1940年代 フランス アーティスト(歌手一覧)
1940年代 シャンソン
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「フランスアーティスト歌手 一覧 フレンチポップ シャンソン 年代順」(https://aycique.com/france music singers/)
- 1940年代 フランス アーティスト
- コラ・ヴォケール Cora Vaucaire
- ジョーゼット・プラナ Georgette Plana
- ジャン・マルコ Jean Marco Years active 1946–1953
- ジュリエット・グレコ ( Juliette Greco ) Juliette Gréco
- ポール・モーリア Paul Mauriat
- イヴ・モンタン Yves Montand
- 1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」
- 1946 Edith Piaf – La Vie En Rose
- 「La vie en rose」Marianne Michel
- ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)
1940年代 フランス アーティスト
40年代 シャンソン
コラ・ヴォケール Cora Vaucaire
ジョーゼット・プラナ Georgette Plana
ジャン・マルコ Jean Marco Years active 1946–1953
ジュリエット・グレコ ( Juliette Greco ) Juliette Gréco
ジュリエット・グレコ ( Juliette Greco ) Juliette Gréco
グレコとマイルスの出会いについては次の動画などもご参考に Miles Davis – A Visit to France (from The Miles Davis Story)
ポール・モーリア Paul Mauriat
イヴ・モンタン Yves Montand
イヴ・モンタン Yves Montand 1945-1991(活動期間)
1945年映画デビュー。
1946年映画『Les Portes de la nuit(意味:夜の門※)マルセル・カルネ監督』主演
※1946当時本邦未公開2014年『枯葉~夜の門~』として初DVD化(2016年マルセル・カルネ監督生誕110年/没20年HDマスターとして再発)
枯葉(フランス語 Les Feuilles mortes)の原曲は、
1945年ハンガリー出身で1930年代からパリでフランス映画音楽などを作曲していた作曲家ジョゼフ・コズマが作曲したローラン・プティ・バレエ団の舞台『Rendez-vous』伴奏音楽が曲としての最初の原曲。
※ジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma ハンガリー語 Kozma József):ハンガリー ブダペスト出身の作曲家。ユダヤ人であったため、1933年にナチス・ドイツを避けてパリに定住。1936年より音楽家としてフランス映画界に進出。1946年にフランスに帰化。1969年フランスで逝去。 ウィキペディア)
シャンソンの名曲としての「枯葉」は、
翌1946年にフランスの民衆詩人で映画脚本なども手がけたジャック・プレヴェール (Jacques Prévert)が作詞をした曲が歌として作詞・作曲が作られた初め。
実際に歌われたのは、
1946年マルセル・カルネ監督の映画『枯葉~夜の門~(Les Portes de la Nuit)』挿入歌が初出。
なお、この映画の挿入歌は2つある:
「愛し合う子供たち(Les enfants qui s’aiment)」歌詞はジャック・プレヴェール(スペクタクルコレクション)、音楽はジョセフ・コズマ、演奏はファビアン・ロリス(ストリートシンガー)
「枯葉(Les Feuilles mortes)」作詞:ジャック・プレヴェール(歌詞集)、作曲:ジョゼフ・コズマ、鼻歌:イヴ・モンタン(ディエゴ)とイレーヌ・ジョアヒム、歌声:ナタリー・ナティエ(マロウ)
(参考)フランス語版ウィキペディア- fr.wikipedia-Les Portes de la nuit
ただし、「運命」と名乗る浮浪者役(ジャン・ヴィラール)が奏でるハーモニカとマルーという女性(女優ナタリー・ナティエ)が歌う場面のほうが映画の中では印象的に使われている。
映画(Les Portes de la Nuit)では主演(ジャン・ディエゴ役を演じたイヴ・モンタン(Yves Montand)だが枯葉のメロディを歌うのはわずかに数秒口ずさむ程度。注意しないと見逃すほどだが、しかし貴重なシーン。
「運命」と名乗る浮浪者役(ジャン・ヴィラール)が奏でるハーモニカは前半と後半で2回ある。イヴ・モンタン(Yves Montand)が口ずさむのは前半の場面。浮浪者「運命」が枯葉のメロディをハーモニカで吹き始める。それをレストランで食事をするディエゴ、子供、マルー夫妻ら4人が談笑しながら聞いている。すると、そのメロディの旋律に感心したディエゴ(モンタン)がハミングしながら何やら歌詞を書き留める~というのが前半の枯葉が歌われるシーン。
ちなみに、後半のハモニカは、ディエゴとマルーが2人でダンスホールにいる場面。またどこからともなく聞き覚えのある枯葉の旋律が流れてくる。今度はマルーが歌いはじめる~これが後半の枯葉が歌われるシーン。
冒頭ふれたようにいずれも映画で「枯葉が歌われる」といっても口ずさむ程度のほんのわずかな場面。挿入歌とはいえ映画のプロット的には「運命」を暗示する浮浪者役のジャン・ヴィラールの名演がむしろ印象的かもしれない。だが、映画ではまだ世に知られていなかった枯葉のメロディをさりげなくも主人公二人の記憶をつなぐ演出は、筆者の個人的解釈ながらプルーストの「失われた時を求めて」に登場した架空の作曲家ヴァントゥイユのヴァイオリン・ソナタへの終戦直後のレジスタンスからの社会復帰を模索する貧困状況下のリアリステを投影したカルネのリマージュ(l’image)すなわちそれしかなかったという戦後フランス復興期のイメージの旋律ではなかったか。
映画(夜の門)ではイヴ・モンタン( Yves Montand)はほんの数秒口ずさむ程度。だがその数秒がのちのシャンソン名曲「枯葉」をモンタンが初めて歌ったシーンでもあり、さりげなくもシャンソン史においては戦後まもない1946年の重要なシーンといえるだろう。
1946年当時。戦後間もないフランスで公開された新人俳優イヴ・モンタン(Yves Montand)2作目の主演映画。あいにく当時はフランスの批評家達からの評判も芳しくなく、あまり映画はヒットしなかったそうだ。
「枯葉」の曲は40年代人気歌手グレコがカバーして少しずつ有名曲になる。
イヴ・モンタン(Yves Montand)自身が枯葉をレコードとして発売するのは1949年5月(16thシングル)。
前年1948年に「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」Castella Bob Castella Et Ses Rythmesでタッグを組んだ作曲・指揮者ボブ・カステーリャ(Bob Castella 本名 Maurice-François Castella)を発表した翌年だった。なお、ボブ・カステーリャとは以後イヴ・モンタン(Yves Montand)生涯作品ほぼ全てを共に作り上げる盟友となる。
(備考)1940年代イヴ・モンタン(Yves Montand)ディスコグラフィ(※シングルEPのみ※1stアルバムは1951年)
1940s Yves Montand Discography (Singles & Eps) *1st Album was released 1951:
1945 Dans Les Plaines Du Far-West / Luna Park — Yves Montand Odeon (1st Single)
1947 Mais Qu’est-ce Que J’ai? / Ma Gosse Ma Petite Mome — Yves Montand Odeon (2nd single)
1947 La Légende Du Boogie-Woogie / Moi J’m’en Fous — Yves Montand Odeon (3rd singe)
1947 Blatting Joë / La Grande Cité — Yves Montand Odeon (4th single)
1947 Ainsi Va La Vie / Il Chantait — Yves Montand Odeon (5th single)
1948 Feu De Bois / Clémentine — Yves Montand Odeon (6th singe)
1948 Les Cireurs De Souliers De Broadway / Les Enfants Qui S’aiment — Yves Montand Odeon (7th single)
1948 Maître Pierre / Rien Dans Les Mains Rien Dans Les Poches — Yves Montand Odeon (8th single)
1948 Clopin-Clopant / Jolie Comme Une Rose — Yves Montand Odeon (9th single)
1948 Parce Que Ça Me Donne Du Courage / À Paris — Yves Montand Odeon (10th single)
1948 C’est Si Bon / Vel’ D’ Hiv’ — Yves Montand Odeon (11th single)
1949 Matilda — Yves Montand Odeon (12the single)
1949 Champion Du Monde / Flaner Tous Les Deux — Yves Montand Odeon (13th single)
1949 A Paris / Je Vais A Pied — Yves Montand Parlophone (14th single)
1949 Barbara / Le Peintre, La Pomme Et Picasso — Yves Montand Odeon (15th single)
1949 Les Feuilles Mortes / Et La Fête Continue — Yves Montand Odeon (16th single)
1949 Ce Monsieur La — Yves Montand Odeon (17th single)
1949 Metro / J’ai De La Veine — Yves Montand Odeon (18th single)
(Source: Discogs-Yves Montand *summrised by ayCique auther)
(ちなみに、当時の日本といえば1942年米国映画『カサブランカ』など戦時中のアメリカ映画がやっと日本で公開された年。フランス映画も数本本邦公開されたがフランス本国でもヒットしたとは言えない本作が当時本邦未公開だったのは無論やむをえぬだろう。また、個人的感想ながら、こうした初期作品との関わり方などを調べていくと個人的にも華麗な映画やシャンソン界の大スターというイメージが強かったイヴ・モンタン(Yves Montand)氏だが、伴奏オケ(ボブ・カステーリャ)を生涯ほぼ一貫した男の仁義、そしてのちに華やかなエンターテイナーになるが若いころは後述するようにセ・シ・ボン(C’est Si Bon)のようなダンス曲(当時はFoxtrotと呼称)は自分には合わないといって躊躇した恥ずかしがり屋のエピソードなどを知るにつれ、筆者のイメージはフランスの高倉健さんと呼びたいほどにイヴ・モンタン(Yves Montand)氏の男気を感じてしまうのだ。)
1946年 枯葉 Yves Montand (1946 Les Feuilles mortes/Autumn Leaves- Yves Montand)
1949 Yves Montand – Les Feuilles Mortes ※後年の別バージョン
1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」
上のイヴ・モンタン(Yves Montand)のご紹介で「セシボン(C’est si bon)」というシャンソンの有名曲にふれたので、こちらの原曲などをご紹介しておこう。
セ・シ・ボン(C’est Si Bon)の原曲は1947年7月ニースでアンリ ベッティ(Henri Betti)が作曲1948年8月アンドレ・オルネス(André Hornez )作詞、1947年8月18日にフランスの音楽作詞者作曲者出版者協会(SACEM)に登録。1948年1月18日初演(フランス放送ラジオ番組パリジャン)1948年2月レコード録音・発売「C’est Si Bon」 Jacques Hélian & son Orchestre歌手ジャン・マルコ(Jean Marco)仏コロンビア(Columbia, DF3232)。
その後、2月と5月に別歌手がリリース。
1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」
1948年1月18日初演:ジャン・マルコがジャック・エリアンと彼のオーケストラとともにフランス放送のラジオ局プログラム・パリジャンでこの曲を演奏。
1948年「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」レコード(リリース順)
1)1948年2月原曲;1948年2月レコード録音・発売「C’est Si Bon」 Jacques Hélian & son Orchestre歌手ジャン・マルコ(Jean Marco)仏コロンビア(Columbia, DF3232)
2)1948年2月26日ルシアン・ジュネス(歌手)エミール・プリュオムと彼のオーケストラ
3)1948年5月5日エティエンヌ・シスターズ(歌手)レイモン・ルグランと彼のオーケストラ※このバージョンがヒット
4)1948年5月7日イヴ・モンタン(歌手)ボブ・カステラと彼のオーケストラ
実は本来はイヴ・モンタン(Yves Montand)が最初に歌う予定だった。1947年9月イヴ・モンタン(Yves Montand)に「Mais qu’est-ce que j’ai ?」と「C’est Si Bon」の2曲を提供していたという。1947年10月9 日エトワール劇場でイヴモンタンは「Mais qu’est-ce que j’ai ?」は歌った。しかし、「C’est si bon」は自分のスタイルではないと思って歌わなかったそうだ。その後、1948年5月7日イヴ・モンタンはボブ・カステラと彼のオーケストラとともにこの曲を録音。発売日の日付は不明だが1948年5月8日~5月月末頃までに発売されたと推測される(ODEON 281.936)。
いずれにせよ、結果的に「セ・シ・ボン(C’est Si Bon)」リリース歌手としては4番手
(出典)英語版ウィキペディア(en.wikipedia-C’est si bon)
1946 Edith Piaf – La Vie En Rose
1946年発表「La Vie en rose」(ラ・ヴィ・アン・ローズ)邦題「ばら色の人生」はエディット・ピアフ(Édith Piaf)の代表曲。
1946年(1946年10月9日録音)「La Vie en rose」Édith Piaf(作詞:エディット・ピアフEdith Piaf、作曲:ルイギーLouiguy、指揮:ガイ・ルイパート Guy Luypaerts、コロンビア)
1936年デビューしたエディット・ピアフの中期代表曲
1930年代の記事🔗でご紹介したとおり、1936年にデビューしたピアフだが多くのシャンソンファンの方の印象のとおりブレイクは戦後復興期の1940年代後半。
1940年代はフランスでも第2次世界大戦中はナチスドイツの支配下にあり戦火に苦しみレジスタンスなどの抵抗運動などを経てパリが解放された。あいにく当時の日本とフランスは敵国状態ではあったが1940年代終戦後に戦後復興期を迎えたという社会情勢には(当時の政治的責任等には言及したくない後追い世代ではあるが)共感したい。
1946年に発表されたこのピアフのシャンソンは、当時の日本でも戦後復興期の社会的混乱のなかで1946年1月発売「リンゴの唄」並木路子・霧島昇がそうであったように、大いに当時の人々の心を温めたことだろう。
さて、このシャンソンの大名曲「ラ・ヴィアンローズ(La vie en rose)」だがそうした時代的背景もこれありだが、本来の歌の内容としてはまさに純愛の喜びを歌ったラブソングである。シャンソンファンご承知のとおり当時のピアフは若き新人歌手・俳優のイヴ・モンタン( Yves Montand)との蜜月期にあり、いまだ経済的には困難もあったろうがやっと自由な社会が戻り素直に恋の喜びを歌う姿は時代を超えて人々に愛されるゆえんの核心部分なのかもしれない。
※ちなみに発表時期については諸説あったようだが少なくとも英語版ウィキペディアの1947年発表という記載は誤り。フランス語版ウィキペディアでは、曲の最初の公表時期1945年11月5日(La Vie en rose: ils déclarent la chanson à la Sacem le 5 novembre 1945)にフランスの音楽作詞者作曲者出版者協会(Society of Authors, Composers and Publishers of Music(SACEM)に登録されたとの記述もある。ただフランスでの一般的な公表時期はピアフの歌唱曲が最初に録音された1946年10月9日(コロンビアスタジオ)と1946年発売年(月日は不詳)を根拠に1946年公表ということがラジオフランスなどの公共放送などでの一般的な見解とされている。2024年1月1日から再度著作権が発生し云々とのニュースもあったそうだがここでフランス側が公式に1946年公表という見解をしめされているので1946年発表ということでよいだろう。
(さらに深堀すると、ピアフの発表前に当時曲作りを手伝っていたマルグリット・モノー(Marguerite Monnot)という女性ソングライターもいる。彼女はクレジットに登場はしないがこの曲の誕生に助言をした友人のひとりとされている。
(参考動画2)Edith Piaf – La vie en rose (Officiel) [Live Version]Edith Piaf Officiel:Au cours de l’émission “La joie de vivre”, Edith Piaf interprète “La vie en rose”, le 4 mars 1954.
(※)こちらの動画は1954年5月4日のライブ映像。こちらはピアフさんの公式YouTubeチャンネル(Edith Piaf Officiel)で公開。その他の貴重な音源もあるのでどうぞご覧を。
「La vie en rose」Marianne Michel
1946年/1947年発売(1946年11月18日録音)「La vie en rose」Marianne Michel(Odeon 281.762)について。
また、マリアンヌ・ミシェル(Marianne Michel)という女性歌手が発表したオデオン盤も残されている。
このマリアンヌ・ミシェル盤についても諸説ありで一部ではピアフが発表する前にパリのミュージックホールで歌っていた(フランス語ウィキペディア引用:Édith Piaf, déjà célèbre, ignore cette chanson plusieurs mois, puis la donne en primeur à Marianne Michel, qui la popularise dans les music-halls parisiens, avant de l’enregistrer le 18 novembre 1946 aux Odeon, deux mois avant l’enregistrement d’Édith Piaf.)といった逸話もある。
1946年「La Vie En Rose / La Femme En Rouge」Marianne Michel(Label: Odeon 281.762
Format:Shellac, 10″, 78 RPM) https://www.discogs.com/release/19751413-Marianne-Michel-La-Vie-En-Rose-La-Femme-En-Rouge。さらにYouTubeでは1945年発表?といった投稿もされている。
冒頭に記載した通り一般的にはピアフがコロンビアに録音した1946年10月9日の約一か月後の1946年11月18日にオデオンで録音された、というのがおおむね通説だろう。
ただ、当時のレコードで悩ましいのが発売日の記録があやふやな点。日本でもそうだがシュラック盤やSP盤の時代は発売日のクレジットが不明瞭でよくても発売年がざっくり書かれている程度。より厳密な調査はODEONとコロンビアの当時のレコード番号を突き合わせて発売日を同定する作業が必要となるがこれは無論小生のような別にそこまでレコードコレクターではない輩が行うことではない(面倒)。そんな杞憂をせずともフランス本国にはINAやSACEMといった優れた文化機関があるのでそれらの検証によるウィキペディアのリライトなどに期待したい。(また老婆心ながら日本では当然著作権管理団体が確認する事項だろう。)ここではとりあえず行きがかり上フランス語版ウィキペディアなどを閲覧したメモとして記載したがあくまで個人ブログの落書きである点はお断りさせていただく。
いずれにせよ、フランスのシャンソンを代表する名曲「ラヴィアンローズ」。その誕生には様々な逸話や想像が飛び交うこと自体多くの愛好家の興味が注がれてきた。
この辺りは諸説ありということかと思う。もし詳しく調べたい方はフランス語版ウィキペディアの記事(https://fr.wikipedia.org/wiki/La_Vie_en_rose)🔗やDiscogs(Edith Piaf – La Vie En Rose, Label: Columbia – ESRF 1051)などの資料をご確認されたい。
ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)
ジルベール・ベコーはフランスの歌手・作曲家・ピアニスト・俳優。
活動期間 1947年 – 2001年。パリのオランピア劇場で33回も公演し、その精力的なパフォーマンスから「ムッシュ10万ボルト」と言われた。 (参考リンク)ウィキペディア-ジルベール・ベコー
(※)などと紹介されることが多いが個人的な印象で申せばフランスの松崎しげる兄と布施博さんを足したような印象。情熱的でときにちょっとHなチャーミングさもありながらとんでもない名曲を残されている。60年代以降のヒット曲が多いがキャリアは40年代からというフランスを代表する国民的男性シャンソン歌手のひとり。
「Je reviens te cherche」ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)
ジルベールベコーの代表作といえばウィキペディアにもあるように「ナタリー (Nathalie)」と「そして今は (Et Maintenant)」などのヒット曲もあるが、個人的にもフランス人の好きなベコーの曲といえばなんといっても
1967年「Je reviens te cherche」ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)
(参考記事)「君をむかえに来たJe reviens te chercher」朝倉ノニーの<歌物語>
当ブログでも別記事でふれているが最近のザ・ボイス(フランス版)(The Voice:La Plus Belle Voix – TF1)でも若い歌手がカバーするなど国民的なシャンソンとして人気。
(関連記事)「フランス最新ヒット曲や人気の歌の見つけ方」