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1960年代 フランス歌手 ポピュラー音楽アーティスト

60年代フランスアーティスト フランス
フランス

1960年代 フランス歌手ポピュラー音楽 アーティスト(歌手一覧)

60年代フランス有名歌手10 +
1 フランス・ギャル (France Gall
2 フランソワーズ・アルディ (Françoise Hardy
3 シルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan
4 ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot
5 ジェーン・バーキン (Jane Birkin
6 ジョニー・アリディ(Johnny Hallyday
7 セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg
8 クロード・フランソワ (Claude François
9 ミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff
10 ミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu

(+) 日本で有名なフランスの歌手や音楽家など
ジャック デュトロン (Jacques Dutronc) 、
ジャン・ジャック・ゴールドマン (Jean-Jacques Goldman
クロード・チアリ(Claude Ciari)、
ジョー・ダッサン(Joe Dassin)、
ピエール・バルー(Pierre Barouh

フランス歌手・ポピュラー音楽アーティスト(7/19)7(英語 7th page)フランス語 7ème page

(関連記事)
「フランスアーティスト歌手 一覧 フレンチポップ シャンソン 年代順」(https://aycique.com/france music singers/)

  1. 1960年代 フランス アーティスト
  2. フランソワーズ・アルディ (Françoise Hardy)
  3. 60年代 イエイエ(yé-yé)フレンチポップス
  4. フランス・ギャル (France Gall)
  5. シルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan)
  6. ブリジット・バルドー
  7. ジェーン・バーキン (Jane Birkin)
  8. ジョニー・アリディ (Johnny Hallyday)
  9. セルジュ・ゲンスブール (Serge Gainsbourg)
  10. クロード・フランソワ (Claude François)
  11. ミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff)
  12. 『Salut les copains』(1962-2006)フランスの音楽雑誌
  13. 60年代イェイェ(Yé-yé)と『salut les copains』系アーティスト
  14. 60年代イェイェ(yé yé)ブームとアイドル
  15. ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc) 「Il est cinq heures, Paris s’éveille」(1968)
  16. 1964年 クロード・チアリ Claude Ciari - 「夜霧のしのび逢い(La playa)
  17. <PR>イェイェ yé yé関連作品
  18. 60年代 シャンソン
  19. 1965年「ラ・ボエームLa bohème」シャルル・アズナブール
  20. 1964年「帰り来ぬ青春」シャルル・アズナブール
  21. 1966年 ミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)
  22. 1967年「君を迎えに来た」ジルベール・ベコー
  23. .Les Champs-Élysées 1969
  24. 60年代 フレンチシネマ
  25. 1966年 『男と女』Un homme et une femme
  26. 60年代 フレンチボッサ
  27. Pierre Barouh – Ce n’est que de l’eau
  28. 60年代 ケルト、ブリトン
  29. 60年代 ビギン
  30. 1969 マラヴォワ(Malavoi)「Nou Pe Pa Kimbe」
  31. 60年代 エレクトロ
  32. Cecil Leuter – Pop Electronique N° 2 (Electronic) (1969)
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1960年代 フランス アーティスト

60年代フランス 歌手(1960s/AtoZ)Les années 1960
・アダモ(Adamo
・バーバラ(Barbara
・クリストフ(Christophe
・クロード・チアリ(Claude Ciari
・クロード・フランソワ(Claude François
・クロード・ヌガロ Claude Nougaro
・ディック・リバーズ Dick Rivers
・エディ・ミッチェル Eddy Mitchell
・エリック・チャーデン Éric Charden
・フランス・ギャル France Gall
・フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy
ジョルジュ・ムスタキ Georges Moustaki
・ジョルジェッテ・ルメール Georgette Lemaire
・ジャック・デュトロン Jacques Dutronc
・ジェーン・バーキン Jane Birkin
・ジャンピエール・フェルランド Jean-Pierre Ferland
・ジョー・ダッサン Joe Dassin
・ジョニー・アリディ Johnny Hallyday
・ジュリアン・クレール Julien Clerc
・サーフ(The Surfs) Les Surfs
・マリー・ラフォレ Marie Laforêt
・ミシェル・ベルジェ Michel Berger
・ミッシェル・デルペッシュ Michel Delpech
・ミシェル・フーガン Michel Fugain
・ミッシェル・ポルナレフ Michel Polnareff
・ミシェル・トール Michèle Torr
・マイク・ブラント Mike Brant
・ナナ・ムスクーリ Nana Mouskouri
・ナネット・ワークマン Nanette Workman
・ニコル・クロワジーユ Nicole Croisille
・ニノ・フェレール Nino Ferrer
・ピエール・バルー Pierre Barouh
・ラファエル Raphaël
・ロベール・シャルルボワ Robert Charlebois
・セルジュ・ゲンスブール Serge Gainsbourg
・セルジュ・ラマ Serge Lama
・セルジュ・レジアニ Serge Reggiani
・シーラ Sheila
・シルヴィ・ヴァルタン Sylvie Vartan

フランソワーズ・アルディ (Françoise Hardy)

Françoise Hardy “Comment te dire adieu” | Archive INA Ina Chansons

(参考動画)Françoise Hardy “Comment te dire adieu”

ひまわりさん
ひまわりさん

60年代のフランスといえば思い出す名曲「さよならを教えて」。
レトロ感もかわいくて素敵ですね。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

パヤパヤのバックの演奏や編曲もついでに録音エンジニアリングもたまらないし。
なかなかこれを超える曲にはめぐり会えないんだよね空。

(追悼)フランソワ・アルディ
2024年6月11日フレンチポップの永遠のミューズ、フランソワ・アルディが逝去。この場をおかりして謹んでお悔やみ申し上げます。

60年代 イエイエ(yé-yé)フレンチポップス

1960年代のフレンチポップやシャンソン、映画音楽など。日本でも今でもファンの多いフランスのポピュラー音楽史のなかでもひときわ輝いていた時代。

日本でも1960年代の洋楽ヒット曲などでおなじみのシルヴィ・バルタンやフランス・ギャルなどのアイドル的女性歌手。フランソワ・アルディなど若き日のユーミンなどにも影響をあたえたフランスの女性SSW。
もちろん男性フランス歌手でも、フランスのロックンロール黎明期から活躍する国民的ロック歌手ジョニー・アルディ、60年代半ば頃からのサイケデリックムーブメントのフランス代表として当時の日本の若者にも支持されたミッシェル・ボルナレフなど。

60年代洋楽シーンでは英国でスウィンギング・ロンドン(Swinging Sixties)、米国で「ブリティッシュ・インヴェイジョン」(British Invasion)とも呼ばれたように、ビートルズに代表される英国ロックバンドが世界のポピュラー音楽シーンに影響を与えた時代。

そんなビートルズも実は世界でブレイクする以前からフランスの『サリュー・レ・コパン(Salut les copains)』の表紙に登場するなど地理的にも隣国で当然関わりもふかかい英国とフランスの音楽シーン。

ここではそんな60年代のフランスのポピュラー音楽で活躍した歌手やミュージシャンなどをご紹介。

60年代のフレンチポップス。

フランス・ギャル (France Gall)

Laisse tomber les filles (Remastered) フランス・ギャル – トピック

1964 France Gall – Laisse tomber les filles

1964年3月フランスギャルデビュー フランス・ギャル(France Gall)は、1964年3月「N’écoute pas les idoles」でデビューしたパリ出身のフランス人女性歌手。
1965年ユーロビジョン有償 1965年イタリアで第10回ユーロビジョン・ソング・コンテスト「Poupée de cire, Poupée de son」で優勝。のち邦題「夢見るシャンソン人形」日本語盤も発売。
1966年6月来日 1966年6月来日公演(ビートルズ来日前)
まさにフランス人形のような可憐ないでたちで60年代イェイェ(yé yé)流行時のフランスの3大女性アイドル歌手のひとりとして日本でもフレンチポップブームを巻き起こした

ひまわりさん
ひまわりさん

フレンチポップの永遠のアイコン!

ayCique 支配人
ayCique 支配人

フランスギャルさんの素晴らしさは私みたいな者がどんな感想を言おうが陳腐な気が。
もうなんだかフランスにフランスギャルさんがいたことは奇跡のようにも思います。合掌。

シルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan)

あなたのとりこ Sylvie Vartan – Officiel

1970年「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」シルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan)

日本でも『ウォーターボーイズ』挿入歌「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」などでおなじみのシルヴィ・バルタン。

ちなみに、一説によると、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」がアイドルの語源説や、バルタン星人の由来は円谷さんがシルヴィ・バルタンのファンだったから、とか諸説ありのエピソードで日本でも大人気。もとは渋いR&Bカバーなどから歌手活動を始めた。いわばフランスの本田美奈子。

(いや美奈子が日本のシルヴィ・バルタンか。本田美奈子さんもはじめデビュー曲候補はアイドルソング(2ndシングル「好きといいなさい」だったのに元々演歌歌手志望だった美奈子さんはかなり渋めの1stシングル選曲だった。)

ブリジット・バルドー

BB

ジェーン・バーキン (Jane Birkin)

バーキン

ジョニー・アリディ (Johnny Hallyday)

フランス語では「H」を発音しないため。それもアリディ?

セルジュ・ゲンスブール (Serge Gainsbourg)

ノーコメント(※ワシはギャルファン)

クロード・フランソワ (Claude François)

クロクロ

ミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff)

シェリー

それにつけても高●氏のトンデモ邦題は…ノーコメント

『Salut les copains』(1962-2006)フランスの音楽雑誌

Salut les copains』とは 1962年から2006年に発行された有名なフランスの音楽バラエティ雑誌。『Salut les copains』同名ラジオ番組からはじまり、1962年頃のフランスでは最初の若者向け雑誌。(※サリュ・レ・コパン(Salut les copains)というフランス語の意味は「やあ仲間たち」※1994年1月号より雑誌名は『Salut!』に変更。)

ジョニー・アリディやヴァルタンからはじまり、フランスギャルやフランソワ・アルディや、マイウェイの元歌(Comme d’habitude)でおなじみのクロクロ(Cloclo)ことクロード・フランソワ。また、日本でもおなじみのクロードチアリさんも在籍したシャンピオン(バンド)など。当時の若者を熱狂させたアイドル的歌手やミュージシャンたちが登場し一世風靡。

この雑誌『Salut les copains』で特集されたのは、60sフレンチポップやイェイェ(Yé-yé)などで活躍していた当時の若手アーティストたち。フランスのポップミュージックやカルチャーに多大な影響を与えた。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

(ちなみに、ビートルズなども世界的な人気が出る前に表紙になるなど60年代半ばのスウィンギング・ロンドンもしくはスウィンギン60s(英語 Swinging Sixties)にも影響はあったはず。)

『Salut les copains』アーティスト

60年代イェイェ(Yé-yé)と『salut les copains』系アーティスト

(備考)60年代イェイェ(Yé-yé)と『salut les copains』系アーティスト

60年代イェイェ(Yé-yé)を支えた『salut les copains』系のアーティスト。イェイェ (yé yé)とひとくちにいっても、50年代末から60年代末までの約10年間には、音楽ジャンルの流行も変遷があり、年ごとのスターやアイドルも登場した。
イェイェ(yé yé)の音楽スタイルは大きく3期に分けられる。
・初期(50年代末~60年代前半)ロックンロール、リズム&ブルース等の米国音楽
・中期(60年代半ば)ガールズ・フレンチポップス。64年「アイドルを探せ」シルヴィ・バルタン、65年「夢見るシャンソン人形」フランスギャル、など。)
・後期(67年頃~60年代末)SSW系フレンチポップス(日本でいえばフォーク、ニューミュージック、サイケやプログレなどのロック)。「さよならを教えて」フランソワ・アルディ、「シェリーに口づけ」ミシェル・ポルナレフ、など。)

さらに、こうした外国文化の影響をうけつつも、全期間をとおしてヒット曲をうんでいる新感覚(?)シャンソン。(クロクロなど)そして、のちにギター一世風靡したクロード・チアリさんなどのミュージシャンやジャズ、ラテン、ポピュラーなどさまざまな音楽スタイルをとりいれたサウンド。などなど。フレンチポップスのアーティストは多士多才。レトロなアートワークやファッションとあわせてフランスのポピュラー音楽の歴史のなかでもひときわ魅力的。(参考リンク)フランス語版ウィキペディア記事(Yé-yé, From Wikipedia, the free encyclopedia

salut les copain

Salut les copains (Les années 60)

Salut les copains – Les années 60 (2)

60年代イェイェ(yé yé)ブームとアイドル

60年代イェイェ(yé yé)ブームはアイドル歌手ともかかわりが深い。ただし、フランスのアイドル歌手はおおむね2つの見方がある。1つは純粋に当時のティーンエイジャーが熱狂するという日本と同様のアイドルブーム。2つめは批判精神旺盛なフランス人らしい冷ややかな目。アイドル(偶像)という語源のとおり虚像を演じる役割を風刺する風潮もあった。ちなみにアイドルの名が浸透したのは1962年からはじまった『アイドルたち(les idoles)』という舞台から。1968年五月革命の頃に映画化され前評判は高かったそうだが映画の封切り直後に五月革命の争乱で映画どころではなくなり自然消滅。この舞台・映画ではまさにそんなアイドル風刺がモチーフだったが、結果的にこのアイドル風刺作品によってアイドルという言葉が浸透していったという。(参考文献『アイドルたち(les idoles)』)

ちなみに、フランスではこの68年五月革命以降、フランスの音楽界ではほとんど「アイドル歌手」という表現はあまり使われなくなったようだ。60年代に元祖アイドル歌手として活動していたシルヴィ・バルタンやフランス・ギャル、フランソワ・アルディらも60年代末から70年代以降は音楽アーティストとしてさまざまな音楽的試みを図り、フランス国内でもいわゆるアイドル歌手とみる向きはメディアも聴衆とも少ない。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

60年代イエイエ(yé-yé)日本では朱里エイコさんも歌ってました

ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc) 「Il est cinq heures, Paris s’éveille」(1968)

Jacques Dutronc “Il est cinq heures Paris s’éveille” | Archive INA Ina Chansons

ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc) 「Il est cinq heures, Paris s’éveille」(1968)
「5時、パリは目覚める」(仮訳)

ジャック・デュトロンはフランスの男性歌手、SSW、ギタリスト、作曲家、俳優。
デュトロンの最も有名なヒット曲は、「Il est cinq heures, Paris s’éveille」、「Le Responsable」、「Les Cactus」など。

面長のイケメン(postアリディ的仏ロッカーだが多分その辺はどうでもいいと思う)

1964年 クロード・チアリ Claude Ciari - 「夜霧のしのび逢い(La playa)

ひまわりさん
ひまわりさん

日本でもおなじみのクロードチアリさんも実はSalut Les Copainの男性アイドルのお一人。きゃーかっこいい(⋈◍>◡<◍)。✧♡

<PR>イェイェ yé yé関連作品

初心者の方にはこうしたコンピCDなど。

amazon.co.jp

ロックな方(とくに永ちゃんファン)にはフランスの矢沢永吉永さんことジョニーアリディの初期から。

50sオールディーズ通の方にはもちろん初期59年から!

(画像はいずれもamazon.co.jp)

その他、ビートルズ世代や60年代半ばのスウィンギン・ロンドン好きの方にはジェーンバーキンつながりでゲンズブールと女たちあたりから。などフレンチポップスファンの皆様と同様、語りだしたら止まらない60年代フランス・カルチャーの魅力。どうぞあなたの好みにあわせてお気に入りのアーティストを再発見してください!ちなみに、「salut les copains」でamazonを検索すればいろいろなアーティストの作品がみれるので、よかったらチェックしてみてください。

60年代 シャンソン

1965年「ラ・ボエームLa bohème」シャルル・アズナブール

Charles Aznavour – La bohème (Official Lyrics Video)

1964年「帰り来ぬ青春」シャルル・アズナブール

1964 hier encore – charles aznavour

ayCique 支配人
ayCique 支配人

こちらは原曲のリマスター版。この「帰り来ぬ青春」は日本で尾崎紀世彦さんや和田アキ子さんなど数々のアーティストにカバーされました。個人的にはなんといってもザ・ピーナッツの「シャボン玉ホリデー」引退時のカバーなどは見るたびに涙腺が。🎁

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1966年 ミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)

Qu’elle est belle Mireille Mathieu Officiel

60年代シャンソンの女性歌手ではミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)が有名。
ミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)は南仏のアヴィニョン出身。
1962年頃から南仏アヴィニョンの地元で演奏活動を開始。
9965年11月19 日テレビ番組「ソング パレード」でピアフ「愛の賛歌」を歌い優勝。
1966年「Qu’elle est belle」Mireille Mathieu(1stシングル、Barclay)でフランス国内デビュー。1966年のパリオリンピア劇場公演。1966年『En Direct De L’Olympia』Mireille Mathieu(1stアルバム)は最初のアルバム(LP)として国内外でも評判に。一躍、仏シャンソン界の新人歌手としてブレイク。

Mireille Mathieu – Mon crédo (Audio) Mireille Mathieu Officiel

1966年「Mon credo」邦題「愛の信条」ミレイユ・マチュー(ポール・モーリア作曲)で日本でもデビュー。60年代フランスのシャンソンのニュースタアとしてシャンソンファンなどから支持を受ける。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

ごく個人的な印象だがミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)はフランスの都はるみさん(?)はて。そのココロは…

ひまわりさん
ひまわりさん

ぐむむ…なんか昔のこと書いてるみたいだけど若い世代にはイミフなのでスルー推奨かも💦
てか曲うんちくより曲を聴くのが一番ネ

(※)個人の感想:アヴィニョンのひばり。南仏オクシタニ。陽のシャンソン。
たんなる個人的印象ながらミレイユのシャンソンはパリのシャンソンとはやや良い意味で異質な気がする。情熱的でダイナミック。オクシタニという南仏のややラテンの文化も薫る土地柄。パリのシャンソンは(もちろん明るい曲もあるが)個人的にはアンニュイで物静かな陰影が魅力に感じるが、ミレイユのシャンソンをパリシャンソンモードのまま聞くとやや大仰で正直疲れている時などはうるさくも感じる。だが、個人的にミレイユを好きになったきっかけの1970年「Pardonne-moi ce caprice d’enfant」(意味:子供じみた気まぐれを許して)に、そうか!ミレイユさんはフランス女性版松崎しげる姐さんか!とひとりごちたとき、個人的に浮かんだイメージは昔旅した南仏のひまわり畑だった(妄想)。

60年代(昭和30年代後半~昭和40年代前半)の日本ではシャンソンの(女性歌手)といえば越路吹雪らなどが活躍した頃。シャンソンの歌唱といっても十人十色のため一概に比較は野暮。さりながらミレイユのダイナミックな歌唱には例えば越路さんのそれを思い浮かべる方もおられるかもしれない。

ただ、これも主観(というか素人の偏見)で恐縮だが、やはり越路さんのダイナミックさはパリのシャンソンのエレガンスが基調のように感じる。ヅカではやや姉御肌できなユニークなエピソードもお持ちの越路さんだがやはり日本のレビュー発祥の宝塚歌劇団の上品さが失われることはないのだろう。

はて。ここはミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)の感想コーナーだが、何を申し上げたいかというと、同じ60年代半頃にデビューした女性歌手の日仏比較という意味では個人的には越路さんより都はるみさんを連想してしまうのだ。むろんシャンソンと演歌は歌唱法も異なる。別にミレイユがこぶしを回しているわけでもなかろう。ただ、なんとなく。「アンコ椿」の溌溂さ、なのか。声量のすごさ、なのか。自分でもよくわからない。

ただ、わかっているのは、同時代の音楽シーンの構図的に、何かしら似たような奮闘ぶりが似ている点。片や日本では猫も杓子もGSやらフォークやら洋楽ブームの嵐のなかで、流行歌が演歌と歌謡曲に分化する60年代半ばの日本。一方のフランスでも上述のとおり60sはイェイェ(yé yé)がブームになり戦後シャンソンも名曲は誕生しているものの若手歌手でシャンソンをやりたい!という人は少なくなってくる時代。そんな状況のなかでの登場の仕方がなんとなく国やジャンルを超えた連想をしてしまう所以。

いずれにせよ、あくまで個人の感想。まさかとは思うがもちろん評論の類ではなく、レビューですらない。たんなる印象。しかも乱暴。日本のシャンソンや流行歌や演歌まで持ち出して、なんのこっちゃ?とシャンソン愛好家にはトーシロがまったく、と噴飯ものだろう。だがもちろんあえて書いている。ええかっこしいのこじゃれたシャンソン批評なんて(ヾノ・∀・`)ムリムリ柄でない。普段はもっぱら歌謡曲でカラオケはほぼ演歌。そんな小生が多少なりともフランスのシャンソンなんぞを紹介するにはむしろ割り切って少しでも親しみを感じていただく。願いはこの1点。ミレイユ・マチュー(Mireille Mathieu)の感想に都はるみさん引用するとかある意味新鮮だべ?・・・おっとこの辺は筆が滑りすぎたのであとで削除するが。とにかくミレイユあたりのややバタ臭いシャンソンはむしろ演歌ファンの方にも聞いていただきたい。松崎しげる兄の「愛のメモリー」をカラオケでうたって1977年三浦友和さんのグリコポッキーCMのリヨン駅到着シーンまで回想したら。その続きのカラオケ選曲オプションに個人的にフランスシャンソン女性版愛メモと思ってるこのミレイユさんの「子供じみた気まぐれを許して」をカタコトふらんす語でがなれば気分はもうリヨンからアヴィニョンと南仏妄想旅行モードに浸れる。

ただ南仏アヴィニョンというミレイユ出身地はひとつ補助線として引いてみると面白いかなと思った次第。(了)

Pardonne-moi ce caprice d’enfant Mireille Mathieu Officiel

1967年「君を迎えに来た」ジルベール・ベコー

Gilbert Bécaud “Je reviens te chercher” 1967 – clip officiel 100% Chanson Française

1967 Gilbert Bécaud “Je reviens te chercher” 1967 – clip officiel

ayCique 支配人
ayCique 支配人

※邦題「君を迎えに来た」(なお、このあたりの邦題はほぼほぼ「朝倉ノニーさんの歌物語」という素晴らしいシャンソンのブログを参考に学ばせて頂いています。この場をお借りして御礼申し上げます。

ひまわりさん
ひまわりさん

2021年のザ・ボイスで優勝した女の子が歌ってたので聞きたくなったんですよね。

🔗2021年のThe VoiceでのAnne Silaさんのカバー歌唱はこちら の記事に掲載。

.Les Champs-Élysées 1969

Joe Dassin – Les Champs-Elysées (Lyrics Video)

ひまわりさん
ひまわりさん

日本ではダニエル・ビダルさんなどのカバーで有名な「オー・シャンゼリゼ( Les Champs Élysées)』は、フランスでは1969年にジョー・ダッサン(Joe Dassin)さんが発表した曲。さらに原曲はイギリスのジェイソンクレスト(Jason Crest)というバンドの『ウォータールー・ロード(Waterloo Road)』という曲だそうです。いずれにせよいつ聴いてもほっとする名曲ですね。

60年代 フレンチシネマ

13 jours en France (Orchestre) · Francis Lai

(参考動画)1968年 / フランシス・レイ / (邦題)「白い恋人たち」
(フランス語)1968 / Francis Lai / 13 jours en France

ひまわりさん
ひまわりさん

歌入りバージョンを聴きたい方はこちらの参考動画が素敵です【フランス語】白い恋人たち (13 Jours en France)

1966年 『男と女』Un homme et une femme

1966年 『男と女』Un homme et une femme

クロード・ルルーシュ監督の名作!映画『男と女』予告編

Nicole Croisille et Pierre Barouh “Un homme et une femme” | Archive INA

60年代 フレンチボッサ

『男と女』をとりあげると個人的にかならずピエールバルーのことを思いだします。サラヴァーレーベルやボヘミアン的生活などフランスの芸能界と距離をおかれていたためフランスの音楽業界とは距離もあったそうですが、バルーさんの60年代フレンチボッサから始まるフランス-ブラジルの親密な友情関係は、個人的にフレンチ音楽の魅力をより輝かせる水脈だと思います。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

(だってブラジルのトロピカリズモ直前にカエターノがパリに亡命したとか、その頃からブラジル人はパリに憧れが生まれて、90年代にロナウジーニョが海外移籍先にまだ弱小だったPSGを選んだとか、そういうブラジル・パリの蜜月関係のきっかけはピエール・バルーさんだかんね(妄想含む)。あともちろん日本でも高橋幸宏さんが1978年の初ソロアルバムで『サラヴァ!』というタイトルをつけたオマージュとか。しかも日本は80年代の新星堂オーマガトキさんさんのおかげでミニマル・アンビエントなどの音楽通ご存じの重要作1982年『Le Pollen』にもつながるわけで。日本のアンビエントは細野晴臣さんなどがパイオニアですが82年日仏の「出会い」も水脈の水源に近い出来事だったかと。日本人の奥様。そして一説ではフランス本国の音楽業界からはやや疎遠だったともいわれるインディーズのパイオニア「サラヴァレーベル」が日本の音楽ファンには支持されるなどの日仏友好という幸運でピエールバルーさんが2016年12月28日に哀しくもお亡くなりになる2カ月前に来日され「ほぼ日」さんが奇跡のインタビューを記録してくださっているという。まったく何て「時空を超えた」日だ!おっと失礼!書きだしたらとまんなくなっちゃった。とりあえずこれ観て!聞いて!

ピエールバルーのフレンチボッサでは1971年のおいしい水のカバーが有名。

Pierre Barouh – Ce n’est que de l’eau

 1971 CA VA.CA VIENT ※2016年コアポート版には1981年シングル(フレンチボッサ「Perdu」)などのボーナストラック入り。

source: amazon.co.jp

SARAVAH 「時空を越えた散歩、または出会い」 ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003~

Source: amazon.co.jp

1997年 Pierre Barouh – Noël

ひまわりさん
ひまわりさん

97年の隠れ名盤『ノエル』では盟友フランシスレイさんのアノ曲をXmasバージョンでカバー。(ちなみにこのアルバムにはアルファべの歌なども入ってるのでフランス語初心者の方向け学習用教材としてもオススメです)

ayCique 支配人
ayCique 支配人

少々文章が乱れてる箇所もあるやもしれませんが、たとえフランス音楽シーンから距離をおかれてたとしても個人的に思い入れの深い方。日本とフランスをつないでくださったピエール・バルーさんはかけがえのないフランスのアーティスト。この場をおかりして心よりご冥福をお祈り申し上げます。

60年代 ケルト、ブリトン

1971 Alan Stivell – Renaissance Of The Celtic Harp – Ys

アラン・スティーヴェル(Alan Stivell)はフランスのケルトハープ奏者。ケルト音楽やブルトン音楽などを60年代から掘り起こし、現代のケルト音楽復興の礎(いしづえ)を築いたパイオニア。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

アラン・スティーヴェル(Alan Stivell)こちらの動画は71年のアルバムですが、60年代の曲を聴いてみたい方は、64年の曲 Abeir Is Me Huagneach などをYouTube等でご視聴ください。初期作品は個人的にとくに好きで癒されます。 。

60年代 ビギン

ビギンとはフランスの海外県マルチニークの伝統音楽。ビギンの伝統音楽を継承しつつ音楽性を発展させているマルチニークの有名なグループにマラヴォワ(Malavoi)などがいる。

1969 マラヴォワ(Malavoi)「Nou Pe Pa Kimbe」

マラヴォワ(Malavoi)はマルチニークの国民的バンド。1969年から活動開始し、80年代のワールドミュージック流行時には日本でも人気に。

マラヴォワの音楽スタイルは、ビギンやマズルカというヴァイオリンなどの弦楽器とカリブのリズムを特徴としたマルティニークの伝統音楽ジャンルを土台にうまくポップやダンスなどの要素をブレンドしたカリビアン・フレンチ・ダンスミュージックといった魅力的なサウンド。

ayCique 支配人
ayCique 支配人

マラヴォワ(Malavoi)はフレンチカリブのなかでもクラシックやポップス寄りなのでいきなりディープなのはちょっとという方や60年代フレンチポップス的サウンド(ストリングスなど)からフランス語圏カリブ音楽も聴いてみようかという方などにおすすめです。(もちろん上品なサウンドのなかにも極上のソネーロ(意訳ですが多分スペイン語で「味わい」)が。とにかくマラヴォワは素敵なグループです!

60年代 エレクトロ

ちょっとマニアックかもしれませんが、最近はフレンチといえばエレクトロの人もおられるでしょうから60年代電子音楽の曲を。1969年フランスとイタリアの電子・実験音楽家のロジャー・ロジャーさんがセシル・ルーターという名で発表した歴史的エレクトロ『Pop Electronique』。(かのクラフトワークのデビュー(1970年)より1年前。ムーグシンセの開発者ボブムーグが初号機を品評会に出した1964年の5年後。)

Cecil Leuter – Pop Electronique N° 2 (Electronic) (1969)

ayCique 支配人
ayCique 支配人

細野晴臣さんやヤン富田さん、90年代モンド系など経由でもご存じかもしれませんが。フランスの電子音楽も歴史は古いようです。

<PR>Cecil Leuter – POP ELECTRONIQUE

(Source) amazon.co.jp / Pop Electronique

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