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スペインの歴史年表

スペイン

スペインの歴史年表

(紀元前イベリア半島)
紀元前3000年 – 古代イベリア人定住

紀元前1000年 – ケルト系勢力南下。先住古代イベリア人と融合。ケルティベリア人。

紀元前227年 – カルタゴのハスドルバル・バルカがカルタゴ・ノウァ(現カルタヘナ)建設。フェニキア人入植開始。
紀元前201年 – 第二次ポエニ戦争。カルタゴは共和政ローマに敗戦。イベリア支配権が共和政ローマに奪われる。

1世紀



98年 – イベリア出身ローマ貴族トラヤヌスがローマ皇帝に即位

4世紀


375年頃 – ゲルマン人が民族大移動を行い、それにより西ゴート族がフン族に圧迫され南下。

5世紀


415年 – 西ゴート王国建国。フランス南部のトロサ(現トゥールーズ)に都する。

6世紀


560年 – 西ゴート王国、トレドに遷都。
585年 – 西ゴート王国、現ガリシアにあったスエビ王国を併合する。

8世紀


716年 – ウマイヤ朝アンダルス太守の支配が始まる。
722年 – コバドンガの戦いでペラーヨがイスラム軍を破り、オビエドを首都とするアストゥリアス王国を建国(レコンキスタの始まり)。
732年 – ウマイヤ朝、フランク王国とのトゥール・ポワティエ間の戦いに敗北。
756年 – アブド・アッラフマーン1世、コルドバで後ウマイヤ朝建国。

9世紀


813年 – 伝説ではサンティアゴ・デ・コンポステーラで聖ヤコブの墓が発見されたとされる。
824年頃 – イニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こしてナバーラ王国を建国。


858年 – アストゥリアス王国内にカスティーリャ伯領成立。

10世紀


912年〜961年 – アミール(後カリフ)・アブド・アッラフマーン3世によるイスラム文化最盛期。
914年 アストゥリアス王国、レオン遷都→レオン王国(レオン・アストゥリアス王国)。

961年 – カスティーリャ伯領、レオン・アストゥリアス王国より事実上独立。

11世紀


1029年 – ナバーラ王国のサンチョ3世がカスティーリャ伯領を併合。その後レオン王国から領土を得る。

1031年 – 後ウマイヤ朝断絶し、分裂王国時代になる。
1035年 – ナバーラ王国のサンチョ3世が死去し、領土が4王子に分割相続され、アラゴン王国、カスティーリャ王国が独立する。
1037年 – カスティーリャ伯フェルナンド1世、レオン王ベルムード3世を倒し、カスティーリャ=レオン王国を建国。


1085年 – カスティーリャ王アルフォンソ6世がトレドを征服する。
1086年 – モロッコのムラービト朝君主のユースフがサグラハスの戦いでアルフォンソ6世を破り、以後アル=アンダルスを支配(1090年 – 1146年)。

12世紀


1118年 – アラゴン王国、サラゴサを占領し首都とする。
1146年 – モロッコのムワッヒド朝、アンダルシアを支配(1146年 – 1224年)。
12世紀後半 – アラゴン王国のテルエルにムデハル建築が作られ始める。

13世紀


13世紀初頭 – ブルゴスに大聖堂が着工される(完成までに3世紀かかる)。
1212年 – カトリック諸王国連合軍、ムワッヒド朝軍をナバス・デ・トロサの戦いで破る。
1224年 – ムワッヒド朝滅び、アル・アンダルスに小王国分立。
1238年 – ナスル朝成立(首都グラナダ)。アルハンブラ宮殿が造られる。
1251年 – カスティーリャ王国、ナスル朝を除いてイスラム小王国をすべて併合。

14世紀

15世紀

1400年代
1410年代

1415年ポルトガルがセウタ占領(セウタ:北アフリカジブラルタル海峡に面した港湾都市)★大航海時代の始まり★1648年大航海時代終了(※増田先生説)(参考)ウィキペディア-大航海時代(冒頭部分)


1420年代
1430年代
1440年代
1450年代
1460年代
1470年代
1479年 – カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚し、イスパニア王国が成立する(実質はカスティーリャ女王とアラゴン王が結婚したことによる王国の連合)。

1477年春以降ポルトガルにコロンブスが上陸(8年間ポルトガル滞在)
1480年代

1485年ポルトガルのリスボンからコロンブスが出航(海路)から去る
1485年~1486年4月頃スペインのパロスにコロンブスが上陸

1486年5月1日コルドバでイサベル1世がコロンブスと謁見


1490年代


1492年 – イスパニア王国がグラナダを陥落させてナスル朝滅び、イスパニア統一完成。イサベル1世とフェルナンド2世はローマ教皇より「カトリック両王」の称号を受ける。
1492年4月17日「サンタフェ契約」★スペインの大航海時代の始まり(※諸説あり)スペイン南部グラナダ郊外サンタ・フェでスペイン王室がコロンブスと「サンタフェ契約」を締結。
1492年8月3日スペインのウェルバ地方パロス港からインディアを目指して大西洋へ出航(コロンブス 第1回航海出発(~1493年3月15日)

(コラム)1492年スペインの大航海時代の始まり(補足)
1492年に始まるスペインの大航海時代。
具体的にいつ(何年何月何日)を始まりの日とするかはおもに2つの説が考えられるだろう。
1492年4月17日「サンタフェ契約」締結日★
1492年8月3日コロンブスがスペインから出航した日
★筆者の見解としては、やはり締結日が起点と考える。これは内在論的にもそれまでスペイン王室でもコロンブス支援には懐疑的だった方針が転換された歴史的にも大きなターニングポイントだと考えるため。
★★サンタフェ締結時の歴史ドラマ:なお、1492年4月頃までコロンブスはスペイン王室の反対を受けておりまさにスペインを離れてフランスへ旅立った直後だったという逸話。1485年から1486年頃スペインにコロンブスが上陸してからサンタフェ契約まで約6年間はウィキペディア-コロンブスを参照)

1492年10月11日アラワク族インディアンが居住していた島をピンタ号の水夫が発見(※「新大陸」発見)

1492年10月12日アラワク族インディアンの島(現在のバハマ諸島グァナハニ島)にコロンブスらが上陸。アラワク族はコロンブス一行を歓待。

サン・サルバドル島(San Salvador Island)の地図

1492年10月12日アラワク族とコロンブス一行:

(場所)カリブ海北東部(西インド諸島バハマ)サン・サルバドル島(San Salvador Island)英名ワトリング島(英語 Watling’s Island):コロンブス一行の船夫が船上から「新大陸」を発見した翌日に最初に上陸した島。

コロンブス一行はアラワク族インディアンたちから歓待を受ける。
アラワク族は船から上がったコロンブスたちに水や食料、オウム、綿の玉、槍、その他珍しい贈り物を贈呈。

コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換。

しかしコロンブスの興味はただ黄金のみだった。

コロンブスらはこの島で略奪行為を行う。
1492年アラワク族が居住していた島はコロンブス一行により占領。
コロンブスはサン・サルバドル島(San Salvador Island)と命名。

15世紀末まで、キューバ島にはアラワク系タイノ族、シボネイ族、カリブ族など約3民族以上の先住民が暮らしていた。

1492年10月26日まで頃のキューバ島先住民:
・アラワク族系タイノ族(南米ギアナ地方からカリブ海を渡航しキューバ島に到着)
・シボネイ族
・カリブ族

1492年10月27日キューバ島をコロンブスらが発見。


1492年10月28日 キューバ島着

スペイン人によるキューバ島征服開始

キューバ島先住民はコロンブスらから「インディオ」(インド人)と呼ばれた。

1492年12月6日イスパニョーラ島到達

キューバ島先住民はスペイン人支配されたイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)から逃れてきたアトゥエイに指導されスペイン人への抵抗を続けた。

イスパニョーラ島の地図

ここを「フアナ島」と名づけたあと※どこ?
ピンタ号船長マルティン・アロンソ・ピンソンの独断によりピンタ号が一時離脱


1492年12月24日サンタ・マリア号座礁。
・座礁したサンタマリア号船廃材を利用し要塞を建造。
・アメリカ大陸におけるスペイン初の入植地を造る(39名男性残留)。


1493年1月6日ピンタ号再合流
1493年1月16日スペインへ帰還船


1493年3月15日スペインのパロス港帰船

1493年9月25日 第2回航海出発( – 1496年6月11日)


1494年6月7日 トルデシリャス条約によりスペインとポルトガルの境界線画定


1498年8月 サント・ドミンゴ市の建設
1498年5月30日 第3回航海出発( – 1500年10月)


1502年5月9日 第4回航海出発( – 1504年11月7日)


1503年2月14日 スペイン、植民地との貿易を統括する通商院をセビリャに設置
1503年12月20日 エンコミエンダ制、イスパニョーラ島で公認


1505年イスパニョーラ島に黒人奴隷導入

スペイン植民地時代
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照

1511年キューバ島はスペインのベラスケスが率いる遠征隊によって征服された。
その後も散発的な抵抗が続いた。
植民地化
★いつ?★キューバ島先住民は、スペイン人による虐殺・虐待・強制労働・疫病によりそのほとんどが絶滅。

1591年のキューバとフロリダ半島の地図

16世紀

1500年代
1510年代
1516年 – ハプスブルク家のカール大公がスペイン王カルロス1世として即位。スペイン・ハプスブルク朝の開始。
1519年 – カルロス1世、神聖ローマ皇帝としても即位(カール5世)。ハプスブルク家の全盛時代を迎える。
1520年代
1530年代
1538年 – オスマン帝国にプレヴェザの海戦で敗れる。
1540年代
1550年代
1556年 – フェリペ2世即位( – 1598年)。“太陽の没することなき帝国”
1560年代
1561年 – フェリペ2世、トレドからマドリードへ遷都。
1568年 – ネーデルラントで反乱が起こる。八十年戦争の始まり( – 1648年)。
1570年代
1580年代
1580年 – フェリペ2世、ポルトガル王も兼ねる。ポルトガル王としてはフィリペ1世。
1588年 – アルマダの海戦で無敵艦隊がイングランドに敗れる。スペイン・ハプスブルク朝の衰退が始まる。
1590年代

17世紀

1600年代
1610年代
1620年代
1630年代
1634年 – 三十年戦争に参戦するが、西仏戦争の勃発や八十年戦争の激化により、得るところもなく敗れる。
1640年代
1640年 – ポルトガル革命勃発。ポルトガル王政復古戦争始まる( – 1668年)。
1648年 – 三十年戦争の講和条約、ミュンスター条約でオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の独立を正式に承認する。
1650年代
1659年 – フランスとピレネー条約を締結。
1660年代
1670年代
1680年代
1690年代

18世紀

1700年代
1700年 – ハプスブルク家に代わりブルボン家のフェリペ5世が即位。しかしオーストリア・ハプスブルク家、イギリスの反発を受ける。
1701年 – スペイン継承戦争始まる( – 1713年)。

1710年代
1720年代
1730年代
1740年代
1740年 – オーストリア継承戦争に参戦( – 1748年)。

1750年代


1756年 – 七年戦争に参戦( – 1763年)。
1759年 – カルロス3世即位( – 1788年)。スペインの中興。

1760年代
1770年代
1780年代
1790年代

19世紀

1800年代
1803年 – ナポレオン戦争勃発。
1805年 – トラファルガーの海戦。
1807年 – ナポレオンの大陸封鎖令にスペインも参加する。
1808年 – ナポレオン1世の侵攻を許す。カルロス4世退位、代わってナポレオンの兄ジョゼフが即位(ホセ1世)。カタルーニャはフランス帝国の直轄地になる。スペイン人が反発、スペイン独立戦争が始まる。このときに、新大陸の植民地にも独立の動きが生じる。

1810年代


1814年 – ホセ1世退位。ブルボン家のフェルナンド7世が国王に即位。

1820年代


1820年1月 – スペイン立憲革命が起こる。自由主義勢力がスペインの絶対王政を倒し、一時革命政府を樹立する。この混乱期に中南米の植民地が相次いで実質的な独立を達成することになった。→ アメリカ大陸諸国の独立年表

1830年代


1833年10月 – カルリスタ戦争が起こる。

1860年代


1868年9月 – 九月革命(スペイン語版)。

1870年代
1873年2月 – 第一共和政成立。
1874年1月 – 王政復古。

1880年代

1890年代


1898年 – 米西戦争。パリ条約でアメリカ合衆国と講和条約を締結する(スペイン帝国の終焉)。

20世紀

1900年代

1910年代

1920年代

1930年代
1931年4月 – 第二共和政成立。
1936年7月 – スペイン内戦。
1937年4月 – ゲルニカ空爆。
1939年
4月 – スペイン内戦終結。フランコ独裁成立。
第二次世界大戦が勃発するが、スペインは参戦せず。

戦後


1945年 第二次世界大戦終結。戦後設立された国際連合はスペインをファシストの国として排除。

1950年代


1955年 – 国際連合加盟。

1970年代


1975年11月 – フランシスコ・フランコ死去。フアン・カルロス1世が国王に即位、独裁は終焉。
1977年 – 総選挙実施。
1978年 – 新憲法承認、立憲君主制に移行。

1980年代


1981年 – 陸軍はクーデターで王政復古を試みるも、国王はこれを拒否。
1982年 – NATOに加盟。FIFAワールドカップ開催。
1986年 – ECに加盟。

1990年代


1992年 – バルセロナオリンピック開催。

21世紀

2000年代
2002年 – ホセ・マリア・アスナール首相イラク戦争を非常任理事国として支持。
2004年 – マドリードで列車爆破事件発生。総選挙でイラク撤退を唱える左派が勝利。ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権が成立。
2008年 – スペイン不動産バブル崩壊。
2008年 – 総選挙で右派が勝利。マリアーノ・ラホイ・ブレイ政権が成立。

2010年代


2011年 – 15-M運動(スペイン語版)が始まる。
2011年 – リビアへの軍事攻撃に参加。
2014年 – フェリペ6世即位。
2015年 – 総選挙で与党が過半数割れして組閣が難航。再度の総選挙が2016年6月26日に実施予定。
カテゴリ: 
スペインの歴史

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