ハンガリー語 Kozma József):ハンガリー ブダペスト出身の作曲家。ユダヤ人であったため、1933年にナチス・ドイツを避けてパリに定住。1936年より音楽家としてフランス映画界に進出。1946年にフランスに帰化。1969年フランスで逝去。 ウィキペディア

シャンソンの名曲としての「枯葉」は、
翌1946年にフランスの民衆詩人で映画脚本なども手がけたジャック・プレヴェール (Jacques Prévert)が作詞をした曲が歌として作詞・作曲が作られた初め。

実際に歌われたのは、
1946年マルセル・カルネ監督の映画『枯葉~夜の門~(Les Portes de la Nuit)』挿入歌が初出。

なお、この映画の挿入歌は2つある:
「愛し合う子供たち(Les enfants qui s’aiment)」歌詞はジャック・プレヴェール(スペクタクルコレクション)、音楽はジョセフ・コズマ、演奏はファビアン・ロリス(ストリートシンガー)
「枯葉(Les Feuilles mortes)」作詞:ジャック・プレヴェール(歌詞集)、作曲:ジョゼフ・コズマ、鼻歌:イヴ・モンタン(ディエゴ)とイレーヌ・ジョアヒム、歌声:ナタリー・ナティエ(マロウ)
(参考)フランス語版ウィキペディア- fr.wikipedia-Les Portes de la nuit

ただし、「運命」と名乗る浮浪者役(ジャン・ヴィラール)が奏でるハーモニカとマルーという女性(女優ナタリー・ナティエ)が歌う場面のほうが映画の中では印象的に使われている。

映画(Les Portes de la Nuit)では主演(ジャン・ディエゴ役を演じたイヴ・モンタン(Yves Montand)だが枯葉のメロディを歌うのはわずかに数秒口ずさむ程度。注意しないと見逃すほどだが、しかし貴重なシーン。

「運命」と名乗る浮浪者役(ジャン・ヴィラール)が奏でるハーモニカは前半と後半で2回ある。イヴ・モンタン(Yves Montand)が口ずさむのは前半の場面。浮浪者「運命」が枯葉のメロディをハーモニカで吹き始める。それをレストランで食事をするディエゴ、子供、マルー夫妻ら4人が談笑しながら聞いている。すると、そのメロディの旋律に感心したディエゴ(モンタン)がハミングしながら何やら歌詞を書き留める~というのが前半の枯葉が歌われるシーン。

ちなみに、後半のハモニカは、ディエゴとマルーが2人でダンスホールにいる場面。またどこからともなく聞き覚えのある枯葉の旋律が流れてくる。今度はマルーが歌いはじめる~これが後半の枯葉が歌われるシーン。

冒頭ふれたようにいずれも映画で「枯葉が歌われる」といっても口ずさむ程度のほんのわずかな場面。挿入歌とはいえ映画のプロット的には「運命」を暗示する浮浪者役のジャン・ヴィラールの名演がむしろ印象的かもしれない。だが、映画ではまだ世に知られていなかった枯葉のメロディをさりげなくも主人公二人の記憶をつなぐ演出は、筆者の個人的解釈ながらプルーストの「失われた時を求めて」に登場した架空の作曲家ヴァントゥイユのヴァイオリン・ソナタへの終戦直後のレジスタンスからの社会復帰を模索する貧困状況下のリアリステを投影したカルネのリマージュ(l’image)すなわちそれしかなかったという戦後フランス復興期のイメージの旋律ではなかったか。

映画(夜の門)ではイヴ・モンタン( Yves Montand)はほんの数秒口ずさむ程度。だがその数秒がのちのシャンソン名曲「枯葉」をモンタンが初めて歌ったシーンでもあり、さりげなくもシャンソン史においては戦後まもない1946年の重要なシーンといえるだろう。

1946年当時。戦後間もないフランスで公開された新人俳優イヴ・モンタン(Yves Montand)2作目の主演映画。あいにく当時はフランスの批評家達からの評判も芳しくなく、あまり映画はヒットしなかったそうだ。
「枯葉」の曲は40年代人気歌手グレコがカバーして少しずつ有名曲になる。

イヴ・モンタン(Yves Montand)自身が枯葉をレコードとして発売するのは1949年5月(16thシングル)。
前年1948年に「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」Castella Bob Castella Et Ses Rythmesでタッグを組んだ作曲・指揮者ボブ・カステーリャ(Bob Castella 本名 Maurice-François Castella)を発表した翌年だった。なお、ボブ・カステーリャとは以後イヴ・モンタン(Yves Montand)生涯作品ほぼ全てを共に作り上げる盟友となる。


(備考)1940年代イヴ・モンタン(Yves Montand)ディスコグラフィ(※シングルEPのみ※1stアルバムは1951年)

1940s Yves Montand Discography (Singles & Eps) *1st Album was released 1951:

1945 Dans Les Plaines Du Far-West / Luna Park — Yves Montand Odeon (1st Single)
1947 Mais Qu’est-ce Que J’ai? / Ma Gosse Ma Petite Mome — Yves Montand Odeon (2nd single)
1947 La Légende Du Boogie-Woogie / Moi J’m’en Fous — Yves Montand Odeon (3rd singe)
1947 Blatting Joë / La Grande Cité — Yves Montand Odeon (4th single)
1947 Ainsi Va La Vie / Il Chantait — Yves Montand Odeon (5th single)
1948 Feu De Bois / Clémentine — Yves Montand Odeon (6th singe)
1948 Les Cireurs De Souliers De Broadway / Les Enfants Qui S’aiment — Yves Montand Odeon (7th single)
1948 Maître Pierre / Rien Dans Les Mains Rien Dans Les Poches — Yves Montand Odeon (8th single)
1948 Clopin-Clopant / Jolie Comme Une Rose — Yves Montand Odeon (9th single)
1948 Parce Que Ça Me Donne Du Courage / À Paris — Yves Montand Odeon (10th single)
1948 C’est Si Bon / Vel’ D’ Hiv’ — Yves Montand Odeon (11th single)
1949 Matilda — Yves Montand Odeon (12the single)
1949 Champion Du Monde / Flaner Tous Les Deux — Yves Montand Odeon (13th single)
1949 A Paris / Je Vais A Pied — Yves Montand Parlophone (14th single)
1949 Barbara / Le Peintre, La Pomme Et Picasso — Yves Montand Odeon (15th single)
1949 Les Feuilles Mortes / Et La Fête Continue — Yves Montand Odeon (16th single)
1949 Ce Monsieur La — Yves Montand Odeon (17th single)
1949 Metro / J’ai De La Veine — Yves Montand Odeon (18th single)
(Source: Discogs-Yves Montand *summrised by ayCique auther)



(ちなみに、当時の日本といえば1942年米国映画『カサブランカ』など戦時中のアメリカ映画がやっと日本で公開された年。フランス映画も数本本邦公開されたがフランス本国でもヒットしたとは言えない本作が当時本邦未公開だったのは無論やむをえぬだろう。また、個人的感想ながら、こうした初期作品との関わり方などを調べていくと個人的にも華麗な映画やシャンソン界の大スターというイメージが強かったイヴ・モンタン(Yves Montand)氏だが、伴奏オケ(ボブ・カステーリャ)を生涯ほぼ一貫した男の仁義、そしてのちに華やかなエンターテイナーになるが若いころは後述するようにセ・シ・ボン(C’est Si Bon)のようなダンス曲(当時はFoxtrotと呼称)は自分には合わないといって躊躇した恥ずかしがり屋のエピソードなどを知るにつれ、筆者のイメージはフランスの高倉健さんと呼びたいほどにイヴ・モンタン(Yves Montand)氏の男気を感じてしまうのだ。)

1946年 枯葉 Yves Montand (1946 Les Feuilles mortes/Autumn Leaves- Yves Montand)

1949 Yves Montand – Les Feuilles Mortes ※後年の別バージョン


(セ・シ・ボン(C’est Si Bon)の原曲は1947年7月ニースでアンリ ベッティ(Henri Betti)が作曲1948年8月アンドレ・オルネス(André Hornez )作詞、1947年8月18日にフランスの音楽作詞者作曲者出版者協会(SACEM)に登録。1948年1月18日初演(フランス放送ラジオ番組パリジャン)1948年2月レコード録音・発売「C’est Si Bon」 Jacques Hélian & son Orchestre歌手ジャン・マルコ(Jean Marco)仏コロンビア(Columbia, DF3232)。
その後、2月と5月に別歌手がリリース。

1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」
1948年1月18日初演:ジャン・マルコがジャック・エリアンと彼のオーケストラとともにフランス放送のラジオ局プログラム・パリジャンでこの曲を演奏。
1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」レコード(リリース順)
1)1948年2月原曲;1948年2月レコード録音・発売「C’est Si Bon」 Jacques Hélian & son Orchestre歌手ジャン・マルコ(Jean Marco)仏コロンビア(Columbia, DF3232)
2)1948年2月26日ルシアン・ジュネス(歌手)エミール・プリュオムと彼のオーケストラ
3)1948年5月5日エティエンヌ・シスターズ(歌手)レイモン・ルグランと彼のオーケストラ※このバージョンがヒット
4)1948年5月7日イヴ・モンタン(歌手)ボブ・カステラと彼のオーケストラ

実は本来はイヴ・モンタン(Yves Montand)が最初に歌う予定だった。1947年9月イヴ・モンタン(Yves Montand)に「Mais qu’est-ce que j’ai ?」と「C’est Si Bon」の2曲を提供していたという。1947年10月9 日エトワール劇場でイヴモンタンは「Mais qu’est-ce que j’ai ?」は歌った。しかし、「C’est si bon」は自分のスタイルではないと思って歌わなかったそうだ。その後、1948年5月7日イヴ・モンタンはボブ・カステラと彼のオーケストラとともにこの曲を録音。発売日の日付は不明だが1948年5月8日~5月月末頃までに発売されたと推測される(ODEON 281.936)。
いずれにせよ、結果的に「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」リリース歌手としては4番手
(出典)英語版ウィキペディア(en.wikipedia-C’est si bon

1946 Edith Piaf – La Vie En Rose

1946年のエディット・ピアフ(Édith Piaf)の代表曲「La Vie en rose」(ラ・ヴィ・アン・ローズ)邦題「ばら色の人生」。ピアフ作詞、ルイギ(フランス語版)作曲。

1951 https://youtu.be/rzeLynj1GYM

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