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「Le Gerny’s」エディット・ピアフが歌手活動を始めたパリのナイトクラブ

ジャポン

Le Gerny’s とは、パリ 8 区シャンゼリゼ地区のフランソワ イエール通りとの交差点、ピエールシャロン通り54 番地にあったかつてのパリのナイトクラブの名前。

すでに閉鎖してはいるが、このナイトクラブ「Le Gerny’s」はシャンソン歌手として世界的に有名なエディット・ピアフが歌手デビューを果たした場所としてよく知られている。

「Le Gerny’s」オーナー兼ディレクターのルイ・ルプリー(Louis Leplée)がパリの路上で彼女(本名エディット・ジョヴァンナ・ガション(Édith Giovanna Gassion)が歌っているところをみいだす。

ルブリーは小柄な彼女(エディット)にラ・モーム・ピアフ(La Môme Piaf)※意味小さなスズメ(The Little Sparrow)という芸名をあたえステージに出演を依頼。

ナイトクラブといっても大衆的な店。ピアフ自身も当時は人前に出るのが苦手。デビュー前のピアフの逸話には諸説あるようだ。

1935年10月頃に彼のクラブで演奏していたときは一晩あたり40フランほどの給料をもらっていたとのこと。

なお、その後オーナーは非業の死を遂げる。当時はピアフにも警察の県議がかかり、その後釈放。こうして路上での歌手活動、デビュー当時のトラブルなど、苦労をへてのちに国民的歌手として羽ばたいていく。

1936年映画『』で歌手役として銀幕デビュー。映画でも挿入歌「」を歌う。
1936年発売「」(1stシングル、Polydor)
以後、さまざまなシャンソン名曲を発表。
1940年代にはフランスの国民的シャンソン歌手として有名に。

いずれにせよ、この場所「Le Gerny’s」跡地のパリの8区ピエールシャロン通り54番地には、デビュー前の下積み期間の若きピアフのさまざまな想い出がつまっていたことだろう。

現在は一般的なパリの路地となっている交差点付近。この何気ないパリの街角はそんな日本でも有名なフランス国民的歌手エディットピアフ誕生の歴史が刻まれた場所。

シャンソン好きのパリでしかできない観光にもおすすめ。

ちなみに、現在、このピアフゆかりの地の近くには「シャトー フロンテナック(Chateau Frontenac)」というホテルがあるとのこと。

もしフランス観光でパリでしかできない経験やピアフ聖地巡りなどの音楽をテーマにしたモデルプランお考えの方はぜひ同ホテルのご利用を検討されてはいかが?

なお、ホテル「シャトーフロンテナック(Chateau Frontenac)」は日本人観光客のみなさまおなじみのHISなどでも取り扱っているとのこと。(以下にリンク)

<PR>HIS「シャトーフロンテナック(Chateau Frontenac)」リンク

地図(54 rue Pierre-Charron paris france)

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