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ラテンアメリカの歴史(中南米カリブ年表)

古代ラテンアメリカ地図 ラテンアメリカ
ラテンアメリカ
ラテンアメリカ地図



この記事では、約6億年前のラテンアメリカ大陸形成期から、約6万年前までのラテンアメリカ人類史、約6万年前から約6千年前までの先史時代ラテンアメリカ史、約6千年前から5世紀までの古代ラテンアメリカ史、6世紀から15世紀の中世ラテンアメリカ史、15世紀から18世紀の近世ラテンアメリカ史、19世紀から現在の近現代ラテンアメリカ史まで、ラテンアメリカ全体の通史を概観する。(なお、時期や時代区分には諸説あり。個人的見解を含む。)

ラテンアメリカ歴史(私案)
目次
第1章. 約6億年前:ラテンアメリカ大陸史(地球史・生物史)
第2章. 約700万年前~約6万年前:ラテンアメリカ人類史
第3章. 約6万年前~約6千年前:先史時代ラテンアメリカ史
第4章. 約6千年前~5世紀:古代ラテンアメリカ史
第5章. 6世紀~15世紀:中世ラテンアメリカ史
第6章. 15世紀末~18世紀:近世ラテンアメリカ史
第7章. 19世紀~現在:近現代ラテンアメリカ史

約6億年前ラテンアメリカ大陸史(地球史・生物史)

(前史・地球史)
約46億年前地球誕生
約40億年前大陸誕生
(中略)

※約46億年前地球誕生。約40億年前大陸誕生以後、数十億年の間、様々な大陸が移動し、超大陸などが合併・分離。
(中略)※地球全体でみれば、約33億年前バールバラ大陸、約27億年前ケノーランド超大陸、約21億年前コロンビア超大陸・ヌーナ大陸、約10億年前ロデニィア超大陸など、様々な超大陸の出現(合併・分離)があった。(参考)超大陸supercontinent (wikipedia)

約6億年前パノティア(Pannotia)

約6億年前パノティア(Pannotia)(参考動画)History of the Earth by Algol
※約6億年前から再生(https://youtu.be/Q1OreyX0-fw?si=BIrz_AiQwpCn1zLQ&t=577)

※約6億年前には、南半球では、パノティア大陸(Pannotia)やゴンドワナ大陸など、現在のアフリカ大陸や南アメリカ大陸、南極などをふくむ超大陸があった。
約3億年前にパンゲア超大陸が誕生。
約2億年前にパンゲア超大陸が分裂。ゴンドワナ大陸が再形成。
1億3500万年前ゴンドワナ大陸(第2期)分裂(南アメリカプレート形成)
約8500万年前:ラテンアメリカ大陸の始まり※ここでは南アメリカプレート形成後にアフリカ大陸と南アメリカ大陸が分離した時期としておく(※諸説あり)。

約6億年前パノティア(Pannotia)形成
約5億5000万年前パノティア(Pannotia)分裂
※パノティアは南半球にあった超大陸。
「南方のすべての土地」を意味するギリシャ語:pan-nótos(南)に由来)

約5億5千年前ゴンドワナ大陸(第1期)※ゴンドワナ大陸は、現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸、オーストラリア大陸や、アラビア半島、マダガスカル島を含んだ、巨大な大陸。のち、パンゲア分裂後に再形成(後述)。(備考)約5億4100万年前~現在:顕生代

約4億5000万年前から2億5000万年前アマゾニア・クラトン(ブラジル楯状地、ブラジルの大部分を占める古代の花崗岩質大陸の断片)から侵食された堆積物がクラトンの西側斜面に堆積。

約3億年前パンゲア誕生:約3億3500万年前(石炭紀)パンゲア超大陸が、ゴンドワナ大陸、ユーラアメリカ大陸、シベリア大陸などの大陸が集まり形成。

パンゲアは、約3億年前(古生代後期:石炭紀・ペルム紀)から2億年前(中生代:三畳紀・ジュラ紀)にかけて存在した超大陸。

約3億3500万年前(石炭紀後期)ゴンドワナ大陸は北上して、赤道付近にあったユーラメリカ大陸と衝突し、パンゲア大陸の一部となった。

約2億9900万年前~2億5100万年前(古生代・ペルム紀)パンゲア大陸はシベリア大陸とも衝突。地球上のほぼ全ての陸地が1つのパンゲア超大陸となった。

(備考)約2億5,190万年前~約6,600万年前中生代(三畳紀・ジュラ紀・白亜紀)

2億2500万年前(三畳紀後期)最初の哺乳類といわれるアデロバシレウスが生息。

約2億年前~約1億8000万年前(中生代・ジュラ紀中期)パンゲア分裂(ローラシア大陸とゴンドワナ大陸(第2期)に分離。)(備考)約2億130万年前~約1億4550万年前:ジュラ紀

(備考)ギアナ高地(南米ベネズエラ)カナイマ国立公園世界遺産
・分裂前のパンゲア大陸中心部あたりの位置か。
・約2億年前から地質が大きく変化していない。
・テーブル・マウンテン(標高約2000m)
・古生物生態系(ゴンドワナ・パンゲア時代の固有種)

約1億8000万年前ゴンドワナ大陸(第2期)パンゲア分裂後に南半球に出現したゴンドワナ大陸(第2期)は、西ゴンドワナ大陸(現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸など)と、東ゴンドワナ大陸(南極大陸、インド亜大陸、オーストラリア大陸など)に分裂。

約1億7000万年前大西洋の東側の拡大に伴って南アメリカプレートが西方へと移動。

約1億9300万年前(ジュラ紀)南米最古の恐竜化石か(南米アルゼンチン南部サンタクルス州)植物食恐竜ムスサウルス

約1億3500万年前~約1億年前(白亜紀)西ゴンドワナ大陸がアフリカ大陸と南アメリカ大陸に分裂(南アメリカプレート形成)。大西洋が成立。大西洋中央海嶺(大西洋中央部の海底火山の山脈)を境に分離。
(備考)約1億4,500万年前~6,600万年前:白亜紀(Cretaceous period)中生代最後の地質年代

約1億2000万年前ゴンドワナ大陸の恐竜:約260以上恐竜化石足跡(トレース化石)南アメリカ(ブラジル)とアフリカ(カメルーン)で一致。

約1億300万年前(中生代白亜紀前期)哺乳類>獣亜綱>>有胎盤類>>>異節類(南アメリカ類)※異節類または異節上目(Xenarthra)とは、哺乳類の一種で、アルマジロ、ナマケモノ、アリクイなど南アメリカに生息する動物。

約8500万年前:ラテンアメリカ大陸とアフリカ大陸が完全に分離(ラテンアメリカ大陸の誕生※諸説あり):
南アメリカ大陸がいつできた?西ゴンドワナ大陸がアフリカ大陸と南アメリカ大陸に分裂した後、どの時点をラテンアメリカ大陸の誕生とするかは、上述のとおり約1億3500万年前~約1億年前(白亜紀)の南アメリカプレート成立期など諸説あるが、ここでは約8500万年前までにラテンアメリカ大陸とアフリカ大陸が完全に分離した時期をラテンアメリカ大陸の誕生としておく。

(約2億年前のパンゲア分裂後、約1億3500万年前西ゴンドワナ大陸分裂・南アメリカプレート形成などを経て)
約8000万年前からアンデス山脈北部から、南アメリカ大陸プレートとナスカ海洋プレートの2つのプレートの衝突または収束(ナスカプレート沈み込み)により、アンデス山脈を形成した造山運動が始まった。その後、ナスカプレート沈み込みが南方へ拡大。数千万年の地殻変動のなかで、おおむね始めは緩やかな隆起が起こり、その後約幾度かの急激な隆起などが起こり、約数百万年前に現在のアンデス山脈が形成されたと考えられる。(※隆起時期は複数回あったとされ時期は諸説あり)

(約2億年前パンゲア分裂・約1億3500万年前西ゴンドワナ大陸分裂・南アメリカプレート形成など※アンデス山脈形成前史)
約8000万年前アンデス山脈北部でナスカプレート沈み込み始まりか。
約8000万年前からナスカプレート沈み込みが南方へ拡大か。
約6600万年前アンデス山脈隆起
約5500万年前アンデス山脈南部にナスカプレートの沈み込みが達したか。
約4000万年前アンデス山脈隆起
約2500万年前アンデス山脈隆起
約2300万年前アンデス山脈隆起
約1500万年前アンデス山脈隆起
約1000万年前アンデス山脈隆起
(約1000万年前~約600万年前の間の約100万年間で中央アンデス山脈が約1500メートル上昇か)
約600万年前アンデス山脈隆起
約260万年前アンデス山脈隆起
約数百万年前現在のアマゾン山脈が形成されたか
(備考1)アンデス山脈を形成した地殻変動は現在も継続。環太平洋火山帯の一部であるアンデス山脈は、現在も火山活動が活発で、壊滅的な地震が発生。
(備考2)アンデス山脈長さ約8千km(約8,900 km※日本からベルリン辺りまで~約7500km※日本からカスピ海辺りまで、など諸説あり)日本一長い山脈奥羽山脈(約500km)の約16倍。

約7000万年前(白亜紀)南米最後の恐竜化石か(南米アルゼンチン)マイプ
(備考)約6600万年前恐竜絶滅

約6829万年前~約6495万年(白亜紀と第三紀の境界)霊長類共通祖先出現推定(2019年開始「霊長類ゲノムプロジェクト」第1期成果報告、2023年1月サイエンス誌、等)(※霊長類出現時期については諸説あり。さらに古い時期の仮説では、約8500万年前、約7400万年前などの説が分子生物学などで提唱。こうした仮説では従来の約6600万年前の隕石衝突による生物大量絶滅(K-pg境界)より前に霊長類の祖先が出現したとされる。つまり、恐竜と霊長目が一時的に共存していた可能性も示唆。)

約6604万年前(南米メキシコ・ユカタン半島)チクシュルーブ・クレーター(英語: Chicxulub crater)直径180kmの隕石衝突。マヤ語で「悪魔の尻尾」。

約6600万年前生物大量絶滅(地球の動植物種の約3/4種が隕石衝突で絶滅);
・約6600万年大量絶滅の原因:前直径10~15kmの小惑星(または彗星の破片)が地球に衝突。土砂が太陽光を遮断。衝突の冬が発生。光合成が不可。地球全体の環境が破壊(1980年アルバレス仮説)
・顕生代(約5億4100万年前~現在の地質時代区分)5回の大量絶滅のうち最後の大量絶滅。
・ウミガメやワニなどの一部の変温動物を除いて、体重が25kg以上になる四肢動物はこの時すべて絶滅。

白亜紀と古第三紀の間の大量絶滅(英語:Cretaceous–Paleogene extinction event)、K-Pgの大量絶滅(英語: K–Pg extinction event)。

約6550万年前(中生代白亜紀と新生代古第三紀の境界)K-Pg境界(英語:Cretaceous-Paleogene boundary)

約6500万年前霊長類(霊長目)出現(化石による従来説)※一般的な説としては遅くとも約6500万年前までには霊長類(霊長目)が出現していたことが確認されている。

約6590万年前小型哺乳類「プルガトリウス・マッキーベリ(Purgatorius mckeeveri)」(2021年時点で最古の霊長類の化石)。

約4000万年前〜3200万年前頃:サルが大西洋を横断して南米に到達か(クモザル、オマキザル、マーモセットなどの祖先)※諸説あり。天然「いかだ」のような植物で大西洋を渡った、とする説。3つの古代サルの化石研究などから。(出典)「太古のサルが大西洋を横断か」日経新聞、ナショナルジオグラフィック,2023

(備考2)類人猿・ヒト年表
約4000万年前狭鼻小目(Catarrhini)
約3800万年前ヒト上科(Hominoidea)
約2000万年前~約1400万年前ヒト科(Hominidae)
約1300万年前ヒト亜科(Homininare)※オランウータン亜科と分岐
約700万年前ヒト族(Hominini)※人類誕生
約700万年前ヒト亜族(Hominina)
約200万年前ヒト属(Homo)
約40万年前現生人類ホモ・サピエンス(Homo sapiens)

約1500万年前~約300万年前頃パナマ地峡形成(※時期は諸説あり):

約300万年前(鮮新世)頃までにパナマ地峡の形成で北米大陸と南米大陸がつながった。かつて現在のパナマ周辺には大西洋と太平洋をつなぐ中央アメリカ海路があった。ココスプレートとカリブ海プレートの衝突により、海底火山の形成、海底の隆起、島の形成などが起こった。数百万年をかけて南北アメリカ大陸からの大量の堆積物が島々に積み重なり隙間は完全に埋まり、パナマ地峡が形成された、とされる。パナマ地峡(英語:Isthmus of Panama)地質学

約1500万年前~約300万年前頃(鮮新世)パナマ地峡の形成(※時期は諸説あり)(※時期については諸説あり。一説では、約1500万年前、約1000万年前など、従来の約300万年前より数百万年早く地峡が出現した可能性などの説もある(例:コロンビア北部の中期中新世の岩盤に含まれるジルコンの結晶、 軍隊アリのゲノム研究、など)。他方、時期はもっと最近であるとする説もある(例:大西洋沿岸および太平洋沿岸のクロマングローブ林の遺伝的浮動データによる研究、など)。地峡の形成過程とその影響は、氷河期の始まりとの関連性など地質学的な側面、および、古生物学では「アメリカ大陸大交流」といわれる動植物は南北アメリカ大陸間の移動による生物多様性への影響など生態学的には現在でも議論が続いている。

(参考)「アメリカ大陸大交流」※パナマ地峡の形成に伴う新北区(北米)と新熱帯区(南米)の間で起こった大規模な動植物の移動。約300万年前にパナマ地峡ができるまで、孤立大陸であったため、独特の動植物が進化し、固有種が多い。
「アメリカ大陸大交流」で移動した動物の例:
(北米から南米への移動)クマ、ネコ、イヌ、ウマ、ラマ、アライグマ、など。
(南米から北米への移動)オポッサム、アルマジロ、ヤマアラシ、など。

※例えば、アンデス文明を支えたラマなどは北米から移動した動物。ラテンアメリカの歴史を理解するうえで、おそらく最も重要な出来事のひとつかと筆者は考える。

約700万年前~約6万年前ラテンアメリカ人類史

ここでは主にラテンアメリカの人類史についてまとめているが、まず前史として約700万年前人類誕生から約240万年前のヒト属(Homo)、約30万年前のヒトについてふれる。

約700万年前~約6万年前ラテンアメリカ人類史できごと(略年表)
(約1000万年前~)約700万年前ヒト族(Hominini)※人類誕生
約700万年前(~約600万年前)ヒト亜族(Hominina)
約240万年前ヒト属出現(ホモ・ハビリス)タンザニア
約200万年前頃ヒト属(Homo)
約130万年前イベリア半島に人類が居住か(スペイン・アタプエルカ遺跡)
約80万年以上前~約31万5000年前ヒト属ネアンデルタール人(約43万年前のネアンデルタール人祖先ヒトゲノムが現在最古)スペイン(シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟)
約40万年前~約30万年前ホモ・サピエンス(Homo sapiens)現生人類アフリカで出現か
約16万年前現生人類クロマニョン人が西アジアからユーラシア大陸に拡散開始か
約13万年前古代人類が北米に定住か?仮説※通説より10万年以上も早かったとする説(参考)「人類の北米への到達は通説より10万年も早かった?」Nature,2017
約11万5000年前~約1万1700年前最終氷期(LGP)後期更新世
約11万5000年以上前ネアンデルタール人遺跡・貝殻やビーズの装飾品(スペイン)クエバ・デ・ロス・アビオネス(Cueva de Los Aviones)
約7万年前~約1万年前最終氷期(Last Glacial Period)
約7万年前~約6万年前現生人類の祖先がアフリカ出発か
約6万年前アメリカ大陸に人類がいたか?(仮説※諸説あり)
約5万6800年前クロマニョン人ヨーロッパ居住
約3万7000年前ネアンデルタール人遺跡・洞窟壁画(フランス)ショーヴェ洞窟**
約3万6000年前アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代の洞窟画(スペイン)***
約2万5000年前最終氷期極大期ベーリンジア(陸橋)
約2万2000年前~約1万7000年頃(クロマニョン人)ラスコー洞窟壁画(フランス)
約1万4000年前現生人類がアメリカ大陸に移動(定説※従来説)。
約1万2500年前ベーリング海峡(温暖化海水面上昇)

(備考)
・約700万年前人類誕生:初期人類誕生(猿人)出現・直立二足歩行開始か(仮説)

・ヒト族(Hominini)とヒト亜族(Hominina)「ヒト族」は、人間(ホモ・サピエンス)とチンパンジー、ボノボ、そしてそれらの共通の祖先を含む広い分類群を指す場合と、チンパンジー属以外の人類系統全体を指す場合がある。一方、「ヒト亜族」はヒト族の下位分類で、チンパンジー亜族(チンパンジー属のみの系統)と分かれて以降、直立二足歩行へと進化を遂げた人類系統(アウストラロピテクスなどを含む)を指す(諸説あり)。

・約700万年前(~約600万年前)ヒト亜族(Hominina)最古の化石の例:サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus. tchadensis)
約700万年~約680万年前(新生代新第三紀中新世末期)アフリカ大陸北中部(現在のサハラ砂漠北部、チャド共和国北部)サヘラントロプスは、現在見つかっている限りの最古の人類:ヒト亜族(Hominina)*とする説が有力。

*最古の人類とは、一般的にヒト亜族(Hominina)のこと。ヒト族(Hominini)が、チンパンジー亜族と分化した時点に最も近いヒト亜族(Hominina)とも。(備考「ヒト6分類」で4番目)

**ネアンデルタール人の遺跡:
約11万5000年以上前ネアンデルタール人遺跡・貝殻やビーズの装飾品(スペイン)クエバ・デ・ロス・アビオネス(Cueva de Los Aviones)※ネアンデルタール人最古級の遺跡
約3万7000年前ネアンデルタール人遺跡・洞窟壁画(フランス)ショーヴェ洞窟**※約3万年頃までに絶滅したとされるネアンデルタール人の後期遺跡。
その他、最初の化石が発見されたネアンデルタール谷(ドイツ)や、フランスのラシャペル・オ・サン遺跡、クロアチアのクラピナ遺跡、中央アジアのテシク・タシュ洞窟、など。シベリア南西部のアルタイ山脈デニソワ洞窟ではネアンデルタール人とデニソワ人などの関係なども示唆されている。
また、ネアンデルタール人の研究により約6万年前とされた現生人類(ホモ・サピエンス)の出アフリカより前に人類移動ルートがあったのではないかなど人類史や人類移動の経路などについても様々な議論が生じている。

***クロマニョン人の遺跡:
約3万6000年前アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代の洞窟画(スペイン):約1万8千年前アルタミラ洞窟(Cave of Altamira)約3万6000年前ティト・ブスティーリョ洞窟などの北スペイン沿岸洞窟群の複合世界遺産。ホモ・サピエンス(Homo sapiens)の壁画

(備考)ヒト6分類:
1 ヒト上科(Hominoidea)
2 ヒト科(Hominidae)
3 ヒト亜科(Homininare)
4 ヒト族(Hominini)
5 ヒト亜族(Hominina)
6 ヒト属(Homo)

アメリカ大陸への人類移動の時期(※諸説あり)略年表
約6万年前~約3万5千年前(紀元前約3万3千年頃)(南米ブラジル)セラ・ダ・カピバラ国立公園
約3万年前(中米メキシコ)チキウイテ洞窟
約2万5千年前(紀元前約2万3千年頃)(北米カナダ)ブルーフィッシュ洞窟群
約2万3000年前(北米アメリカ合衆国ニューメキシコ州)ホワイトサンズ国立公園
約1万4500年前(紀元前約1万2500年頃)(南米チリ)モンテベルデ遺跡
約1万4000年前現生人類(ホモ=サピエンス)がアメリカ大陸に移動(定説)。
約1万3500年前(紀元前約1万1千年頃)(北米アメリカ合衆国ニューメキシコ州東部)クローヴィス文化遺跡
(参考)Peopling of the Americas(en.wikipedia)ほか

(備考)
アメリカ大陸への人類移動の時期については様々な議論がある。従来説では約1万3000年前頃までに南米に人類が到達したとされてきた。他方、近年のブラジル・カピバラ遺跡では約6万年前とされる壁画などの報告もあり南米への人類到達時期にギモンを投げかけている。

約1万4000年前現生人類(ホモ=サピエンス)がアメリカ大陸に移動(定説):
約1万3000年前に南米へ現生人類が移動か(ほぼ定説):
一般的に人類史では南米へのヒトの移動は、氷河期にベーリング陸橋を渡り、北米から中南米に南下したとされてきた。約1万4千年前という時期は様々な発掘や研究等でも概ね実証されている(篠田、ミトコンドリアDNA、他)。

約6万年前~約1万4500年前現生人類(ホモ=サピエンス)アメリカ大陸移動か(仮説):
一方、近年約6万年前~約3万5千年前ともされるブラジルのカピバラ遺跡、か約3万年前~約2万年前の北米洞窟、約1万4500年前(南米チリ)モンテベルデ遺跡など、従来の定説より数万年前も古い時期からアメリカに「人類」がいたとする、人類史の定説と異なるこ仮説もある。

これらの仮説は、様々な論点がある。約7万年前~約6万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカ出発などを前提条件として、
1)主たる論点はベーリング経由で北米から南米へ南下したとする従来の人類移動ルートの年代の議論(現生人類、最終氷期、ベーリング)。
2)それ以外の仮説:南アメリカ大陸の先住民には既存のベーリング経由北米南下説ルートとは別にアフリカから直接南米にわたったルートが存在したのか
、など様々な諸説がある。

他方、現生人類より前の人類(約200万年前ヒト属(Homo)以前)、さらには類人猿(サル)などについても諸説ある。例えば、約4000万年前にサルが大西洋を横断して南米に到達したとする仮説もある。ただし、南米の古代サルから類人猿そしてヒト属への進化に関する証拠などはあまりみつかっておらず現在でも議論が続いている。

(参考1)Quora-If there are monkeys in South America, could natives have evolved from them?
(参考2)Why Are There No Apes in South America? Facts Machine 🎦

私見ながら、今後期待されるのはこうした環大西洋の人類史についてブラジルのカピバラ遺跡や「先史モンゴロイド移動仮説」Wave Ⅳ*などについて類人猿ゲノムとヒトゲノムを包括したミトコンドリアDNA解析や核DNA解析などの科学的検証研究かと思われる。(参考3)園田・田島コレクション細胞 (HSC)

(参考図)先史モンゴロイド集団の移動仮説(Wave Ⅳメモ)
(参考図)先史モンゴロイド集団の移動仮説(Wave Ⅳメモ)※上図の「Wave Ⅳ」アフリカからカリブ中南米のルートが、約6万年前とされるブラジルのカピバラ遺跡と、約1万数千年前とされる従来のベーリング経由での南アメリカへの人類到達ルート(WaveⅠWaveⅢ)説との比較研究において再注目すべきかと筆者は考える。(出典)理化学研究所細胞材料開発室園田・田島コレクション細胞(HSC)に筆者メモ

約6万年前~約6千年前先史時代ラテンアメリカ史

約6万年前~約6千年前(先史時代)ラテンアメリカ史(ラテンアメリカ先住民史(1)先コロンブス期(1))できごと:
(年表)
約7万年前~約6万年前現生人類の祖先がアフリカ出発か※
約6万年前? 約5万年前~約3万年前~約2万5000年前(南米ブラジル)セラ・ダ・カピバラ国立公園
約3万年前(紀元前2万8千年頃)アジア大陸からアメリカ大陸への新人の移動か(1992年時点の説)*1
約3万年前(紀元前2万8千年頃)(中米メキシコ)チキウイテ洞窟
約2万5000年前(紀元前約2万3000年頃)最終氷期が最寒冷期に入る(1997年時点の説)*。
約2万5000年前(紀元前約2万3000年頃)(北米カナダ)ブルーフィッシュ洞窟群
約2万3000年前(北米合衆国ニューメキシコ州)ホワイトサンズ国立公園
約2万年以上前(紀元前1万8000年以前)アメリカ大陸人類移動か※近年説
約2万年前(紀元前1万8000年頃)新人の移動、メキシコに到着か(1992年の説)*1
約1万4500年前(紀元前約1万2500年頃)(南米チリ)モンテベルデ遺跡
約1万4000年前(紀元前約1万2000年頃)までにアメリカ大陸への人類移動(ベーリング経由)※従来説
約1万4000年前(紀元前約1万2000年頃)(南米ペルー)狩猟採集民が居住か
約1万3050年前(紀元前1万1050年頃)(北米、合衆国ニューメキシコ州)クローヴィス文化遺跡
約1万2500年前(紀元前1万500年頃)までに北米氷床に無氷回廊開ける。人類が北米主要部に移住する。***
約1万2500年前(紀元前1万500年頃)(南米コロンビア)エル・アブラ(El Abra)文化
約1万2000年前(紀元前1万年頃)(南米ペルー)ギターレロ洞窟
約1万年前(紀元前8000年前)(中米)石器時代・パレオ・インディアン期
約1万年前(紀元前8千年頃)(中米)オアハカ中部渓谷(メキシコ)農耕
約1万年前(紀元前8000年頃)までに新人の移動、南アメリカに到着か(1992年時点の説)*1
約1万年前(紀元前8000年頃)前中央ブラジル西部でユカ芋(Yuca)キャッサバ栽培開始か
約1万年前(紀元前8000年頃)先史時代ラテンアメリカ古期(Archaic period)
約9300年前(紀元前7300年頃)(南米アルゼンチン)クエバ・デ・ラス・マノス
約9000年前(紀元前7000年頃)~約7000年前(紀元前5000年頃)までに中部アメリカで植物栽培開始か(1992年の説)*1
約9000年前(紀元前7000年頃)(北米)古代~初期バスケットメーカー期(チャコ文化)
約7000年前(紀元前5000年頃)までに南北アメリカ各地で植物栽培始まったか(1997年の説)***
約9000年前(紀元前7000年)南米ペルー定住か
約8000年前(紀元前6000年頃)(南米ペルー)リオ・アビセオ国立公園
約8000年前(紀元前6000年頃)ラテンアメリカ古期中期
約7000年前(紀元前5000年頃)までに南北アメリカ各地で植物栽培始まったか(1997年の説)***
約7000年前(紀元前5000年頃)カリブ海諸島先住民(1)石器時代(狩猟採集民)
約6000年前(紀元前4000年頃)グアナハタベイ族(キューバ)
約6000年前(紀元前4000年頃)コロンビア・カリブ海沿岸半定住か
約6000年より前「先史時代」文字発明以前

約7万年前~約6万年前現生人類の祖先がアフリカ出発か※

6~7万年前アフリカを出た現生人類の祖先が6万年前ごろに中東あたりで先住のネアンデルタール人と出会って交雑した後、世界中に広がっていった。アメリカ大陸先住民とシベリア東部の民族との関連性(デニソワ人)など。アフリカからユーラシア大陸までの人類移動については2000年代からのDNA配列「次世代シークエンサー」発明などDNA遺伝情報などで科学的にほぼ確証されているとされる(ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所・沖縄科学技術大学院大学(OIST)スバンテ・ペーボ博士らによる古代DNA解析やヒトゲノム研究「絶滅した人類のゲノムと人類の進化に関する発見」2022年ノーベル整理医学賞など)。(参考)「DNA解析で人類の起源と進化の解明に光当てる ノーベル医学生理学賞のペーボ氏は知日家」Science Portal,2022

約6万年前? 約5万年前~約3万年前~約2万5000年前(南米ブラジル)セラ・ダ・カピバラ国立公園

約6万年前? 約5万年前~約3万年前~約2万5000年前セラ・ダ・カピバラ国立公園(南米ブラジル北東部ピアウイ州)世界遺産
・南米最古の人類の居住地の一つ。旧石器時代(先史時代初期)
・約6万年前?約5万年前~約3万年前+~約2万5000年前++頃の線刻岩絵群(参考)?コトバンクほか、+Serra da Capivara National Park(UNESCO,World Heritage Convention), ++Parque Nacional Serra da Capivara
※セラ・ダ・カピバラ遺跡の壁画の年代は諸説あり(ネットでは約6万年前という記事もある。ただし、現時点でユネスコ公式HPでは約5万年前~約3万年前、セラ・ダ・カピバラ遺跡公式サイト(ポルトガル語)では約2万5000年(25 mil anos)前、とされている。)
※※いずれにせよ現時点で南アメリカのみならずアメリカ大陸最古級の壁画遺跡という可能性は高いが、もし約6万年前や約5万年前という説が事実だとすると、近年説の約2万年や従来説の約1万4000年頃といったアメリカ大陸への人類移動時期(約2万年前にベーリング陸橋アラスカに到達、約1万5000~1万4000年前に南米大陸の南端に到達)を覆すことになる。最近の説では約13万年前アメリカ大陸人類移動説(Nature,2017)などもあるが、カピバラ遺跡壁画の年代も含め、アメリカ大陸への人類移動時期については様々な説がある。)

・約1万2千年前~約6千年前の洞窟壁画群:
約1万2000年~約6000年前(推定)壁画群(約900か所:人、動物、儀式、舞踊、狩猟の様子、グリプトドンや巨大アルマジロなどの絶滅した動物)
・ペドラ・フラダ遺跡などの印象的な地形
・陶器製の道具も発見
・気候:カーチンガと呼ばれる半乾燥熱帯気候。乾季には木々が枯れるのが特徴。
・1991年世界遺産登録セラ・ダ・カピバラ国立公園
(参考)セラ・ダ・カピバラ国立公園Serra da Capivara National Park)wikipedia

(備考)ブラジルのプレ・カブラル時代史
約6万年前~約1万2000年前:ブラジルの更新世
約1万2000年前~約4000年前:ブラジルの完新世
約1万2000年前~約3000年前:ブラジルアマゾン先土器時代
約4000年前~西暦1500年頃:ブラジル南部から北東部の古代
約5000年前(紀元前3000年)~11世紀(1000年頃):初期土器時代
約3000年前(紀元前1000年頃)~11世紀(1000年頃):アマゾンの複合遺跡群
主な遺跡
プレ・カブラル時代
(参考)Pre-Cabraline history of Brazil(en.wikipedia)

約3万年前(紀元前2万8千年頃)アジア大陸からアメリカ大陸への新人の移動か(1992年時点の説)*1

約3万年前(紀元前2万8千年頃)(中米メキシコ)チキウイテ洞窟

約3万年前(紀元前2万8千年頃)〜1万年前(中米メキシコ・サカテカス州)チキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)遺跡※最終氷期極大期より古い地層で発見された石器などが発見。メキシコ中北部サカテカス州アスティレロ山脈チキウイテ洞窟。

約2万5000年前(紀元前約2万3000年頃)最終氷期が最寒冷期に入る(1997年時点の説)*。

約2万年以上前(紀元前1万8000年以前)アメリカ大陸人類移動か※近年説
(参考)「人類は2万年以上前に北米到達、従来説覆す足跡を発見=米研究チーム」BBC,2021Matthew R. Bennett.,et,alEvidence of humans in North America during the Last Glacial Maximum.Science,2021 ※日本のアメリカ大陸への人類移動に関するミトコンドリアDNA解析などの第一人者である国立科学博物館館長篠田健一らも近年の著書では約2万年前アメリカ大陸への人類移動説を支持されている。(参考)篠田 謙一 .人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 .中公新書, 2022

約2万年前(紀元前1万8000年頃)新人の移動、メキシコに到着か(1992年の説)*1

約1万4500年前(紀元前約1万2500年頃)(南米チリ)モンテベルデ遺跡

約1万4000年前(紀元前約1万2000年頃)までにアメリカ大陸への人類移動(ベーリング経由)従来説
※従来の説では、遅くとも約1万数千年前までにはアメリカ大陸への人類移動はベーリング陸橋を渡って北アメリカ大陸に到着したアジア系人類と考えられてきた。
※※ただしアメリカ大陸への人類移動時期は諸説あり。近年では、約2万年前にはアメリカ大陸への人類移動がなされたという近年説が主流になっている(篠田謙一,2022ら)。
※※さらに、約6万年前(ブラジル)セラ・ダ・カピバラ遺跡など従来のベーリング経由でのアメリカ大陸人類移動説より前の時期とされる遺跡などの一部説もあり、アメリカ大陸への人類移動の経路や時期については現在でも議論が続いている。

約1万4000年前(紀元前約1万2000年頃)(南米ペルー)狩猟採集民が居住か

約1万3050年前(紀元前1万1050年頃)~約1万2750年前(紀元前1万750年頃)クローヴィス文化(Clovis culture)北米アメリカ合衆国(ニューメキシコ州東部)クローヴィス文化遺跡(参考)クローヴィス文化Clovis culture)wikipedia
主な北米(合衆国)先住民:
約1万3000年前クローヴィス文化(Clovis culture)
約9000年前チャコ文化(初期バスケットメーカー期)
約3200年前先祖プエブロ人

約1万2500年前(紀元前1万500年頃)までに北米氷床に無氷回廊(ベーリング地峡)開ける。人類が北米主要部に移住する。***
※ベーリング地峡の時期は諸説あり(参考)ベーリング地峡Beringia)wikipedia

約1万2500年前(紀元前1万500年頃)(南米コロンビア)エル・アブラ(El Abra)文化

約1万2500年前(紀元前1万500年頃)(南米コロンビア)エル・アブラ(El Abra)文化:
約1万2000年前からアルティプラノ・クンディボヤセンス(現在のコロンビア首都ボゴタ近郊)のエル・アブラとテケンダマに狩猟採集民社会が存在。マグダレナ川流域に住む文化圏と交易か。
アルティプラノ・クンディボヤセンス(Altiplano Cundiboyacense)コロンビアのアンデス山脈東部に位置する肥沃な高原地帯(現首都ボゴタからトゥンハなど北東方面のエリア)。のち約3000年前(紀元前1000年頃)ムイスカ(Muisca)文明の中心地となるなど先コロンブス期のコロンビア歴史で重要な場所。

(備考)紀元前コロンビア歴史略年表できごと
約1万2500年前(紀元前1万500年頃)(南米コロンビア)エル・アブラ(El Abra)文化、アルティプラノ・クンディボヤセンス(Altiplano Cundiboyacense)
約1万1000年前(紀元前9000年頃)(南米コロンビア)テケンダマ、エル アブラ、ネモコン、ティビト、ビスタエルモサ、ガリンド、アグアスケ、ガチェタ、スエバの地域に狩猟採集民のコミュニティ設立 [2]。
約5000年前(紀元前3000年頃)(南米コロンビア)住民は半座りっぱなしの生活に変わります。カリブ海沿岸ではキャッサバが、アルティプラノ・クンディボヤセンスではトウモロコシが最初の作物として栽培される[3]。プエルト・オルミガの考古学遺跡は、人間の活動を示している。
約4700年前(紀元前2700年頃)(南米コロンビア) アマゾンで住民が農業を始める。
約3600年前(紀元前1600年頃)(南米コロンビア) モロ・デル・トゥルカンのピラミッドが建造される。
約3590年前(紀元前1590年)(南米コロンビア) イラマ文化がバジェ・デル・カウカのカリマ川付近で発展する。
約3300年前(紀元前1300年頃)(南米コロンビア) 現在のサンタンデール県でチミタのペトログリフが制作される。
約3270年前(紀元前1270年頃)(南米コロンビア) シパコン陶器
約2700年前(紀元前700年頃)(南米コロンビア) 現在のビチャダ県のイニリダ川付近で洞窟壁画が制作される。
約2700年前(紀元前700年頃)(南米コロンビア)キンバヤの形成期が始まる。
約2700年前(紀元前700年頃)(南米コロンビア)エル・インフェルニートのメンヒルが建造される。
約2300年前(紀元前300年頃)(南米コロンビア)マラガナ時代
約2300年前(紀元前300年頃)(南米コロンビア)グアヤベロ洞窟現代のグアビアーレに絵画が描かれる。
約2300年前(紀元前300年頃)(南米コロンビア)コロンビア初のチーズは古代文明によって作られた。
約2200年前(紀元前200年頃)(南米コロンビア)サン・アグスティン文化
約2100年前(紀元前100年頃)(南米コロンビア)タイロナ文化
(参考)History of Colombia(en.wikipedia)

約1万2000年前(紀元前1万年頃)(南米ペルー)ギターレロ洞窟

約1万2000年前(紀元前1万年頃)ギターレロ洞窟(南米ペルー・ユンガイ)石器時代遺跡発見。一部の説によると、ピキマチャイ、チバテロス、ラウリコチャ、パイハン、トケパラの洞窟で発見された石器などもペルーの石器時代の遺跡とされる(諸説あり)。その後、沿岸部(チルカ地区とパラカス地区)、高地(カジェホン・デ・ワイラス地区)でも発見された。

約1万年前(紀元前8000年前)(中米)石器時代・パレオ・インディアン期

約1万年前(紀元前8000年前)石器時代、パレオ・インディアン(Paleo-Indians)
石器時代またはパレオ・インディアン期:旧石器時代メソアメリカ(中米)先住民族パレオ・インディアン(Paleo-Indians)に代表される時代区分。後期更新世。打製石器などによる道具。インディアン祖先。ギリシャ語で古代の意味「palaios」に由来。

(備考)メソアメリカ史における時代区分(Periods in Mesoamerican history)の例:
紀元前8000年以前(before 8000BCE)メソアメリカ史パレオ・インディアン期(Paleo-Indian period)
紀元前8000年~紀元前2000年(8000BCE–2000BCE)メソアメリカ史古期(Archaic period)
紀元前2000年~紀元後250年(2000 BCE–250CE)メソアメリカ史先古典期(Preclassic period)
紀元後250年~紀元後900年(250CE–900CE)メソアメリカ史古典期(Classic period)
紀元後900年~紀元後1521年(900CE–1521CE)メソアメリカ史後古典期(Postclassic period)
紀元後1521年以降(after 1521CE)メソアメリカ史コロンブス時代(Columbian era)
(参考)Mesoamerican chronology(en.wikipedia)

約1万年前(紀元前8千年頃)(中米)オアハカ中部渓谷(メキシコ)農耕

約1万年前(紀元前8千年頃)~約6千2百年前(紀元前4千2百年頃)メソアメリカでの最初期の農耕か(※諸説あり)

約1万年前オアハカ中部渓谷ヤグルとミトラの先史時代洞窟(メキシコ)世界遺産のギラ・ナキツ洞窟で種子が発見。

約1万年前(紀元前8千年頃)ウリやマメ類の種子
約6千2百年前(紀元前4千2百年頃)トウモロコシの穂軸
※なお、アメリカ大陸全体での最古の農耕についてはアンデス古代文明との比較もあり諸説ある。

メソアメリカ・メキシコの先住民
約1万年前(紀元前8000年頃)トウモロコシの品種改良開始か。
約4300年前(紀元前2300年頃)土器の生産。
約3800年前(紀元前1800年頃)集約的なトウモロコシ栽培
約3800年前(紀元前1800年頃)メソアメリカで複雑な文化が形成(オルメカ、イサパ、テオティワカン、マヤ、サポテク、ミシュテク、ワステカ、プレペチャ、トトナコ、トルテカ、アステカなどの高度なメソアメリカ文明へと発展。)

約1万年前(紀元前8000年頃)までに新人の移動、南アメリカに到着か(1992年時点の説)*1

約1万年前(紀元前8000年頃)前中央ブラジル西部でユカ芋(Yuca)キャッサバ栽培開始か
※キャッサバの原型となった flabellifolia 亜種の分布)(参考)キャッサバ(ウィキペディア)

約1万年前(紀元前8000年頃)先史時代ラテンアメリカ古期(Archaic period)

約1万年前(紀元前8000年頃)~約3000年前(紀元前1000年頃)先史時代ラテンアメリカ古期(Archaic period)
約1万年前(紀元前8000年頃)~約4000年前(紀元前2000年)メソアメリカ古期(Archaic period)
約1万年前(紀元前8000年頃)~約4000年前(紀元前2000年)南アメリカ古期(Archaic period)
紀元前8千年~紀元前千年頃:古期(英語)
※先史時代のラテンアメリカ史の時代区分では年代に多少のばらつきはあるが概ね約1万年前(紀元前8000年頃)から約数千年前まで古期(Archaic period)という時代区分が使われている。古期またはアルカイック(archaic)期という用語は日本の世界史ではややなじみが少ないがここでは古代(ancient)と区別するために筆者が仮訳。
※狩猟採集から農耕の始まり。狩猟採集民が半農社会に入り複合的文明の萌芽が生じた時期。土器や宗教的装飾品の出現など。
※縄文時代(約1万6000年前~約2300年前)の中期から後期に相当。

約9300年前(紀元前7300年頃)(南米アルゼンチン)クエバ・デ・ラス・マノス

約9300年前(紀元前7300年頃)~8世紀(紀元後700年頃)アルゼンチン、サンタ・クルス州「クエバ・デ・ラス・マノス(Cueva de las Manos)」スペイン語「手の洞窟」岩壁に複数のコラージュで描かれた数百点の手形。世界遺産。

テウェルチェ族の祖先は、約13,000年から9,000年前から西暦700年頃までに作られたクエバ・デ・ラス・マノスの岩絵の制作に関与したと考えられる。(参考)Tehuelche people(en.wikipedia)
・テウェルチェ族(Tehuelches)は、アルゼンチンのパタゴニアからチリ中南部に住むアメリカ州の先住民族部族の総称。パタゴニア族(参考)テウェルチェ族(ウィキペディア)

約9000年前(紀元前7000年頃)~約7000年前(紀元前5000年頃)までに中部アメリカで植物栽培開始か(1992年の説)*1

約9000年前(紀元前7000年頃)~約3500年前(紀元前1500年頃)古代~初期バスケットメーカー期(チャコ文化遺跡)(参考)チャコ文化国立歴史公園Chaco Culture National Historical Park)wikipedia
※初期バスケットメーカー期(チャコ文化遺跡)の特徴
・クローヴィス(Clovis)系の子孫とされる先祖プエブロ人
・動物の狩猟採集から植物の栽培・貯蔵などの転換期
・バスケットメーカー(網かご)作成

約1万3000年前(紀元前1万1050年頃)~約1万2750年前(紀元前1万750年頃)クローヴィス文化(Clovis culture)北米アメリカ合衆国
約9000年前(紀元前7000年頃)(古代~初期バスケットメーカー期)チャコ文化、先祖プエブロ人(※諸説あり)。
約3200年前(紀元前12世紀頃)(初期バスケットメーカーII期)先祖プエブロ人出現(※諸説あり)。

※プエブロ人の起源(先祖プエブロ人の出現時期)は諸説あり。
一般的には、約3200年前(紀元前12世紀頃)(初期バスケットメーカーII期)頃とされてきた(1929年ペーコス分類)。(参考)古代プエブロ人(ウィキペディア)
最近では、約9000年前(紀元前7000年頃)のチャコ文化遺跡などで先祖プエブロ人の痕跡が発見されていることからチャコ文化遺跡の時期を起源とする見方もある。(参考)Ancestral Puebloans(en.wikipedia)
また、

(参考)祖先プエブロ期(Ancestral Puebloan periods)北米合衆国南西部(略年表)
約9000年前(紀元前7000年頃)~約3500年前(紀元前1500年頃)古代~初期バスケットメーカー時代(Archaic–Early Basketmaker period)※チャコ文化遺跡による先祖プエブロ人出現説
約3500年前(紀元前1500年頃)~紀元1世紀(紀元後50年頃)初期バスケットメーカーII期(Early Basketmaker II period)※ペーコス分類による先祖プエブロ人出現説
1世紀(西暦50年頃)~6世紀(西暦500年年頃)後期バスケットメーカーII期(Late Basketmaker II)
6世紀(西暦500年年頃)~8世紀(750年頃)バスケットメーカーIII期(Basketmaker III)
8世紀(750年頃)~10世紀(900年頃)プエブロI期(Pueblo I)※プエブロ発展期
10世紀(900年頃)~12世紀(1150年頃)プエブロII期(Pueblo II)
12世紀(1150年頃)~14世紀(1350年頃)プエブロIII期(Pueblo III)
14世紀(1350年頃)~17世紀(1600年頃)プエブロIV期(Puevro IV)
17世紀(1600年頃)~現在 プエブロV期(Puevro V)

※先祖プエブロ人(バスケットメーカー期・プエブロ文化)は、現在のアメリカ合衆国南西部のフォーコーナーズ地域(ユタ州南東部、アリゾナ州北東部、ニューメキシコ州北西部、およびコロラド州南西部)の古代ネイティブアメリカン文化。
※プエブロ人(参考)Pueblo peoples(en.wikipedia)

約9000年前(紀元前7000年)南米ペルー定住か

約9000年前(紀元前7000年)南米ペルー定住か
・定住生活を送るようになり(ジスカ・イル・ムク、コトシュ、ワカ・プリエタ)
・ヒョウタンや綿花(Gossypium barbadense)などの植物を栽培し始めた。
・初期の作物は主に漁業に利用
・綿花は網や釣り糸を作るため
・ヒョウタンは浮き輪として使われた。

(先史時代ペルー略年表)notes
約9000年前(紀元前7000年)南米ペルー定住か
約6700年前(紀元前4700年頃)ペルー北部サニャ渓谷
約6700年前(紀元前4700年頃)、5400年前(紀元前3400年頃)灌漑用水路建設か
約5600年前(紀元前3600年頃)セチン・バホ遺跡(カスマ・セチン文化)セチン・バホ遺跡にあるフリーズ※ペルー最古の建造物か。
約5000年前(紀元前3000年頃)ペルー:綿花前土器時代、漁労、かご細工、金属細工(金のビーズ)など。
約4000年前初期土器時代または陶器時代:陶器はアマゾン川流域で発達しアンデス文化圏に広がったか。
・トウモロコシ主食栽培
・人口分布は海岸から河川沿いの渓谷へ移動か
約5500年前(紀元前3500年頃)~約3800年前(紀元前1800年頃)ノルテ・チコ文明(カラル・スーペ文明)
ペルー、エル・パライソ、リマ地方の後期先土器時代遺跡(紀元前3500~1800年)
ペルー、ブエナビスタ、リマ地方の4200年前の天文台(紀元前2200年)
ペルー北部、ランバイエケ地方の4000年前の神殿、ベンタロン(紀元前2000年)
クピスニケ文化(紀元前1500~1000年)
チャビン(紀元前900~紀元前200年)
パラカス
モチェ
ナスカ
ティアワナコ
ワリ
チムー

約8000年前(紀元前6000年頃)(南米ペルー)リオ・アビセオ国立公園

約8000年前(紀元前6000年頃)(南米ペルー)リオ・アビセオ(Rio Abiseo)国立公園(世界遺産):ペルー中部、アンデス山脈の東側山腹からアマゾン川源流域にかけてのジャングルに囲まれた国立公園。

自然遺産
ヘンディーウーリーモンキー
巨大な植物「プヤ」
約8000年前(紀元前6000年前)から先住民が居住か
住居遺跡
約1200年前(紀元前10世紀)〜約500年前(16世紀頃)の住居遺跡
9世紀~16世紀チャチャポヤス文化グラン・パハテン遺跡
約8000年前遺跡・遺構(ロス・ピンテュドス、グラン・パハテンなど)
・パイナップル科の植物で地上で最も寿命が長いといわれるプヤ(10m以上)
・130種もの鳥類
・絶滅寸前のヘンディー・ウーリーモンキーのほかオオアルマジロ,ヤマバク,ジャガーなど貴重な生物が多く生息
・1983年国立公園指定
・1990年、1992年世界遺産登録

約8000年前(紀元前6000年頃)ラテンアメリカ古期中期
※紀元前6千年頃ラテンアメリカ古期中期(mid Archaic period)
・定着型集落が現れ始めた。
・特徴的な文化が古期段階で出現。

約7000年前(紀元前5000年頃)までに南北アメリカ各地で植物栽培始まったか(1997年の説)***

約7000年前(紀元前5000年頃)カリブ海諸島先住民(1)石器時代(狩猟採集民)

カリブ海における人類の出現(Peopling of the Caribbean)
Nature
カリブ海における人類の出現 紀元前5000年 初期の植民地化 紀元前800年 アラワク族 西暦800年 カリブ人の拡大(出典)Ross, A.H., Keegan, W.F., Pateman, M.P. et al. Faces Divulge the Origins of Caribbean Prehistoric Inhabitants. Sci Rep 10, 147 (2020). Nature,10 January 2020

約7000年前(紀元前5000年頃)~約6000年前(紀元前4000年頃)カリブ海諸島地域先住民(狩猟採集民)か
最近の学説ではカリブ諸島地域への先住民の移動時期は概ね以下の3期に分けられるとされる(2020年Nature論文)。
約7000年前(紀元前5000年頃)キューバと北アンティル諸島への初期先住民定住
約2800年前(紀元前800年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)アラワク族の拡大(移住)
9世紀頃(約800年頃)カリブ族の拡大(移住)

(引用)「最初は、紀元前5000年頃、ユカタン海峡を越えてキューバと北アンティル諸島に人が定住した。次に、紀元前800年から200年の間に、アラワク語を話す人々がベネズエラ沿岸からプエルトリコに到着した。最後に、カリブ人の入植者がカリブ海を渡り、紀元後800年頃にイスパニョーラ島に到着し、その後、ジャマイカとバハマ諸島へと急速に拡大を続けた(図8)。これらの証拠は、カリブ海の人々と定住に関する全く新しい視点を浮き彫りにしている。(筆者仮訳)」
(Citation)”The first was the initial peopling of Cuba and the northern Antilles across the Yucatán Passage around 5000 BC. Next was the arrival of Arawak-speaking peoples in Puerto Rico from coastal Venezuela between 800 and 200 BC. Finally, Carib colonists crossed the Caribbean Sea to arrive in Hispaniola around AD 800 and then continue their rapid expansion into Jamaica and The Bahamas (Fig. 8). The evidence highlights a completely new perspective on the people and peopling of the Caribbean.”(source:Ross, A.H., Keegan, W.F., Pateman, M.P. et al. Faces Divulge the Origins of Caribbean Prehistoric Inhabitants. Sci Rep 10, 147 (2020). Nature,10 January 2020 https://www.nature.com/articles/s41598-019-56929-3)

「先に定住していたのは、およそ7000年前から6000年前に中米や南米北部の沿岸からやってきた人々だった。この先住の狩猟採集民(古期の人類)は、新たな入植者が到来してまもなく、ほぼ全滅した」(出典)「カリブ最初の民はほぼ絶滅していた、南米から侵入者最新研究、174人分のDNAから古代カリブの歴史が明らかに」ナショナルジオグラフィック, 2020.12.26

約6000年前カリブ海に人類が定住か(出典)”A genetic history of the pre-contact Caribbean”2020Dec23,Nature※「プレ・コンタクト期のカリブ海の遺伝史(仮訳)『Nature』論文,2020年12月23日付

※※プレコンタクト期のカリブ海諸国における遺伝史は、2つの主要な人口移動を明らかにしている。

1つめは、約6000年前(古代)のカリブ諸島への初期移住は南米からの移住であったこと(北米起源説は否定された)。

2つめは、約2500年前から約2300年前(土器時代)カリブ海諸島へのアラワク族の移住。

また、この2020年論文では、千コロンブス期のカリブ諸島地域先住民が従来の数百万人虐殺という神父手記による説より大幅に少なく約数万人であったことが指摘されている。

いずれにせよ、カリブ海の先住民族の歴史の起源は少なくとも約6000年前の部族名不詳の狩猟民族までにさかのぼることがこの論文で確認された。(これは例えば約2600年前シボニー族などとされていた『カリブ海世界』石塚道子編1991などの20世紀のカリブ史先行研究から大きくアップデートされている。)

また、その後のカリブ海諸島地域先住民の歴史は数千年間にわたる。カリブ海諸島地域へ主に南米大陸からに渡来した。アラワク族、タイノ族、グアナハタベイ族(Guanahatabey)、シボニー族などの諸民族の遺伝的性質などの研究により、それぞれの部族関係についても見直しがなされている。

・約6000年前古代(archaic)カリブ海諸国に居住していた最古の先住民か
・石器時代カリブ海先住民の石器
・カリブ海先住民の遺伝的祖先は、中南米の集団と最も近縁であり、北米起源の証拠は見当たらない。


全般的な知見:
・カリブ海地域の古代および土器時代の人々の独特な文化的・遺伝的特徴
・本研究は、カリブ海地域の人口規模に関するこれまでの推定に疑問を投げかけ、カリブ海地域の人口はこれまで考えられていたよりも少なかったことを示唆。
・異なる集団が時を経て交流し、移住してきたカリブ海地域の複雑な歴史。

カリブ海地域における先住民族の祖先の持続性(例):
・古代カリブ先住民族はキューバ北西部で2,500年以上にわたり存続か
・プエルトリコ人の祖先の平均14%はプレコンタクト期以前のタイノ族。ニューヨーク・タイムズ紙

約6000年前(紀元前4000年頃)グアナハタベイ族(キューバ)

約6000年前(紀元前4000年頃)グアナハタベイ族(Guanahatabey)キューバ西部の先住民族。キューバ最古の先住民か※諸説あり
グアナハタベイ族はキューバ西部の先住民族で、紀元前4000年頃から存在していたとされる狩猟採集民。タイノ族やシボネイ族よりも古くから存在していた。

(備考)グアナハタベイ族(Guanahatabey)とシボニー族との誤解
かつてグアナハタベイ族(Guanahatabey)とシボニー族が混同されていたが現在では別の部族とされている。

シボニー族(スペイン語 Siboney 英語 Ciboney)はカリブ海地域の先住民。シボニー(Siboney)とはアラワク語で「石の人」の意味。のち紀元1世紀頃にカリブ海に居住をはじめるアラワク人が様々な石器類を発見したことから名づけられたという。シボニー族の石器は、キューバ、ハイチ、アンティグアなどの遺跡でみつかっている、とされた。

また、かつでは約4600年前(紀元前2600年頃)シボニー族がカリブ諸島地域へ渡来したとする記述もあった(出典)『カリブ海世界』第1章「先住民の世界」先コロンブス期のシボニー族, 江口信清, p.33-34。

ただし、現在ではシボニー族はタイノ族のサブグループと考えられており、シボニー族がキューバに居住した時期はもっと後の中世とする説が主流となっている。

約6000年前(紀元前4000年頃)コロンビア・カリブ海沿岸半定住か

約6000年前より前「先史時代」※「先史時代」とは文字の発明以前の歴史、という文献史料のみを対象とする古典的な歴史学の用語。ここでは、本来の語義(文字発明以前の歴史)に準じて「先史時代」の時期は「約6000年より前」としておく。

約6千年前~5世紀古代ラテンアメリカ史

古代ラテンアメリカ地図

約6千年前~5世紀古代ラテンアメリカ史できごと(略年表)
約5350年前(紀元前3350年)~約5000年前(紀元前約3000年頃):世界最初の文字。メソポタミア(イラク、ウルク市)シュメール人が発明した原楔形文字。
約5000年前(紀元前3000年頃)~6世紀(西暦500年頃)古代ラテンアメリカ(ラテンアメリカ形成期)
約5500年前(紀元前3500年頃)ノルテチーコ文明カラル・スーペ(ペルー)
約5500年前(紀元前3500年頃)バルディビア文化(エクアドル)
約5000年前(紀元前3000年頃)コロンビアやエクアドルの海岸で土器製作開始、中部アメリカでトウモロコシ農耕の発展1
約4500年前(紀元前2500年頃)中央アンデスで農耕・牧畜の発展1
約4300年前(紀元前2300年頃)メキシコでプエルト・マルケス遺跡(土器)*1
約4000年前(紀元前2000年頃)中部アメリカにコロンビア、エクアドルの文化伝統が伝播*1
約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(マヤ文明先古典期)※メソアメリカ文明(中米)メキシコ、グアテマラ、ベリーズ
約3600年前(紀元前1600年頃)パラ期・オスコ期の土器文化*1(メソアメリカ)※メソアメリカ文明(中米)
約3500年前(紀元前1500年頃)~16世紀(1524年頃)チアパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)遺跡(メキシコ)※メソアメリカ文明(中米)
約3500年前(紀元前1500年頃)~13世紀(1200年頃)カミナルフユ遺跡(グアテマラ)
約3500年前(紀元前1500年頃)ムイスカ(チブチャ)族(南米コロンビア)
約3500年前(紀元前1500年頃)アラワク族(ベネズエラ)
約3500年前(紀元前1500年頃)クピスニケ(Cupisnique)文化(南米ペルー)
約3500年前(紀元前1500年頃)チリパ文化(南米ボリビア)
約3400年前(紀元前1400年頃)サポテカ文化(メソアメリカ)※メソアメリカ文明(中米)
約3300年前(紀元前1300年頃)チョレーラ文化(Chorrera culture)(エクアドル)※メソアメリカ文明(中米)
約3200年前(紀元前1200年頃)~約2400年前(紀元前400年頃)オルメカ文明※メソアメリカ文明(中米)
約3100年前(紀元前1100年頃)メソアメリカでトウモロコシ栽培か
約3100年前(紀元前1100年頃)南米アンデス北部(ベネズエラ・コロンビア・ペルーなど)でキャッサバ栽培拡大か(狩猟採集からの転換か)
約3000年前(紀元前1000年頃)古代マヤ文明※アグアダ・フェニックス遺跡※メソアメリカ文明(中米)
約3000年前(紀元前1000年頃)~約2800年前(紀元前800年頃)オルメカ文化振興メソアメリカ文明の基礎確立。
約3000年前(紀元前1000年頃)アンデス文明の始まり。中央アンデスにチャビン文化成立。アンデス文明の基礎確立*1
約3000年前(紀元前1000年頃)チャビン文化(アンデス文明、ペルー)
約2900年前(紀元前約900年頃)オルメカ象形文字(メソアメリカ文明)
約2800年前(紀元前800年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)アラワク族の拡大(移住)カリブ諸島地域
約2800年前(紀元前800年頃)クィクィルコ遺跡(メキシコ)
約2800年前(紀元前800年頃)パラカス文化(ペルー)
約2700年前(紀元前700年頃)メキシコのチアパデコルソ(Chiapa de Corzo )を中心とするソケ(Zoque)が成立
約2700年前(紀元前700年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)メキシコ南西部のゲレロ州バルサス川流域でメスカラ文化(Mezcala culture)が成立
約2600年前(紀元前6世紀頃)中央アメリカにおけるオルメカ文明の衰退
約2500年前(紀元前500年頃)オルメカ様式の神殿都市群、急速に衰退1
約2500年前(紀元前500年頃)紀元前5世紀頃オルメカ文化を基礎にメソアメリカに地方文化発展。モンテ・アルバン文化の絵文字、暦法体系確立。メキシコ盆地に神殿都市クイクイルコ建設1
約2500年前(紀元前500年頃)カリブ海諸島先住民(2)土器・陶器時代(農耕部族)
約2500年前(紀元前500年頃)ウパノ渓谷の古代都市(南米エクアドル)アマゾン文明
約2500年前(紀元前500年頃)ナスカの地上絵(南米ペルー)
約2500年前(紀元前500年頃)~約9世紀(西暦800年頃)モンテ・アルバン文化(メキシコ)サポテカ文明盛期
約2400年前(紀元前400年頃)紀元前4世紀頃マヤ地方文化=イサパ、カミナルフユ文化形成*1
約2400年前(紀元前400年頃)~10世紀(900年頃)ティカル(Tikal)中米グァテマラ(マヤ文明)
約2400年前(紀元前400年頃)テオティワカン文明(メソアメリカ文明)
約2300年前(紀元前300年頃)紀元前3世紀頃~紀元前2世紀頃シトレ(Xitle)火山の噴火によりクィクィルコ(Cuicuilco)衰退*1
約2300年前(紀元前300年頃)マヤ文字
約2200年前(紀元前200年頃)メキシコ盆地北東部に計画都市ティオテワカン建設。1
約2200年前(紀元前200年頃)~約2050年前(紀元前50年頃)イサパ(izapa)文化(メキシコ・グアテマラ)
約2200年前(紀元前200年頃)タイロナ(Tairona)族(南米コロンビア)
約2200年前(紀元前200年頃)~11世紀(西暦1000年頃)ティワナク遺跡(南米ボリビア)
約2200年前(紀元前200年頃)アンデス地方にティアワナコ(ティワナク)、ナスカ、モチェなどの地方文化開花。1
約2100年前(紀元前100年頃)紀元前1世紀頃マヤ文字とマヤ暦法の確立1(メソアメリカ文明)
約2100年前(紀元前100年頃)~8世紀(西暦700年頃)(中米)テオティワカン文化栄える1(メソアメリカ文明)
約2100年前(紀元前100年)~紀元9世紀(西暦800年頃)(南米)ナスカ文化(アンデス文明)
約2036年前(紀元前36年頃)メキシコ、チアパス高地のチアパ・デ・コルソの石碑で年代記録*1(メソアメリカ文明)
1世紀頃ラテンアメリカの主な先住民集団(北米)プエブロ(中米)マヤ、サポテカ、テオティワカン(南米)ナスカなど
2世紀後半 マヤ南部の石碑年代が中断 テオティワカンの勢力下に入る*1
2世紀(100年頃)~9世紀(800年頃)モチェ文化(ペルー北部)
3世紀~17世紀マヤ文明栄える(古典期・後古典期・接触期)※メソアメリカ文明(中米)
3世紀 メソアメリカ全域にテオティワカン文化の影響広がる。 オアハカ地方ではモンテ・アルバンを中心とするサポテカ文化が最盛期。
3世紀 中央アンデスでは北海岸のモチェ、南海岸のナスカ、南高地のティアワナコなどで地方文化。*1
4世紀(300年頃) メソアメリカのマヤ文明がテオティワカンの侵入により中心を移す(マヤ古典文化)*1
5世紀グアテマラ、ティカルの北アクロポリスが建設(中米マヤ文明・古典期)
430年イロパンゴ火山が噴火し、現在のエルサルバドルにあったマヤの都市が壊滅。(中米マヤ文明・古典期)
455年メキシコにチチェン・イッツァ建設(中米マヤ文明・古典期)

約6千年前~5世紀:古代ラテンアメリカ史(ラテンアメリカ形成期)
・ラテンアメリカ先住民史(2)
・先コロンブス期(2)

ここでは約6千年前の歴史時代*から5世紀までのラテンアメリカの歴史を概観する。
(備考)
約6000年前~歴史時代(世界史)※世界史では「文字の発明」以降を歴史時代という。
また、ラテンアメリカ史では約5000年前~6世紀をラテンアメリカ形成期(Formative period/stage)ともいう。
約5000年前(紀元前3000年頃)または約4000年前(紀元前2000年頃)~6世紀(西暦500年頃)古代ラテンアメリカ(ラテンアメリカ形成期):定住後から古代文明の形成段階。メソアメリカ文明(中央アメリカ、中米)。アンデス文明(南アメリカ、南米)など。
※英語の文献などではラテンアメリカ史で「形成期(Formative Period)」や「形成段階(Formative stage)」という用語があるが時期については幅がある。(参考Formative stage(en.wikipedia) 

プレ・コロンブス期アメリカ大陸の主な文化圏(Major cultural areas of the pre-Columbian Americas):
1 北極圏(Arctic)
2 北西アメリカ(Northwest)
3 アリドアメリカ(Aridoamerica)

4 メソアメリカ(Mesoamerica)
5 イスモ・コロンビア地域(Isthmo-Colombian)
6 カリブ海地域(Caribbean)

7 アマゾン地域(Amazon)
8 アンデス地域(Andes)

主なメソアメリカ文明(中米)の先コロンブス期文明(略年表)
約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(※諸説あり)マヤ文明先古典期
約3200年前(紀元前1200年頃)~約2400年前(紀元前400年頃)オルメカ文明
約3000年前(紀元前1000年頃)古代マヤ文明※アグアダ・フェニックス遺跡
約2400年前(紀元前400年頃)~10世紀(900年頃)ティカル※マヤ文明大都市
約2400年前(紀元前400年頃)テオティワカン文明(メソアメリカ文明)
3世紀~17世紀マヤ文明(古典期・後古典期・接触期)
7世紀~12世紀トルテカ文明
(10世紀~16世紀頃チチメカ族)
14世紀~16世紀(1521年)アステカ文明

メソアメリカ文明(中米):
約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(メソアメリカ)

約3500年前(紀元前1500年頃)農耕(トウモロコシ、インゲン豆、カボチャ、トウガラシ、綿栽培など)、土器、織物など。都市文明に移行。

約3500年前(紀元前1500年頃)~約2400年前(紀元前400年頃)古代メソアメリカ文明の先古典期(形成期):
(紀元前1500年頃~紀元前400年頃)オルメカ文明(メキシコ):都市文明、石造建築、絵文字など。

約2000年前(紀元1世紀頃)~10世紀頃古代・中世前期メソアメリカ文明の古典期(開花期):
(紀元前2世紀~7世紀)テオティワカン文明(メキシコ・メキシコ高原)
・ユカタン半島マヤ文明(紀元前8世紀~17世紀1697年)マヤ文明
・7世紀頃メキシコ高原トルテカ文明

約1000年前(11世紀~15世紀)中世後期メソアメリカ文明の後古典期:
・11世紀頃メキシコ北部からユカタン半島チチメカ人
・14世紀頃アステカ人:アステカ王国建国(都テノチティトラン)
・15世紀頃アステカ文明繁栄期(チチェン=イツァーのピラミッド建設)
・11世紀~15世紀頃(中世後期)マヤ文明圏小国分立(キチュー、カクチクルなど)

アンデス文明
(備考)世界遺産に登録されているアンデス文明の遺跡の例
ウマウアカ
クスコ
サン・アグスティン
チャビン・デ・ワンタル
チャン・チャン
ティエラデントロ
ティワナク
サマイパタの砦
ナスカとフマナ平原の地上絵
マチュ・ピチュ
リオ・アビセオ国立公園

約5500年前(紀元前3500年頃)ノルテチーコ文明カラル遺跡(ペルー)

約5500年前(紀元前3500年頃/紀元前35世紀頃)~約3800年前(紀元前1800年頃/紀元前18世紀頃)ノルテ・チコ文明(アンデス文明:ペルー、ノルテチーコ)カラル遺跡(カラル・スーペ)中央アンデス神殿建築出現(参考)カラル遺跡(ウィキペディア)Caral(en.wikipedia)

※ノルテチーコ文明は、約5500年前(紀元前3500年頃)に現在のペルーのノルテチーコ地域一群の海岸渓谷に現れたアンデス文明のひとつ。アメリカ大陸最古級の文明のひとつ。世界で最初に独立した6つの文明の一つ。エジプトのピラミッドと同時期。メソアメリカのオルメカ文明より約2000年も古いと考えられている。(※諸説あり)。

ノルテ・チコ文明の特徴
・アンデス文明で特徴ある記録装置であるキープはノルテ・チコ文明から始まった。
・現在のペルー中北部沿岸のカラル地方に約30主要な人口密集地を有していた。
・紀元前3500年頃、ノルテ・チコ文明最初の都市がフォルタレザ地域のワリカンガに形成。

約5000年前(紀元前3000年頃)~約3800年前(紀元前1800年頃(南米ペルー)カラル遺跡の神殿:中央アンデス神殿建築出現。南北アメリカ大陸最大規模のピラミッド型神殿の建築。

約5500年前(紀元前3500年頃)バルディビア文化(エクアドル)

約5500年前(紀元前3500年頃)~約3800年前(紀元前1800年頃)バルディビア文化(エクアドル沿岸部)アメリカ大陸最古級の文明のひとつ。とくに土器の発見が多いことから南アメリカ大陸では最古の土器文化ともされる。
・バルディビア人は中央広場を囲む円形または楕円形に家々が建てられたコミュニティに定住。
・農業、漁業、狩猟(鹿狩り)。
・トウモロコシ、インゲン豆、カボチャ、キャッサバ、唐辛子、綿花を栽培。
・綿花は衣類
・土器・陶器(赤色、灰色)※日本の縄文土器の類似性も指摘されるが交流は不明。

約5000年前(紀元前3000年頃)コロンビアやエクアドルの海岸で土器製作開始、中部アメリカでトウモロコシ農耕の発展*1
約4500年前(紀元前2500年頃)中央アンデスで農耕・牧畜の発展*1
約4300年前(紀元前2300年頃)メキシコでプエルト・マルケス遺跡(土器)*1

紀元前20世紀中南米

紀元前20世紀中南米(ラテンアメリカ)史できごと:
約4000年前(紀元前2000年頃)中部アメリカにコロンビア、エクアドルの文化伝統が伝播*1
約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(マヤ文明先古典期)※メソアメリカ文明(中米)メキシコ、グアテマラ、ベリーズ

約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(マヤ文明先古典期)※メソアメリカ文明(中米)メキシコ、グアテマラ、ベリーズ

約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民(※諸説あり)
約3000年前(紀元前1000年頃)古代マヤ文明
約2800年前(紀元前8世紀頃)~16世紀頃マヤ文明(盛期)
マヤ文明はメソアメリカ(現在のメキシコ南部、グアテマラ、ベリーズ周辺)文明の古代文明の一つ。

※マヤ文明のはじまりは諸説あり。ポイントは「古代マヤ先住民」を起点とするか、「古代マヤ文明」を起点とするかで始まりの時期をいつにするか論点が分かれる。

「古代マヤ先住民」の存在は少なくとも約4000年前(紀元前2000年頃)とされている。(例)マヤ文明時代区分の例、1)約4000年前(紀元前2000年頃)~3世紀(250年頃)マヤ文明先古典(Preclassic)期、2)3世紀(250年頃)~10世紀(950年頃)マヤ文明古典(Classic)期、3)10世紀(950年頃)~16世紀(1539年)マヤ文明後古典(Postclassic)期、4)16世紀(1511年)~17世紀(1697年)マヤ文明接触(Contact)期」(参考)Maya civilization(en.wikipedia)、など。

「古代マヤ文明」では約3000年前(紀元前1000年頃)のアグアダ・フェニックス遺跡(マヤ低地、現在のタバスコ州)が近年発見された。(参考)マヤ文明と次世代考古学(公立小松大学次世代考古学研究センターマヤ文明世界遺産研究部門)アグアダ・フェニックス遺跡(Google検索)

なお、よく知られているマヤ文明の盛期は、約2800年前(紀元前8世紀頃)から17世紀(1697年)マヤ文明とされている。また、90年代までの伝統的なマヤ文明研究では3世紀~9世紀頃という定義もあった(世界史の教科書など)。

(※※私見ながら、個人的にはざっくりマヤの始まりはいつか?といえばマヤ先住民の時期から起点したほうがわかりやすいかとも思うのでここでは約4000年前(紀元前2000年頃)古代マヤ先住民の居住推定時期から記載はしている。ただ、この紀元前2000年頃の古代マヤ先住民の時期をマヤ文明の始まりと解釈すると、これまでメキシコ最古の文明とされてきた約3200年前(紀元前1200年頃)オルメカ文明より前にマヤ文明が始まったということになってしまう。ただし、この辺りは英語版wikipediaのメキシコの歴史関連記事などでも整合性がとれていない部分もある。よって、ややわかりづらいが当面は「古代マヤ先住民」と「マヤ文明」を分別して考えざるをえないのかと思う。いずれにせよマヤの起源については諸説ありで議論が続いているが、少なくとも最近のマヤ研究では従来より起源が古い説がある点は気に留めておいたほうがよいかと思われる。)

紀元前16世紀中南米

約3600年前(紀元前1600年頃)パラ期・オスコ期の土器文化*1(メソアメリカ)

メキシコ、メソアメリカ文明(最初期)バラ期・オコス期
約3800年前(紀元前1800年頃)~約3500年前(紀元前1500年頃)バラ期(Barra phase)(参考)Barra phase-Mesoamerican history(Britannica)
約3500年前(紀元前1500年頃)~約3200年前(紀元前1200年頃)オコス期(Ocós phase)
(参考)Mesoamerican civilization(Britannica)

紀元前15世紀中南米

紀元前15世紀ラテンアメリカ史できごと:中南米各地で先住民文化が台頭
約3500年前(紀元前1500年頃)~16世紀(1524年頃)チアパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)遺跡(メキシコ)
約3500年前(紀元前1500年頃)~13世紀(1200年頃)カミナルフユ遺跡(グアテマラ)
約3500年前(紀元前1500年頃)ムイスカ(チブチャ)族(南米コロンビア)
約3500年前(紀元前1500年頃)アラワク族(ベネズエラ)
約3500年前(紀元前1500年頃)クピスニケ(Cupisnique)文化(南米ペルー)
約3500年前(紀元前1500年頃)チリパ文化(南米ボリビア)

約3500年前(紀元前1500年頃)~16世紀(1524年頃)チアパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)遺跡(メキシコ)

チアパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)遺跡はメキシコ南部チアパス州のメソアメリカ文明遺跡のひとつ。(参考)チャパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo) wikipedia

約3500年前(紀元前1500年頃)~13世紀(1200年頃)カミナルフユ遺跡(グアテマラ)

カミナルフユ(Kaminaljuyu)は、グアテマラシティにあるプレコロンブス期のマヤ文明遺跡。周囲のグアテマラ渓谷や南マヤ地域における役割は諸説あり。(参考)カミナルフユKaminaljuyu)wikipedia

約3500年前(紀元前1500年頃)ムイスカ(チブチャ)族(南米コロンビア)

約1万3000年前エル・アブラ遺跡(南米コロンビア)
約3500年前(紀元前1500年頃)ムイスカ先住民(南米コロンビア)(参考)Muisca,Muisca era en.wikipedia
約2800年前(紀元前800年頃)~約2500年前(紀元前500年頃)ムイスカ族移住者第2派
9世紀(800年頃)~16世紀(1540年)ムイスカ連盟(参考)Muisca Confederations (political units) en.wikipedia

※ムイスカ(Muisca)族またはチブチャ(Chibcha)族:約3500年前(紀元前1500年頃)から16世紀頃までの南米コロンビアの先住民族のひとつ。コロンビア中央部から北東部のアルティプラノ・クンディボヤセンス高原に居住。とくに9世紀~16世紀には、中米のアステカ王国やマヤ王朝、南米インカ帝国などに次ぐプレ・コロンビア文化圏を形成したとされる(この9世紀~16世紀ムイスカ連盟期をムイスカ文明ともいう)。

※チブチャ語族:16世紀頃までに広がったムイスカ族(チブチャ族)が話していたチブチャ語(Chibchan language, Chibchano)などの言語グループはチブチャ語族とよばれ、イスモ・コロンビア地域の主要言語族だったとされる。

※イスモ・コロンビア地域(Isthmo-Colombian):16世紀頃までに広がったモスキート海岸(現在のホンジュラス南東部からニカラグアの東海岸)からコスタリカ、パナマ、コロンビア一帯のという古代文化圏。イスモ(英語 Isthmus, スペイン語Istmo)は地峡の意味。

(ムイスカ語、ムイスクブン語(モスカ語とも)。
1537年スペインによるヌエバ・グラナダ征服時にヨーロッパ人との最初の接触。

約3500年前(紀元前1500年頃)アラワク族(ベネズエラ)

アラワク族の起源
約3500年前(紀元前1500年頃)オリノコ川流域(現在のベネズエラ)にアラワク族が定住開始か。

・アラワク族はカリブ海に最初に定住した主要な集団か。
・アラワク族の言語は南米全域に広がった。
・アラワク族は広い言語的・文化的集団の総称:アラワク族には本土のロコノ族、カリブ海諸島のタイノ族、などを含む。
・アラワク族は南米の故郷からカリブ海全域に拡大・定住。
・西暦600年から950年頃にアラワク族の主要なサブグループであるタイノ族が、南アメリカからカリブ海に到来し、大アンティル諸島と小アンティル諸島北部に定住。
・15世紀タイノ族はラテンアメリカ先住民として初めてクリストファー・コロンブスに遭遇。

約3500年前(紀元前1500年頃)クピスニケ(Cupisnique)文化(南米ペルー)

クピスニケ文化は、紀元前1500年から紀元前500年頃まで、現在のペルー北部太平洋沿岸地域で栄えた先住民文化。アドベ建築様式。後に同じ地域で興隆したチャビン文化と共通する芸術様式や宗教的シンボルを有す、とされる。なお、クピスニケ(Cupisnique)文化とチャビン文化(Chavín culture)の関係は十分に解明されておらず、モチェ文化の祖先など諸説ある。(参考)Cupisnique(en.wikipedia)

約3500年前(紀元前1500年頃)チリパ文化(南米ボリビア)

ボリビアの歴史
ヴュルム氷期末人類がチチカカ湖周辺に定着か
約3500年前(紀元前1500年頃)~約2250年前(紀元前250年頃)チリパ文化(南米ボリビア、チチカカ湖沿岸)
紀元前1500年~紀元前1000年(チリパ前期)採取・狩猟
紀元前800年(チリパ中期)ラクダ科動物飼育、農耕
紀元前800年~紀元前250年(チリパ後期)祭事儀礼、基壇、地下式広場などの遺構
約2200年前(紀元前200年頃)~12世紀(1150年頃)ティワナク文化(南米ボリビア、チチカカ湖東岸、ティワナク遺跡)
4世紀(300年頃)~6世紀(500年頃)ティワナク文化の発展(大型祭祀建造物など)
12世紀~15世紀(1470年頃)アイマラ諸王国(南米ボリビア、チチカカ湖沿岸)
15世紀(1470年頃)~16世紀(1532年頃)アイマラ諸王国がインカ帝国の一部コリャ・スウユ(Colla Suyo)に編入。15世紀後半ボリビアはインカ帝国(ケチュア族、別名タワンティン・スウユ(ケチュア語 Tawantinsuyu))により征服され、コリャ・スウユ(Colla Suyo)の一部となった。(のちボリビアでもケチュア語が普及し公用語となる。高度な都市文明が発展。)
15世紀(1438年)~16世紀(1527年)インカ帝国=タワンティン・スウユ(ケチュア語 Tawantinsuyu、4つの州)
1 チンチャイ・スウユ(ケチュア語 Chinchay Suyo、北州)クスコ北方の北方海岸地方、旧チムー王国領(エクアドル)
2 コリャ・スウユ(ケチュア語 Colla Suyo、南州)クスコ南側からチチカカ湖周辺(ボリビア、チリ、アルゼンチン)
3 アンティ・スウユ(ケチュア語 Anti Suyo、東州)クスコ東側からアンデス山脈東側斜面、アマゾンのジャングル
4 クンティ・スウユ(ケチュア語 Conti Suyo、西州)クスコ西側から太平洋沿岸

紀元前14世紀中南米

紀元前14世紀ラテンアメリカ史できごと:
約3400年前(紀元前1400年頃)サポテカ文化(メソアメリカ)

約3400年前(紀元前1400年頃)サポテカ文化(メソアメリカ)

約3400年前(紀元前1400年頃)サポテカ文化(メソアメリカ)始まりか。

約3400年前(紀元前1400年頃)~16世紀(1521年)~現在:サポテカ(Zapotec)メキシコ南部オアハカ州先住民。紀元前7世紀頃からモンテ・アルバン(Monte Albán)都市を中心にサポテカ文明(Zapotec civilization)を興す。メソアメリカ文明の一つ。現在も約40万人以上のサポテカ族(Zapotec people)の子孫が居住。

約2700年前(紀元前700年頃)~16世紀(1521年)サポテカ文明(Zapotec civilization):
約2700年前(紀元前700年頃、紀元前7世紀頃)~8世紀(西暦700年頃)サポテカ文明都市モンテ・アルバン(Monte Albán)
8世紀(西暦700年頃)~15世紀(西暦1400年頃)サポテカ文明都市ミトラ(Mitla)
15世紀(西暦1400年頃)~16世紀(1521年)サポテカ文明都市ザーチラ(Zaachila)

その筆記システムはオルメカに影響したともされる。(参考)サポテカ文明Zapotec civilization)wikipedia

紀元前13世紀中南米

紀元前13世紀ラテンアメリカ史できごと:
約3300年前(紀元前1300年頃)チョレーラ文化(Chorrera culture)(エクアドル)

約3300年前(紀元前1300年頃)チョレーラ文化(Chorrera culture)(エクアドル)

(参考)Chorrera culture(en.wikipedia)エクアドルの歴史(ウィキペディア)

紀元前12世紀中南米

紀元前12世紀ラテンアメリカ史できごと:
約3200年前(紀元前1200年頃)~約3000年前(紀元前1000年頃)中部アメリカにオルメカ文化が形成され始める。*1 ***

約3200年前(紀元前1200年頃)~約2400年前(紀元前400年頃)オルメカ文明※メソアメリカ文明(中米)オルメカ文明(メソアメリカ)

約3200年前(紀元前1200年頃~紀元前400年頃)オルメカ文明(メソアメリカ)オルメカ文明はメソアメリカの先住民古代文明。オルメカの技術と概念がその没落後に周辺の文化に影響を与えた。筆記システム。オルメカ後に、マヤ、サポテカおよびテオティワカン文化が起こった。オルメカ文明の時期は諸説あり。オルメカ文明の時期は、一般的には約3200年前(紀元前1200年頃)~約2400年前(紀元前400年頃)オルメカ文明(参考)オルメカOlmecs)wikipediaほか参考文献*1***とされるが、博物館展示などで約3500年前(紀元前1500年頃)とされる場合もある。

紀元前11世紀中南米

紀元前11世紀ラテンアメリカ史できごと:
約3100年前(紀元前1100年頃)メソアメリカでトウモロコシ栽培か
約3100年前(紀元前1100年頃)南米アンデス北部(ベネズエラ・コロンビア・ペルーなど)でキャッサバ栽培拡大か(狩猟採集からの転換か)

紀元前10世紀中南米

紀元前10世紀ラテンアメリカ史できごと:
約3000年前(紀元前1000年頃)古代マヤ文明※アグアダ・フェニックス遺跡※メソアメリカ文明(中米)
約3000年前(紀元前1000年頃)~約2800年前(紀元前800年頃)オルメカ文化振興メソアメリカ文明の基礎確立。
約3000年前(紀元前1000年頃)アンデス文明の始まり。中央アンデスにチャビン文化成立。アンデス文明の基礎確立*1
約3000年前(紀元前1000年頃)チャビン文化(アンデス文明、ペルー)***

約3000年前(紀元前1000年頃)アンデス文明の始まり

南アメリカ大陸のアンデス山脈の高原とその周辺の文化の総称。前1000年頃のチャビン文化に始まり、15世紀のインカ文明が最も栄えた。16世紀にスペインに征服され急速に変質。南米大陸のアンデス山脈中の高地やその周辺部に生まれた、紀元前1000年頃から紀元後16世紀初めまでにおよぶ、独自の文化を総称してアンデス文明という。紀元前1000年頃のペルー北部におこったチャビン文化が初めて広範囲、普遍的な広がりを持つ文化として登場した。(参考)アンデス文明(世界史の窓)

約3000年前(紀元前1000年頃)チャビン文化(アンデス文明、ペルー)

約3000年前(紀元前1000年頃)または約2900年前(紀元前900年頃/紀元前9世紀頃)~約2300年前(紀元前300年頃/紀元前3世紀頃):チャビン文化(アンデス文明、ペルー)※チャビン文化(Chavín culture)はペルー高地(海抜3000m以上)のチャビン遺跡周辺の古代アンデス文明のひとつ。当時から交易ネットワークを構築し、農業を発展させた、とされる。チャビン文化では各地に神殿が建造。怪獣像や猫の彫刻の石柱など独自の建築様式が形成。(参考)チャビン文化(世界史の窓)ペルーの歴史(ウィキペディア)Chavín culture(en.wikipedia)

紀元前9世紀中南米

紀元前9世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2900年前(紀元前約900年頃)オルメカ象形文字(メソアメリカ文明)

約2900年前(紀元前約900年頃)オルメカ象形文字(メソアメリカ文明)

オルメカ象形文字(Olmec hieroglyphs)紀元前900年頃カスカハルの石塊(Cascajal block)とよばれる62文字のオルメカ象形文字が刻まれた石板。中米で最古級の古代文字ともされるがその真偽については諸説ある。(参考)Olmec hieroglyphs(en.wikipedia)カスカハルの石塊(ウィキペディア)

メソアメリカにはいくつかの古代文字があったとされるが起源などは諸説ある。
中米の古代文字(例):
紀元前900年頃?~オルメカ文字(Olmec writing)
紀元前600年頃~10世紀サポテク文字(Zapotec writing)
紀元前300年頃~16世紀マヤ文字(Maya writing)
2世紀頃エピ・オルメカ文字(オルメカ末期の文字)またはイスミア文字(Epi-Olmec or Isthmian script)ラ・モハラの文字
(参考)メソアメリカの文字(ウィキペディア)Mesoamerican writing systems(en.wikipedia)ラ・モハラの文字(ウィキペディア)

なお、南米(南アメリカ)の古代文字の起源については不明な点が多い。ただし、昨今の研究ではすくなくともアマゾン文化圏とアンデス文化圏の2つの主要な言語グループが存在したのではないかとも推論されている。(参考)Indigenous languages of South America

のち中南米でも多くの先住民の言語が生じる。(参考)アメリカ先住民諸語、Indigenous languages of the Americas(wikipedia)

(ただし、先住民言語の成立時期については、記録が残っていない点から文字体系の証拠は不詳な点が多く、「新大陸では文字がない」といった従来の古代ラテンアメリカ文明の特徴ともされてきた。現時点ではこれらを覆す物的証拠については不詳な点も多いが、上述のオルメカ文字のように少なくとも全く文字に類する言語コミュニケーションがなかったとは言い切れず、古代ラテンアメリカの言語は議論の余地がある。と筆者は考える。)

紀元前8世紀中南米カリブ

紀元前8世紀(紀元前800年~紀元前701年)ラテンアメリカ史できごと:
約2800年前(紀元前800年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)アラワク族の拡大(移住)カリブ諸島地域
約2800年前(紀元前800年頃)クィクィルコ遺跡(メキシコ)
約2800年前(紀元前800年頃)パラカス文化(ペルー)

約2800年前(紀元前800年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)アラワク族の拡大(移住)カリブ諸島地域

約2800年前(紀元前800年頃)クィクィルコ遺跡(メキシコ)

約2800年前(紀元前800年頃)クィクィルコ(Cuicuilco)メキシコ盆地(メキシコ中部、首都メキシコシティとその周辺に広がる盆地)のクィクィルコ(Cuicuilco)遺跡周辺でメキシコ先住民が定住開始。円形ピラミッド建設。(参考)クィクィルコCuicuilco)wikipedia

約2800年前(紀元前800年頃)パラカス文化(ペルー)

紀元前800~紀元前100年パラカス文化(ペルー)参考Paracas culture(en.wikipedia)

紀元前7世紀中南米

紀元前7世紀(紀元前700年~紀元前601年)ラテンアメリカ史できごと:
約2700年前(紀元前700年頃)メキシコのチアパデコルソ(Chiapa de Corzo )を中心とするソケ(Zoque)文化が成立
約2700年前(紀元前700年頃)~約2200年前(紀元前200年頃)メキシコ南西部のゲレロ州バルサス川流域でメスカラ文化(Mezcala culture)が成立
(参考)チアパデコルソ(Chiapa de Corzo (Mesoamerican site) )wikipedia
(参考)ソケ族(Zoque people)wikipedia
(参考)メスカラ文化(Mezcala culture)wikipedia
(参考)紀元前7世紀(ウィキペディア)

紀元前6世紀中南米

紀元前6世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2600年前(紀元前6世紀頃)中央アメリカにおけるオルメカ文明の衰退
(参考)6th century BC(en.wikipedia)

紀元前5世紀中南米

紀元前5世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2500年前(紀元前500年頃)オルメカ様式の神殿都市群、急速に衰退*1
約2500年前(紀元前500年頃)紀元前5世紀頃オルメカ文化を基礎にメソアメリカに地方文化発展。モンテ・アルバン文化の絵文字、暦法体系確立。メキシコ盆地に神殿都市クイクイルコ建設*1
約2500年前(紀元前500年頃)カリブ海諸島先住民(2)土器・陶器時代(農耕部族)
約2500年前(紀元前500年頃)ウパノ渓谷の古代都市(南米エクアドル)アマゾン文明
約2500年前(紀元前500年頃)ナスカの地上絵(南米ペルー)
約2500年前(紀元前500年頃)~約9世紀(西暦800年頃)モンテ・アルバン文化(メキシコ)サポテカ文明盛期

約2500年前(紀元前500年頃)カリブ海諸島先住民(2)土器・陶器時代(農耕部族)

約2500年前から約2300年前カリブ海諸島先住民(2)土器・陶器時代
約2500年前(紀元前500年頃)から約2300年前(紀元前300年頃)カリブ海諸島地域に農耕部族が渡来したか。アラワク族との関連も指摘される(※諸説あり)。
・土器時代:約2,500年から2,300年前、カリブ海地域に陶器の使用と農業に関連した新たな移住の波
・この集団はアラワク語を話す人々と関連があったか
・大アンティル諸島のアルカイック期の人口の大部分を置き換えたか
・実質的な人口規模は500人から1,500人と比較的小規模と推定
・古代先住民の人口と土器時代の人口の混血はごくわずかに発生
・近親者同士の結婚を避けたか。
・陶器の様式の変遷は必ずしも新たな移住と関連しているわけではなく、むしろカリブ海地域における思想と人々の拡散を反映か

約2500年前(紀元前500年頃)ウパノ渓谷の古代都市(南米エクアドル)アマゾン文明

約2500年前(紀元前500年頃)ウパノ渓谷の古代都市(南米エクアドル)アマゾン文明
※南米アマゾンとは:アマゾンは、南米大陸を流れるアマゾン川とその流域一帯。広大な熱帯雨林が広がり、世界最大の流域面積を持つアマゾン川が流れる。アマゾン流域にはブラジルを中心に、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビアなど6か国がある。

※アマゾン文明(Amazonian civilization):
アマゾンの熱帯雨林はかつて複雑で洗練された文明の拠点であり、人口がまばらで人が住めない地域という長年の認識に疑問を投げかけている。近年の発見、特にLIDAR技術を用いた調査により、数千年前に遡る大規模で相互につながった都市や大規模な土塁の証拠が明らかになっている。これらの発見は、アマゾン文化の多様性と、洗練された農業・都市計画の実践を浮き彫りにしている、とされる。

アマゾン文明の主要な側面:
初期の都市化:
エクアドルのウパノ渓谷で新たに発見された都市は、少なくとも2,500年前のものと推定され、アマゾンで知られている最も古い複雑な社会とされる。最近の発見:ウパノ渓谷の都市:LIDAR技術により、ウパノ渓谷には2500年前に遡る相互につながった都市網が存在し、高度な都市計画と農業の痕跡が残されている。

相互につながった集落:
これらの都市は、家屋、広場、道路、運河を備えた、相互につながった集落のネットワークの一部でした。

高度な農業:
堆肥化によるテラ・プレタ(黒土)の創出や高度な水管理システムなど、高度な農業技術が用いられていたことを示す証拠があります。テラ・プレタ(暗黒の土):
堆肥化によって肥沃なテラ・プレタが作られたことで、古代アマゾンの人々は栄養分の乏しい土壌を耕作することができ、持続可能な土地管理を行っていたことが分かります。

土塁と塚:
例えば、ボリビアのモニュメンタル・マウンド地域には、高さ20メートルを超えるものも含め、数百もの塚が土手道で繋がれており、優れた工学技術を物語っています。モニュメンタル・マウンド地域:
この地域の広大な土塁、運河、池の痕跡は、水資源を管理し農業を支える複雑なシステムの存在を示しています。

文化の多様性:
考古学的研究は、アマゾンの文化の多様性をますます明らかにしており、カサラベ文化やリャノス・デ・モホス文化といった特徴的な社会が、それぞれ独自の特徴を形成しています。

地上絵と村落:
衛星画像とコンピューターモデリングにより、南アマゾンには広大な地上絵と村落のネットワークが存在することが明らかになりました。これは、これまでの推定よりもはるかに多くの人口が居住していたことを示しています。

植民地時代の物語への挑戦:
これらの発見は、コロンブス以前のアマゾンに対する理解を再構築し、人口のまばらな景観という概念から脱却し、古代の住民の創意工夫と複雑さを浮き彫りにしています。
現代の思考への影響:
これらの古代社会の研究から得られる知識は、現代の環境管理と持続可能な生活への理解に影響を与えます。
アマゾン文明に関する継続的な研究は、この地域の古代住民の歴史、文化、そして創意工夫に関する貴重な知見をもたらし、長年信じられてきた仮説に疑問を投げかけ、現代への教訓を提供しています。

約2500年前(紀元前500年頃)ナスカの地上絵(南米ペルー)

紀元前500年頃~6世紀(西暦500年頃)ナスカの地上絵(The Nazca line)パラカス文化・ナスカ文化:
ナスカの地上絵は古代ペルーの2つの文化にまたがり作成されたとされる。
紀元前500年頃~3世紀(西暦200年頃)パラカス文化※ネコの絵※※紀元前800~紀元前100年パラカス文化(ペルー)
紀元前100年頃~9世紀(西暦800年頃)ナスカ文化(Nazca culture)

約2500年前(紀元前500年頃)~約9世紀(西暦800年頃)モンテ・アルバン文化(メキシコ)サポテカ文明盛期

約2500年前(紀元前500年頃)~約9世紀(西暦800年頃)モンテ・アルバン文化(メキシコ南部オアハカ盆地)サポテカ族の都市文明。サポテカ文明の中心都市。(参考)モンテ・アルバン(ウィキペディア)

紀元前4世紀中南米

紀元前4世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2400年前(紀元前400年頃)紀元前4世紀頃マヤ地方文化=イサパ、カミナルフユ文化形成*1
約2400年前(紀元前400年頃)~10世紀(900年頃)ティカル(Tikal)中米グァテマラ(マヤ文明)
約2400年前(紀元前400年頃)テオティワカン文明(メソアメリカ文明)

約2400年前(紀元前400年頃)~10世紀(900年頃)ティカル(Tikal)中米グァテマラ(マヤ文明)

約2400年前(紀元前400年頃)~10世紀(900年頃)ティカル(Tikal)中米グァテマラ(マヤ文明)ティカル※マヤ文明大都市※メソアメリカ文明(中米)※ティカル(Tikal)はグアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市。経済中心都市として紀元前4世紀から10世紀頃に繁栄。世界遺産。(参考)ティカル(ウィキペディア)Tikal(en.wikipedia)

約2400年前(紀元前400年頃)テオティワカン文明(メソアメリカ文明)

約2400年前(紀元前400年頃/紀元前4世紀頃~約1300年前(紀元7世紀頃)テオティワカン文明(メソアメリカ文明)※テオティワカン文明は、紀元前4世紀頃から紀元後7世紀ないし8世紀頃に、メソアメリカ(中米)で栄えた古代文明。とくに西暦150年から5世紀の間の絶頂期にはメソアメリカの大半を支配したとされる。(参考)テオティワカンTeotihuacan)wikipedia

紀元前3世紀中南米

紀元前3世紀アラテンアメリカ史できごと:
約2300年前(紀元前300年頃)紀元前3世紀頃~紀元前2世紀頃シトレ(Xitle)火山の噴火によりクィクィルコ(Cuicuilco)衰退*1
約2300年前(紀元前300年頃)マヤ文字

約2300年前(紀元前300年頃)マヤ文字

マヤ文字(紀元前300年頃~16世紀)中央アメリカ(メソアメリカ)のマヤ文明で使用された古代文字。
発見されたマヤ文字の起源は不詳。現時点では少なくとも
紀元前300年頃のサン・バルトロ遺跡壁画に記されたマヤ文字が根拠とされている。ただし、より古い時代にも文字があったとする説もある。

なお、南アメリカでの古代文字の起源も不明な点が多い。従来の見解ではただし、近年ブラジルでの古代言語研究(Jolkesky,2016)によれば、少なくとも、古代アマゾン文化圏と古代アンデス文化圏に
Jolkesky, Marcelo Pinho De Valhery. 2016. Estudo arqueo-ecolinguístico das terras tropicais sul-americanas. Ph.D. dissertation, University of Brasília.

紀元前2世紀中南米

紀元前2世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2200年前(紀元前200年頃)メキシコ盆地北東部に計画都市ティオテワカン建設。*1
約2200年前(紀元前200年頃)~約2050年前(紀元前50年頃)イサパ(izapa)文化(メキシコ・グアテマラ)
約2200年前(紀元前200年頃)タイロナ(Tairona)族(南米コロンビア)
約2200年前(紀元前200年頃)~11世紀(西暦1000年頃)ティワナク遺跡(南米ボリビア)
約2200年前(紀元前200年頃)アンデス地方にティアワナコ(ティワナク)、ナスカ、モチェなどの地方文化開花。*1

約2200年前(紀元前200年頃)~約2050年前(紀元前50年頃)イサパ(izapa)文化(メキシコ・グアテマラ)

イサパ(izapa)はメキシコ最南部・グアテマラ国境のマヤ地方文化のひとつ。マヤ地域はマヤ文明の繁栄したメキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ、ホンジュラス西端部、エルサルバドル西端部(参考)イサパizapaマヤ地域Maya Region)wikipedia

約2200年前(紀元前200年頃)タイロナ(Tairona)族(南米コロンビア)

約2200年前(紀元前200年頃)~16世紀頃:タイロナ(Tairona)族(南米コロンビア)タイロナ(Tairona)族は南米コロンビア北部沿岸部(現在のセサル県、マグダレーナ県、ラ・グアヒラ県)シエラネバダ・デ・サンタマルタ地域の先住民。チブチャン語族(ムイスカ、タイロナ、など)。タイロナ(Tairona)はのち人口を増やし、陶器や金工芸などの高い技術力とシャーマニズムなどの独特の文化で知られる。16世紀スペインのコロンビア制圧(バスティダスら)時に大きく人口減少したが一部は山地に逃げ込みタイロナ(Tairona)の子孫はコギ(Kogi)族、ウィワ(Wiwa)族、アルワコス(Arhuacos)族:イジュカ(Ijka)族、イフカ(Ifca)族、カンクアモ(Kankuamo)族として現在も居住。

なお、タイロナ(Tairona)の起源については諸説あり。約6000年前にはコロンビア・カリブ海沿岸部に半定住の先住民がいたとする説もあるが、これらがタイロナ(Tairona)の先祖かどうかは明らかではない。また、コロンビアのカリブ海沿岸では少なくとも約4500年前(紀元前2500年頃)の陶器が発見されているとされるがタイロナ(Tairona)族かは不明な点もある。

(参考記事)Tairona(en.wikipedia) , タイロナ(ウィキペディア)

約2200年前(紀元前200年頃)~11世紀(西暦1000年頃)ティワナク遺跡(南米ボリビア)

ティワナク(Tiwanaku)またはティアワナコ(Tiahuanaco)は約2200年前(紀元前200年頃)から11世紀(西暦1000年頃)まで栄えた南米ボリビア(チチカカ湖南岸、ラパス西部近郊)の古代文明。(参考)ティワナクTiwanaku)ウィキペディア

紀元前1世紀中南米

紀元前1世紀(紀元前100年~紀元前1年)ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前400年頃~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
※(参考)List of political entities in the 1st century BC

紀元前1世紀ラテンアメリカ史できごと:
約2100年前(紀元前100年頃)紀元前1世紀頃マヤ文字とマヤ暦法の確立*1(メソアメリカ文明)
約2100年前(紀元前100年頃)~8世紀(西暦700年頃)(中米)テオティワカン文化栄える*1(メソアメリカ文明)
約2100年前(紀元前100年)~紀元9世紀(西暦800年頃)(南米)ナスカ文化(アンデス文明)
約2036年前(紀元前36年頃)メキシコ、チアパス高地のチアパ・デ・コルソの石碑で年代記録*1(メソアメリカ文明)

約2100年前(紀元前100年)~紀元9世紀(西暦800年頃)(南米)ナスカ文化(アンデス文明)

ナスカ文化(Nazca culture)(参考)ナスカ文化ウィキペディア
紀元前500年頃~6世紀(西暦500年頃)ナスカの地上絵(The Nazca line)パラカス文化・ナスカ文化
紀元前500年頃~3世紀(西暦200年頃)パラカス文化※ネコの絵
紀元前100年頃~9世紀(西暦800年頃)ナスカ文化(Nazca culture)

1世紀中南米

1世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
※(参考)List of political entities in the 1st century

1世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
1世紀頃ラテンアメリカの主な先住民集団(北米)プエブロ(中米)マヤ、サポテカ、テオティワカン(南米)ナスカなど

2世紀中南米

2世紀ラテンアメリカ※主な政治的集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元2世紀西暦100年頃~紀元9世紀西暦800年頃)
※(参考)List of political entities in the 2nd century

2世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
2世紀後半 マヤ南部の石碑年代が中断 テオティワカンの勢力下に入る*1
2世紀(100年頃)~9世紀(800年頃)モチェ文化(ペルー北部)

2世紀(100年頃)~9世紀(800年頃)モチェ文化(ペルー北部)

2世紀(100年頃)~9世紀(800年頃)モチェ文化(ペルー北部)プレ・インカの先住民(参考)モチェ文化(ウィキペディア)Moche culture(en.wikipedia)

3世紀中南米

3世紀ラテンアメリカ※主な千十三集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
※(参考)List of political entities in the 3rd century

3世紀ラテンアメリカ史できごと:
(年表)
3世紀~17世紀マヤ文明栄える(古典期・後古典期・接触期)※メソアメリカ文明(中米)
3世紀 メソアメリカ全域にテオティワカン文化の影響広がる。 オアハカ地方ではモンテ・アルバンを中心とするサポテカ文化が最盛期。
3世紀 中央アンデスでは北海岸のモチェ、南海岸のナスカ、南高地のティアワナコなどで地方文化。*1

4世紀中南米

4世紀ラテンアメリカ※主な政治的集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀1000年頃)
※(参考)List of political entities in the 4th century

4世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
4世紀(300年頃) メソアメリカのマヤ文明がテオティワカンの侵入により中心を移す(マヤ古典文化)*1

5世紀中南米

5世紀ラテンアメリカ※主な政治的集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀1000年頃)
※(参考)List of political entities in the 5th century

5世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
5世紀グアテマラ、ティカルの北アクロポリスが建設(中米マヤ文明・古典期)
430年イロパンゴ火山が噴火し、現在のエルサルバドルにあったマヤの都市が壊滅。(中米マヤ文明・古典期)
455年メキシコにチチェン・イッツァ建設(中米マヤ文明・古典期)(参考)チチェン・イッツァ(ウィキペディア)世界遺産

6世紀~15世紀中世ラテンアメリカ史

6世紀~15世紀:中世ラテンアメリカ史できごと(略年表)
500年頃シヌー文化(南米コロンビア)
500年頃ワリ文化(南米ペルー)
500年頃ティワナク(Tiwanaku)文化(ボリビア)最盛期
525年頃(南米ペルー)ナスカ地上絵
540年(中米メキシコ)エルチチョン火山の爆発
6世紀 メソアメリカでテオティワカン影響力低下(石碑減少)*1
7世紀~10世紀 中央アンデスの統一的勢力ティアワナコ・ワリ文化が広域に影響。各地に城砦都市が建設1
7世紀(西暦600年)~11世紀(1000年)ペルー・ホライズン中期(Middle Horizon)ワリ(Wari)、ティワナク(Tiwanaku)、ピウラ(Piura)、ラス アニマス(Las Ánimas)、シカン(Sican)
7世紀後半~8世紀メキシコでテオティワカン滅亡。トルテカの時代始まる1
7世紀~12世紀トルテカ(メキシコ)
7世紀~17世紀頃カホキア(北米、イリノイ州)
709年頃 トラン・テオナンゴ建設1 テオテナンゴ(Teotenango)はメキシコ中部、メキシコ州にある遺跡。
752年頃 イダルゴ州トゥーラにトルテカ王国建設1
8世紀後半 メソアメリカ全域に羽毛の蛇神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)信仰の普及。城砦都市が盛んに。各地に多彩な美術様式の開花などを特色とする時代が始まる。*1
8世紀~12世紀頃古代チャコ人 プエブロ(北米ニューメキシコ州)
8世紀(750年頃~)オアシスアメリカ(Oasisamerica)
9世紀頃(約800年頃)カリブ族の拡大(移住)
800年~1000年頃 メソアメリカ文化が拡大。北部乾燥地帯にも都市文化が波及。都市間の抗争が一般化。学芸の発達。1
856年 メキシコ盆地のクルワカン、オトンパン、テオテナンゴ(Teotenango)の間に三都市同盟。1
895年 トゥーラの王セ・アカトル没。*1
9世紀後半~10世紀初め 低地マヤ諸都市が放棄される *1
10世紀~16世紀頃チチメカ族(メキシコ)
10世紀後半 ユカタン半島北部にいくつかの移動集団。マヤ文化の中心が移る。メキシコ北部乾燥地帯の都市が放棄。チチメカ人移動開始。 *1
968年~987年 イッツァ人(イツァ族)、チチェンに侵入 *1※イツァ族はマヤ系先住民(現在グアテマラ・ペテン県)。ユカタン半島の古代都市チチェン・イッツァを築いた。
987年~1007年 シウ族、ウシュマルに侵入 *1
1000年頃 チチメカ人、ミチョアカンのトルテカ文化を破壊 *1
1007年-1027年 ユカタン、マヤのチチェン・イッツァ(Chichen Itza)、ウシュマル (Uxmal) 、マヤパンの間に三都市同盟 *1
11世紀半ば メキシコ北部辺境からの移動集団チチメカ人がメキシコ中央部の諸都市を征服。メソアメリカ全土に拡大。パナマ地峡方面に至る。チチメカ人は南米北部や中米南部から伝わった治金術など新しい文化をメソアメリカに導入。*1
1044年 チチメカ人がテオテナンゴ(Teotenango)に侵入*1
1047年 チチメカ人がテオテナンゴ(Teotenango)を破壊*1
1054年 トゥーラのトルテカ王国破壊1
1067年 チチメカ人がトゥーラを破壊1
1070年 トゥーラの王ウェマクがメキシコ盆地のチャプルテベクで自殺1
11世紀~16世紀プレペチャ王国(メソアメリカ)
12世紀 メソアメリカ北部辺境からのチチメカ人大移動がチチメカ人の一派であるアステカ人や後のテスココ人などの移動をもって終わる。12世紀 中央アンデスの統一勢力ティアワナコ・ワリ衰退。
1185年 マヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)侵攻開始。
1194年 チチメカ人と同盟したマヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)を攻撃。ユカタンの三都市同盟の主導権を握る。
1204年 マヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)を征服。
12世紀~現代:アイマラ族(ボリビア、ペルー南部、チリ、アルゼンチン)
13世紀 アステカ・チチメカがメキシコ盆地に入る。チチメカ諸集団がメソアメリカ全域に広がり戦乱拡大。メキシコ盆地に後発チチメカ集団であるアステカ人と族長ショロトル率いるチチメカ人が侵入。1
1224年~1244年 ユカタン半島北部でマヤパン(Mayapan)のフナク・ケールの征服(1194年)に対するイッツァ人・イツァ族(Itza)とイサマル人の報復戦争1
13世紀後半 中央アンデスで最大勢力である北部海岸のチムー王国はじめ、中南部のチャンカイ、南部海岸のチンチャ、高地のクスコやチャンカなどの地方勢力形成。*1
13世紀(1200年頃)~15世紀(1438年頃)クスコ王国(ペルー)
14世紀頃(北米)イロコイ連邦 ホーデノソーニー
14世紀 メソアメリカでチチメカ諸集団が先住民の間に定着。オアハカ地方のミシュテカ諸王国が拡大。ミシュテカ美術工芸が発達。メキシコ西部のタラスコ人、グアテマラのマヤ・キチェー人などが台頭。ユカタン半島北部でチチェン・イッツァ(Chichen Itza)とウシュマル (Uxmal) の2都市が放棄。
14世紀 南アメリカの中央アンデスでは北部海岸のチムー王国が征服・拡大。アンデス南部高地のインカも征服活動を開始。1
14世紀(1325年)~16世紀(1521年)アステカ王国(メキシコ)
1325年~1346年 アステカ人がメキシコ盆地のテノチティトラに定着し盆地内の戦乱続く。1
1377年 アスカポツァルとコルワカン(Colhuacan)の戦争終結*1
1415年~1648年大航海時代
1427年 メキシコ盆地の最大勢力アスカポツァルコ王国テソソモク王没1
1428年 メキシコのアステカ王イツコアトル(Itzcoatl)とアコルワ王ネサワルコヨトルがトラコパン(Tlacopan)王国を滅ぼしメキシコ盆地内の主導権を握る。1
1431年 メキシコのネサワルコヨトル王が1418年に失ったテスココを奪回。1
1434年 メキシコでアステカの都テノチティトラン(Tenochtitlan)とテスココ、トラコパン(Tlacopan)が三都市同盟を結ぶ。1
15世紀(1438年)~16世紀(1533年)インカ帝国(ペルー)
1441年 メキシコ南部ユカタン半島北部の統一勢力マヤパン(Mayapan)がイッツァとシウ(Xiu)の連合軍の攻撃で陥落。1
15世紀(1441年)~19世紀大西洋奴隷貿易
1452年 メキシコ中央部で干ばつと飢餓発生1
1478年 メキシコ盆地でタラスコ王国が三都市同盟の攻撃を破り独立を保つ1
15世紀後半 南米アンデスでインカがチムー王国を征服。南北4000kmほどの広大なインカ帝国に成長。1
~1491年「先コロンブス時代」
1492年 コロンブスがバハマ諸島グアナハニ(Guanahani)島到着。エスパニョーラ島に根拠地建設。1
1494年 スペインとポルトガルが海外領土分割のためのトルデシリャス条約締結1

6世紀~15世紀:中世ラテンアメリカ史:
・ラテンアメリカ先住民史(3)
・先コロンブス期(3)

ここでは、世界史(おもに西洋史)の時代区分に準じて6世紀~15世紀*を中世ラテンアメリカ史としておく。ただし中世ラテンアメリカ史の時代区分は諸説ある。例えば、一般的な時代区分では15世紀以前のラテンアメリカ史はすべて「先コロンブス期(英語 Pre-Columbian era)」とされている。また、英語圏では、9世紀~14世紀頃を「古典期(英語 Classic stage)」と呼ぶ例などもある。

6世紀~8世紀:時代区分名不明
9世紀(800年)~14世紀(1300年)頃:古典期(英語 Classic stage)
15世紀(1438年)~16世紀(1533年)インカ帝国(ペルー)

*(備考)「中世」の時代区分は世界史・日本史でズレあり。
6世紀(約500年頃)~16世紀(約1500年頃)「中世」世界史(西洋史)
11世紀後(平安時代後期)~16世紀(戦国時代)「中世」日本史

6世紀中南米

6世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
500年頃シヌー文化(南米コロンビア)
500年頃ワリ文化(南米ペルー)
500年頃ティワナク(Tiwanaku)文化(ボリビア)最盛期
525年頃(南米ペルー)ナスカ地上絵(参考)ナスカの地上絵(ウィキペディア)
540年(中米メキシコ)エルチチョン火山の爆発
6世紀 メソアメリカでテオティワカン影響力低下(石碑減少)*1
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ

6世紀ラテンアメリカ※主な政治的集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテカ(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)
※(参考)List of political entities in the 6th century

6世紀(500年頃)シヌー文化(南米コロンビア)

6世紀(500年頃)~9世紀(800年頃)6世紀(500年頃)シヌー文化(南米コロンビア):コロンビア北部のカリブ海に注ぐシヌー川下流流域でシヌー文化が展開。近接するコロンビアのマグダレナ川上流の山岳地帯ではサン・アグスティン文化が展開。

6世紀(西暦500年頃)ワリ文化(南米ペルー)

6世紀(西暦500年頃)~10世紀(900年頃)ワリ文化(Wari culture)(南米ペルー北部)アンデス中央高地で繁栄したプレ・インカの文化。(参考)ワリ(ウィキペディア)Wari culture(en.wikipedia)

6世紀(500年頃)ティワナク(Tiwanaku)文化(ボリビア)最盛期

ボリビアのチチカカ湖周辺のティワナク文化が最盛期を迎える(ティワナクIV期前半)。ティワナク遺跡(南米ボリビア)の例:カラササヤ半地下神殿、アカパナ、カンタタリータ、プトゥニ、プマプンク(Pumapunku)、など。

6世紀(西暦500年頃~)カニャリ(Cañari)(アンデス文明、エクアドル)

6世紀(西暦500年頃~)カニャリ(Cañari)(アンデス文明、エクアドル)エクアドル南部の高地に居住。先コロンビア期で重要な部族の一つ。
主要都市:クエンカ
・織物、農業、陶器、そして金銀細工の優れた技術を持つ強力な部族。
・長く激しい戦いの末にインカに敗北
・のちスペイン側に立ってインカに対抗。

プレ・インカ時代/プレ・コロンブス期のアメリカ
紀元前500年~西暦500年頃(エクアドル地域開発期):カニャリ(Cañari)の起源は不明。ただ、陶器の存在などから、この時期にバルディビア(Valdivia)後のエクアドル先住民民族の移動や交流があり、カニャリの先駆けとなった可能性も推測されてはいる。エクアドル北部ではトゥンカワン文化が栄えた。
西暦500年 入植
西暦1470年 インカ征服
西暦1533年 スペイン帝国への併合

7世紀中南米

7世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
7世紀~10世紀 中央アンデスの統一的勢力ティアワナコ・ワリ文化が広域に影響。各地に城砦都市が建設*1
7世紀(西暦600年)~11世紀(1000年)ペルー・ホライズン中期(Middle Horizon)ワリ(Wari)、ティワナク(Tiwanaku)、ピウラ(Piura)、ラス アニマス(Las Ánimas)、シカン(Sican)
7世紀後半~8世紀メキシコでテオティワカン滅亡。トルテカの時代始まる*1
7世紀~12世紀トルテカ(メキシコ)
7世紀~17世紀頃カホキア(北米、イリノイ州)
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

7世紀ラテンアメリカ※主な政治的集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)
※(参考)List of political entities in the 7th century

7世紀~12世紀トルテカ(メキシコ)

7世紀頃 – 12世紀頃トルテカ族(メキシコ)※トルテカ(Toltec)族は、7世紀頃から台頭したメキシコの先住民、10世紀(950年)から12世紀(1150年頃1168年)にはメキシコのイダルゴ州トゥーラを中心とするトルテカ帝国を建国。言語はアステカでも使われた。(参考)トルテカ文明(ウィキペディア)Toltec(en.wikipedia)トルテカ帝国Toltec Empire)wikipedia
※トゥーラ(Tula)トルテカ王国の首都(参考)Tula (Mesoamerican site) wikipediaトゥーラ・シココティトラン(ウィキペディア)

7世紀~17世紀頃カホキア(北米、イリノイ州)※600年頃北米イリノイ州カホキア遺跡周辺に定住したとされる北米先住民族の古代文明。11世紀(1000年頃)中南米から伝わったと推測されるトウモロコシ栽培がカホキア周辺でも行われたことなどを契機に12世紀頃最盛期約5万人ほどの古代都市に発展。

8世紀中南米

8世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
709年頃 トラン・テオナンゴ建設*1 テオテナンゴ(Teotenango)はメキシコ中部、メキシコ州にある遺跡。
752年頃 イダルゴ州トゥーラにトルテカ王国建設*1
8世紀後半 メソアメリカ全域に羽毛の蛇神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)信仰の普及。城砦都市が盛んに。各地に多彩な美術様式の開花などを特色とする時代が始まる。*1(参考)ケツァルコアトル(ウィキペディア)Quetzalcōātl(en.wikipedia)
8世紀~12世紀頃古代チャコ人 プエブロ(北米ニューメキシコ州)
8世紀(750年頃~)オアシスアメリカ(Oasisamerica)
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

8世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)テオティワカン(紀元前100年~紀元8世紀)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)
※(参考)List of political entities in the 8th century

現在のアメリカ合衆国南西部やメキシコ北部となった所にいたプエブロ人は、日干し煉瓦造りのような大きな石造り家屋に住んでいた。彼等は現在アリゾナ州、ニューメキシコ州、ユタ州、コロラド州およびその周辺に住んでいる。
キニチ・カン・バラム2世、古典期のパレンケ支配者、石碑に描かれている。

8世紀(750年頃~)オアシスアメリカ(Oasisamerica)北中米(米国南西部アリゾナ州・ニューメキシコ州およびメキシコ北部)先住民の文化圏。
オアシスアメリカ(Oasisamerica)の主な文化圏;
8世紀(約750年~プエブロ族祖先(Ancestral Pueblo peoples)
・ホホカム(Hohokam)
・モゴロン(Mogollon)
・フレモント(Fremont)
・パタヤ(Pataya)

9世紀中南米カリブ

9世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
9世紀頃(約800年頃)カリブ族の拡大(移住)
800年~1000年頃 メソアメリカ文化が拡大。北部乾燥地帯にも都市文化が波及。都市間の抗争が一般化。学芸の発達。*1
856年 メキシコ盆地のクルワカン、オトンパン、テオテナンゴ(Teotenango)の間に三都市同盟。*1
(参考)コルワカンColhuacan)wikipedia コルワカンまたはクルワカンはメキシコ盆地のテスココ湖にあった都市国家。
895年 トゥーラの王セ・アカトル没。*1
9世紀後半~10世紀初め 低地マヤ諸都市が放棄される *1
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

9世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)トルテカ(7世紀頃 – 12世紀頃)
(南米)ナスカ(紀元前100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)モチェ(紀元後100年~紀元9世紀西暦800年頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)
(参考)List of political entities in the 9th century

9世紀頃(約800年頃)カリブ族の拡大(移住)

※カリブ族のカリブ諸島地域への移住については、従来12世紀~13世紀頃とされてきた(参考)石塚道子編『カリブ海世界』1991)が、上述のとおり、最近ではNature論文などで9世紀(約800年頃)に移動したとされている。
カリブ族とは南アメリカを原住地とするカリブ語系先住民。また、カリブ族は3つに分類される。(参考)カリブ族(ウィキペディア)
1)カリナゴ(Kalinago)人・別名島嶼カリブ族(island Caribs)西インド諸島は小アンティル諸島(参考)Kalinago(en.wikipedia)
2)ガリフナ(Garifuna)人・別名ブラック・カリブ(black Carib)中米カリブ海沿岸(参考)Garifuna(en.wikipedia)
3)カリナ(Kalina)人・別名大陸カリブ(mainland Caribs)コロンビア、南アメリカのベネズエラ、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルなど。(参考)Kalina people(en.wikipedia)

10世紀中南米

10世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
10世紀~16世紀頃チチメカ族(メキシコ)
10世紀後半 ユカタン半島北部にいくつかの移動集団。マヤ文化の中心が移る。メキシコ北部乾燥地帯の都市が放棄。チチメカ人移動開始。 *1
968年~987年 イッツァ人(イツァ族)、チチェンに侵入 *1※イツァ族はマヤ系先住民(現在グアテマラ・ペテン県)。ユカタン半島の古代都市チチェン・イッツァを築いた。(参考)イツァ族Itza people)wikipedia
※チチェン・イッツァ(Chichen Itza)はメキシコ南部のユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡。世界遺産。(参考)チチェン・イッツァChichen Itza)wikipedia
987年~1007年 シウ族、ウシュマルに侵入 *1※シウ(Xiu)族はユカタン半島中央部の古代先住民のひとつ。
※ウシュマル (Uxmal) は、6世紀(500年頃)から8世紀(700年)の間に成立したとされる、メキシコ南部のユカタン半島北西部プウク地方にあるマヤ文明の古代都市遺跡。魔法使いのピラミッドなど。世界遺産。(参考)ウシュマル (Uxmal) wikipedia
※15世紀(1441年)~16世紀(1547年)トゥトゥル・シウ(Tutul-Xiu)首長国は16世紀にスペインの征服者が到来する以前、ユカタン半島中央部に首都マニを置いていたマヤの首長国。(参考)Tutul-Xiu(en.wikipedia)
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

10世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(中米)マヤ(紀元前2000年頃~紀元10世紀頃)
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)トルテカ(7世紀頃 – 12世紀頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)

10世紀~16世紀頃チチメカ族(メキシコ)

チチメカは現在のメキシコ北部に住んだ半遊牧的民族の総称。アステカ民族の前身ともされる。

11世紀中南米

11世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
1000年頃 チチメカ人、ミチョアカンのトルテカ文化を破壊 *1
1007年-1027年 ユカタン、マヤのチチェン・イッツァ(Chichen Itza)、ウシュマル (Uxmal) 、マヤパンの間に三都市同盟 *1
11世紀半ば メキシコ北部辺境からの移動集団チチメカ人がメキシコ中央部の諸都市を征服。メソアメリカ全土に拡大。パナマ地峡方面に至る。チチメカ人は南米北部や中米南部から伝わった治金術など新しい文化をメソアメリカに導入。*1
1044年 チチメカ人がテオテナンゴ(Teotenango)に侵入*1
1047年 チチメカ人がテオテナンゴ(Teotenango)を破壊*1
1054年 トゥーラのトルテカ王国破壊*1
1067年 チチメカ人がトゥーラを破壊*1
1070年 トゥーラの王ウェマクがメキシコ盆地のチャプルテベクで自殺*1
11世紀~16世紀プレペチャ王国(メソアメリカ)
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

11世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)トルテカ(7世紀頃 – 12世紀頃)
(南米)ティワナク(紀元4世紀西暦300年頃~11世紀西暦1000年頃)
(南米)ワリ(6世紀西暦500年頃~11世紀西暦1000年頃)

11世紀~16世紀プレペチャ王国(メソアメリカ)

11世紀(1100年頃)~16世紀(1530年頃)プレペチャ王国(タラスコ王国):プレペチャ族による王国すなわちタラスコ王国は西暦1000年頃にメソアメリカに現れた。彼等は西暦1100年から1530年まで繁栄した。現在でもミチョアカン州に住み続けている。彼等は勇猛な戦士であり、その栄光の時代には決して征服されることなく、アステカの支配から広大な地域を守った。

12世紀中南米

12世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
12世紀 メソアメリカ北部辺境からのチチメカ人大移動がチチメカ人の一派であるアステカ人や後のテスココ人などの移動をもって終わる。12世紀 中央アンデスの統一勢力ティアワナコ・ワリ衰退。
1185年 マヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)侵攻開始。
1194年 チチメカ人と同盟したマヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)を攻撃。ユカタンの三都市同盟の主導権を握る。
1204年 マヤパンがチチェン・イッツァ(Chichen Itza)を征服。
12世紀~現代:アイマラ族(ボリビア、ペルー南部、チリ、アルゼンチン)
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ

12世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)トルテカ(7世紀頃 – 12世紀頃)
12世紀~現代:アイマラ族(ボリビア、ペルー南部、チリ、アルゼンチン)

マヤパン(Mayapan)1220年代後半から1440年代までユカタン半島におけるマヤの政治的中心(参考)マヤパンMayapan)wikipedia

12世紀~現代:アイマラ族(ボリビア、ペルー南部、チリ、アルゼンチン)

12世紀頃アイマラ族祖先がティワナク文明崩壊頃にチリやペルー南部の海岸部から北上(※諸説あり)
13世紀アイマラ諸王国(ルパカ、パカヘ、コリャなど)チチカカ湖沿岸
(参考)アイマラ(ウィキペディア)Aymara people(en.wikipedia)

13世紀中南米

13世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
13世紀 アステカ・チチメカがメキシコ盆地に入る。チチメカ諸集団がメソアメリカ全域に広がり戦乱拡大。メキシコ盆地に後発チチメカ集団であるアステカ人と族長ショロトル率いるチチメカ人が侵入。*1
1224年~1244年 ユカタン半島北部でマヤパン(Mayapan)のフナク・ケールの征服(1194年)に対するイッツァ人・イツァ族(Itza)とイサマル人の報復戦争*1
13世紀後半 中央アンデスで最大勢力である北部海岸のチムー王国はじめ、中南部のチャンカイ、南部海岸のチンチャ、高地のクスコやチャンカなどの地方勢力形成。*1
13世紀(1200年頃)~15世紀(1438年頃)クスコ王国(ペルー)

13世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(南米)クスコ(13世紀1200年頃~15世紀1438年頃)
・13世紀以降(西暦1200年以降)ラテンアメリカ史を後古典期とする場合もある。

13世紀(1200年頃)~15世紀(1438年頃)クスコ王国(ペルー)

13世紀(1200年頃)~15世紀(1438年頃)クスコ王国(ペルー)
:クスコ王国はペルー南東部のアンデス山脈高地のケチュア族の一派による部族。のち15世紀頃に成立するインカ帝国の前身。(参考)クスコ王国Kingdom of Cusco)wikipedia

14世紀中南米

14世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
14世紀頃(北米)イロコイ連邦 ホーデノソーニー
14世紀 メソアメリカでチチメカ諸集団が先住民の間に定着。オアハカ地方のミシュテカ諸王国が拡大。ミシュテカ美術工芸が発達。メキシコ西部のタラスコ人、グアテマラのマヤ・キチェー人などが台頭。ユカタン半島北部でチチェン・イッツァ(Chichen Itza)とウシュマル (Uxmal) の2都市が放棄。
14世紀 南アメリカの中央アンデスでは北部海岸のチムー王国が征服・拡大。アンデス南部高地のインカも征服活動を開始。*1
14世紀(1325年)~16世紀(1521年)アステカ王国(メキシコ)
1325年~1346年 アステカ人がメキシコ盆地のテノチティトラに定着し盆地内の戦乱続く。*1
1377年 アスカポツァルとコルワカン(Colhuacan)の戦争終結*1

14世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(北米)プエブロ(紀元前1200年頃~紀元14世紀)
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)アステカ(14世紀~16世紀)
(南米)クスコ(13世紀1200年頃~15世紀1438年頃)

アスカポツァルコ(Azcapotzalco)はメキシコシティ北部の先住民(参考)アスカポツァルコ(Azcapotzalco)wikipedia

北米オンタリオ湖南岸のアメリカ先住民居住区。ホーデノソーン

14世紀(1325年)~16世紀(1521年)アステカ王国(メキシコ)

14世紀(1325年)~16世紀(1521年)アステカ王国(メキシコ)アステカは14世紀ころにその帝国を建設し始めており、その文明はスペインの征服によって急速に滅んだ。彼等はメソアメリカや周辺の地域に住んだ。アステカ王国の首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)は全時代を通じて最大級の都市だった。

15世紀中南米

15世紀ラテンアメリカ史できごと(略年表)
1415年~1648年大航海時代
1427年 メキシコ盆地の最大勢力アスカポツァルコ王国テソソモク王没*1
1428年 メキシコのアステカ王イツコアトル(Itzcoatl)とアコルワ王ネサワルコヨトルがトラコパン(Tlacopan)王国を滅ぼしメキシコ盆地内の主導権を握る。*1
1431年 メキシコのネサワルコヨトル王が1418年に失ったテスココを奪回。*1
1434年 メキシコでアステカの都テノチティトラン(Tenochtitlan)とテスココ、トラコパン(Tlacopan)が三都市同盟を結ぶ。*1テノチティトラン(Tenochtitlan)※古代アステカ王国の首都。今は埋め立てられたテスココ湖(現在のメキシコシティ)に建設された古代の巨大都市。(参考)テノチティトランTenochtitlan)wikipedia
15世紀(1438年)~16世紀(1533年)インカ帝国(ペルー)
1441年 メキシコ南部ユカタン半島北部の統一勢力マヤパン(Mayapan)がイッツァとシウ(Xiu)の連合軍の攻撃で陥落。*1
15世紀(1441年)~19世紀大西洋奴隷貿易
1452年 メキシコ中央部で干ばつと飢餓発生*1
1478年 メキシコ盆地でタラスコ王国が三都市同盟の攻撃を破り独立を保つ*1
15世紀後半 南米アンデスでインカがチムー王国を征服。南北4000kmほどの広大なインカ帝国に成長。*1
~1491年「先コロンブス時代」
1492年 コロンブスがバハマ諸島グアナハニ(Guanahani)島到着。エスパニョーラ島に根拠地建設。*1
1494年 スペインとポルトガルが海外領土分割のためのトルデシリャス条約締結*1
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、

15世紀ラテンアメリカ※主な先住民集団:
(中米)サポテク(紀元前700年頃~紀元16世紀西暦1521年頃)
(中米)アステカ(14世紀~16世紀)
(南米)インカ帝国(15世紀(1438年)~16世紀(1533年))

1415年~1648年大航海時代

1415年~1648年大航海時代(増田義郎先生説)
1415年アフリカ大陸北岸都市セウタ攻略(ポルトガル)
(三十年戦争)
1648年ユーラシア大陸最東端チュクチ半島デジニョフ岬到達(ロシア人探検家セミョン・デジニョフ)
(参考)大航海時代(ウィキペディア)Age of Discovery(en.wikipedia)

15世紀(1438年)~16世紀(1533年)インカ帝国(ペルー)

15世紀(1438年)~16世紀(1533年)インカ帝国(ペルー)
1438年から1533年までインカ帝国(首都クスコ)がアンデス山脈地域を支配。ケチュア語の「タワンティン・スウユ」すなわち「4つの地域の土地」として知られるインカ文化は高度に傑出し発展。山岳地帯に建設された古代インカの都市は高い技術の石造建築。山地地形に適応した棚畑農業。優れた金属加工もあった。脳手術まで行われたとされる。

15世紀(1441年)~19世紀大西洋奴隷貿易

1441年頃ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易(英語版)は、1441年にポルトガル人アントン・ゴンサウヴェス(英語版)が、西サハラ海岸で拉致したアフリカ人男女をポルトガルのエンリケ航海王子に献上したことに始まる。16世紀以降、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスといったヨーロッパ諸国が本格的に奴隷貿易に乗り出し、16世紀から18世紀にかけて「三角貿易」体制が本格化、19世紀に入ると、イギリスが1807年に奴隷貿易を法律で廃止するなど、多くの国で廃止が進み、貿易は終焉を迎えた。(参考)奴隷貿易大西洋奴隷貿易(ウィキペディア)、Atlantic slave trade(en.wikipedia)

~1491年「先コロンブス時代」

先コロンブス時代:1492年イタリアの探検家クリストファー・コロンブスがカリブ海地域に到達した年以前の総称。(参考)先コロンブス期Pre-Columbian era)wikipedia

15世紀末~18世紀近世ラテンアメリカ史

15世紀末~18世紀:近世ラテンアメリカ史

(備考)
ラテンアメリカ史の一般的な時代区分は先コロンブス時代、植民地時代、独立国家の時代の3つに大別される。
先コロンブス時代:1492年イタリアの探検家クリストファー・コロンブスがカリブ海地域に到達した年以前の総称。
植民地時代:1492年以降の植民地時代は、スペインとポルトガルの両国による絶対王権によって統治された約300年間を指す。ラテンアメリカ地域の領有権の正当性は教皇によって与えられたものであったが、これを無視したオランダ、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンなどのヨーロッパ諸国はカリブ海域の多くの島々や大陸の一部を占領・支配した。
独立国家の時代:19世紀~現代:1804年ハイチ独立から1983年クリストファーネイビス独立まで。近現代アメリカ史に記載。
(参考)ラテンアメリカの歴史(世界史の窓)

15世紀末~18世紀近世ラテンアメリカ史できごと(略年表)
1492年コロンブスが新大陸に到着***
1494年トルデシリャス条約、スペインとポルトガルによる領土分割***
1500年カブラルがブラジル到着***
1503年エンコミエンダ制(スペインの植民地住民支配制度)の導入***
1513年バルボアがパナマ地峡を横断***
1519年コルテスがアステカ帝国征服に着手***
1519年パナマ市の建設***
1521年コルテスがアステカ帝国征服を完了***
1524年スペインが本国にインディアス顧問会議を設置***
1524年ピサロが第1回ペルー遠征航海***
1524年アルバラドがグアテマラ市を建設***
1526年ピサロが第2回ペルー遠征航海***
1527年メキシコにアウディエンシア設置***
1531年ピサロが第3回ペルー遠征航海***
1532年ペルーでカハルマカの戦い(ピサロがアタワルパを捕え翌年処刑)***
1533年ペルーでインカ帝国(インカ王権)の滅亡***
1534年ペルーでピサロがクスコ市建設***
1534年メキシコに初代スペイン副王メンドーサ着任***
1535年スペイン人アルマグロがチリ方面への征服行へ出発***
1535年ペルーのリマ市建設***
1536年スペインのメンドーサがブエノスアイレスを建設***
1536年インカ帝国15代皇帝マンコ・インカ・ユパンキ軍がクスコを包囲***
1537年パラグアイでアスンシオンの建設***
1537年アルマグロがクスコ占領***
1538年ペルー(クスコ郊外)でラスサリナスの戦い(アルマグロ斬首)***
1541年スペイン人バルディビアがチリにサンチアゴ市建設***
1541年アルマグロ派がピサロを暗殺***
1542年スペインでインディアス新法発布***
1542年アルマグロ派が王党軍に敗れる***
1544年初代ペルー副王ブラスコ着任***
1545年ボリビアでポトシ銀山発見***
1546年ペルーでゴンサーロの反乱***
1548年ペルーでゴンサーロ斬首刑***
1549年ポルトガルがブラジルに総督を置く***
1552年ラスカサスが『聴罪規定』出版***
1553年ペルーでエルナンデス・ヒロンによる蜂起***
1557年スペン人ノゲロルが密輸と重婚で投獄***
1564年頃ペルーでタキ・オンコイ運動か***
1569年スペイン人トレドがペルー副王就任***
1569年スペインのフェリペ2世がメキシコ市とリマに異端審問設置を命ずる***
1570年頃ブラジル北東部の砂糖ブーム始まる***
1571年ペルーのリマにセルカードの設置***
1572年スペイン人ガンボア『インカ史』上梓***
1572年インカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルの処刑***
1590年メンドーサがペルー副王に就任***
1591年リマ市でコパカバーナの黒いマリアの奇跡***
1607年イエズス会がパラグアイ管区を創設グアラニー人布教に着手***
1609年スペイン・オランダ間に12年間の休戦***
1609年アビラがリマの大広場で偶像を焼却***
1609年ガルシラーソ『インカ皇統記』刊行***
1613年支倉常長らがメキシコに到着***
1613年リマ市で人口調査***
1621年オランダが西インド会社設立***
1624年イギリスとフランスの植民団がカリブ海のセントキッツ島(セントクリストファー島)に入植***
1624年~1625年オランダ西インド会社がブラジルのバイーアを占領***
1627年イギリスがバルバドス島に入植***
1630年~1654年オランダ西インド会社がペルーのペルナンブコを占領***
1633年ペルーのサン・ラサロのインディオが聖母を旧市街に帰還させる***
1635年フランスがカリブ海のマルティニーク島とグアドループ島に入植***
1655年イギリスがスペイン領ジャマイカを奪取***
1662年インディオ首長のコリャドバがフェリペ4世に『覚書』を提出しインディオの苦境を訴える***
1670年スペインがマドリッド条約でイギリスのジャマイカ領有を認める***
1693年ブラジルのミナスジェライスで金鉱発見***
1697年スペインがライスワイス条約でフランスのサンドマング(のちのハイチ)領有承認***
1717年ヌエバ・グラナダに副王おかれる***
1721年ハバナ大学創設***
1739年~1948年イギリス・スペイン間にジェンキンスの耳戦争***
1742年ペルーでサントス・アタワルパの蜂起***
1748年リマで大地震***
1750年リマでインディオの動乱計画が露見***
1750年カリスト『インディオの嘆き』をスペイン国王に渡す***
1762年イギリスがハバナを占領***
1763年ブラジルが総督府をバイーアからリオデジャネイロに移転***
1764年キューバにインテンデンテ(監察官)配置(この後インテンデンシア制がスペイン領各地に施行)***
1767年イエズス会がスペイン植民地から追放***
1776年アルゼンチンのラプラタに副王置かれる***
1777年全権巡察官アレチェがペルーに赴任***
1778年スペインが植民地自由貿易勅令を発布***
1780年~1782年ペルーでトゥパク・アマルの反乱***
1781年ヌエバ・グラナダでコムネーロの反乱***
1791年サンドマング(ハイチ)で奴隷の決起ハイチ革命始まる***
1796年スペインが革命フランスと軍事同盟締結***
1799年ルヴェルチュールがフランス領サンドマング(ハイチ)総督に任命***
(参考)***高野均・網野徹哉.ラテンアメリカ文明の興亡.中央公論社,1997
★詳細年表は各世紀に記載。

15世紀末ラテンアメリカ~1492年コロンブス~植民地時代

ヨーロッパ人による再発見と植民地化

1492年コロンブスの大西洋横断グアナハニ(Guanahani)島(現在のバハマ諸島サン・サルバドル島)到着(参考)アメリカ大陸の発見(ウィキペディア)、バハマ諸島サン・サルバドル島地図

植民地時代:
15世紀から19世紀の新世界における植民地の例:
・スペインによるアメリカ大陸の植民地化(1492年)
・ヌエバ・エスパーニャ副王領(1535年~1821年)
・ペルー副王領(1542年~1824年)
・スペイン領本土
・スペイン領西インド諸島
・グアテマラ総督
・イギリス領アメリカ/13植民地(1584年/1607年~1776年/20世紀)
・フランス領サン=ドマング(1659年~1804年)
・デンマーク領西インド諸島
・ニューネーデルラント
・ヌーベルフランス
・ベネズエラ総督
・ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化(1499年~1822年)
・ブラジル植民地(1500年~1815年)
(参考)アメリカ大陸史・植民地時代(ウィキペディア)History of americas-colonial period(en.wikipedia)

16世紀中南米

16世紀ラテンアメリカ史できごと:大西洋奴隷貿易本格化(1)
(年表)
1500年ポルトガルの遠征隊がブラジルに到着*1
1500年頃メキシコでアステカ王国主導のメキシコ盆地勢力がタラスコほかの独立王国を抱えながら広範囲を支配*1
1502年コロンブスが第4回航海で中米沿岸に至る。オバンドがエスパニョーラ島総督として着任しレコンキスタの本格的移動始まる。*1
1503年スペインが植民地との貿易を統括する通商院を本国に設置*1。
1503年ポルトガルがインドで最初の植民地コーチ(コーチン)を獲得する*2。
1503年頃アメリゴ・ベスプッチが『新世界』を刊行*2
1505年スリランカにポルトガル人が到来、コロンボに要塞を築き、海岸地帯を占領(ポルトガル領セイロン) 。*2
1507年ポルトガルがモザンビーク島に要塞を築く*2
1508年スペイン人ポンセ・デ・レオンがプエルトリコ島征服*1
1509年ポルトガルがイスラム勢力に勝利しインド洋覇権(ディーヴ沖海戦)*2
1507年ドイツ人ヴァルトゼーミュラー『世界誌概説』出版(世界地図に「アメリカ」の名称が初めて使用)。*2
1511年スペイン人ベラスケスがキューバを占領。ベラスケスがキューバ総督となる。*1*2
1513年スペイン人バルボアがパナマ地峡を横断。西回りにより太平洋に到達する。*1*2
1517年スペイン人コルドバがメキシコのユカタン半島上陸。*1*2
1518年スペイン人グリハルバがメキシコのユカタン半島沿岸探検航海*1
1519年スペイン人コルテスがメキシコのベラクルスに上陸。アステカ軍との戦闘に突入*1。
1519年スペイン人がパナマ市を建設*1。
1520年ポルトガル人マゼランがラプラタ川から南下してパタゴニアに到着。パタゴニアで狩猟採集生活をする原住民テウェルチェ族(伝説の巨人パタゴンのモデル)に遭遇。パタゴニアを経由してマゼラン海峡を発見し太平洋へ到達。*2
1521年マゼランが太平洋経由でグアム島からフィリピンへ到達。*2
1521年メキシコのアステカ帝国がスペイン人コルテスにより征服される。*2
1524年スペインがアメリカ大陸の最高統治機構インディアス枢機卿会議を本国に設置*1
1527年事実上のイタリアでの盛期ルネサンスの終了*2
1528年コルテスがスペインに一時帰国し国王カルロス1世にカカオその他の新大陸の産物を献上。*2
1531年メキシコで「グアダルーペの聖母」が出現。*2
1532年ポルトガルがブラジル北東部に植民地を建設*1
1533年インカ帝国がスペイン人ピサロにより征服される。*1*2
1534年ポルトガルがブラジルにカピタニア制をしく*1
1535年フランス人ジャック・カルティエ第2回探検行。北米合衆国イロコイ族の村落オシュラガの山をモンロワイヤルと命名。*2
1535年スペインがチュニスを占領し、ハフス朝を保護下に置く。*2
1535年スペインの初代メキシコ副王赴任。メキシコシティを首都にヌエバ・エスパーニャ副王領を設置。*1*2
1536年スペイン(バスク人)メンドサがブエノスアイレス建設*1
1537年スペインの探検団がパラグアイ川畔にヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオンを建設(現パラグアイの始まり)。*2
1538年スペイン人ケサダがコロンビアのチブチャ王国を征服。ボゴタ市建設*1
1541年スペイン人ソトが北アメリカのミシシッピ川に到達。*2
1542年スペイン人宣教師ラス・カサスの陳情により神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)がインディアス新法公布。*1
1542年スペインがペルー副王領設置*1
1543年スペイン(ヌエバ・エスパーニャ副王領)グアテマラ総督領発足*1
1543年種子島にポルトガル人が来訪、日本へ鉄砲伝来。ニコラウス・コペルニクスが『天体の回転について』で地動説・太陽中心説を発表。解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスが『ファブリカ』を刊行。*2
1545年スペイン人によりボリビア南部ポトシ銀山が発見される。*1*2
1546年スペイン人メンドーサによりメキシコの鉱山都市グアナファトが築かれる。*2
1546年~1548年スペイン人がメキシコのサカテカス銀山発見。サカテカス銀山開発。メキシコのシルバー・ラッシュ始まる。*2
1549年バスク人フランシスコ・ザビエルの鹿児島来訪により、日本にキリスト教が伝来。*2
1549年ブラジル初代総督ポルトガル人ソウザ着任
1550年平戸に初めてポルトガル商船が入港。ザビエルの平戸上陸。*2
1551年ザビエルが京都に到着、以後山口や豊後を歴訪し、インドに戻る。1552年没。*2
1552年スペイン人宣教師ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』出版(参考)インディアスの破壊についての簡潔な報告(ウィキペディア)
1554年ブラジルのサンパウロに先住民教化集落建設(後のサンパウロ市)*1
1554年この頃までに武装船団貿易制確立*1
1557年ポルトガルのマカオ永久居留権が明に認められる。*2
1558年エリザベス1世がイングランド女王に即位。*2
1560年桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元を滅ぼす。*2
1565年バスク人ウルダネータがフィリピン・セブ島からメキシコへの航路を開発(マニラ貿易・アカプルコ貿易の始まり)。*2
1569年スペイン人トレドがペルー副王に就任*1
1570年ペルーのリマに異端審問所設置。*1
1570年ブラジルで先住民の奴隷化を原則として禁止*1
1570年大村純忠がポルトガルとの貿易拠点として長崎を開港。*2
1571年メキシコ市に異端審問所設置*1
1571年ボリビアのポトシ銀山で水銀アマルガム法導入*1
1571年イギリス人ドレークがパナマを襲撃*1
1573年スペイン領ヌエバ・エスパーニャのアカプルコ港がマニラ貿易専売権を得る。(備考)1519年~1821年ヌエバ・エスパーニャ(現在の北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領)(参考)ヌエバ・エスパーニャ(ウィキペディア)*2
1580年スペイン(フェリペ2世)がポルトガルを併合し、アジア航路も支配下に置く。1580年から1640年スペイン帝国(スペイン・ハプスブルク帝国)「太陽の沈まない国」*2
1582年本能寺の変(織田信長没)天正遣欧少年使節が長崎を出港。教皇グレゴリウス13世がグレゴリオ暦を発布(現在の暦)。*2
1584年スペイン王フェリペ2世が天正遣欧少年使節を歓待。*2
1585年教皇グレゴリウス13世が天正遣欧少年使節を歓待。*2
1586年~1589年ヨーロッパからもたらされた天然痘と流感がアンデス一帯を襲う*1
1587年アメリカ(北米)日系移民の始まり(参考)日系アメリカ人の歴史(ウィキペディア)
1588年イギリス(エリザベス1世)がスペイン無敵艦隊に勝利(アルマダの海戦)。*2
1589年フランス国王アンリ3世が暗殺されヴァロワ朝(1328年~1589年)断絶。アンリ4世即位ブルボン朝(1589年~1792年)始まる。*2
1590年豊臣秀吉の全国統一*2
1593年フランス国王アンリ4世がカトリックに改宗*2
1597年イタリア人ヤコポ・ペーリらによって最初のオペラ「ダフネ」が作られる。*2
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、*2)16世紀(ウィキペディア)

17世紀中南米

17世紀ラテンアメリカ史できごと;大西洋奴隷貿易本格化(2)
(年表)
1600年関ヶ原の戦い。南アメリカ・ペルーのワイナプチナ火山の大爆発*2。
1601年佐渡金山開山*2
1602年オランダが世界初株式会社東インド会社を設立(オランダ東インド会社)。世界初の常設証券取引所アムステルダム証券取引所設置。イエズス会宣教師マテオ・リッチが「坤輿万国全図」を作成*2。
1603年イギリス・エリザベス1世没。テューダー朝(1541年 – 1603年)終了*2。
1604年スペインがロンドン条約でアメリカ大陸(インディアス)の独占的領有を断念*1
1607年イングランドが北アメリカ大陸のジェームズタウンに入植*2
1608年フランスがカナダのケベック植民地(英語版)(ヴィル・ド・ケベック)を形成*2
1615年ポルトガルがアマゾン河口からフランス人を撃退*1
1616年ギアナのエキセポ地方にオランダが植民*1
1621年オランダが西インド会社設立*1*2
1622年イギリス領バージニア植民地(現在の合衆国バージニア州)でジェームズタウンの虐殺*2
1624年ブラジルのサルバドルをオランダの武装船体が占拠のちポルトガルに撃退される*1
1624年カリブ海のバルバドス島をイギリスが占拠*1
1627年西インド諸島にイギリスが植民を開始*1
1628年ブラジルでバンデイラによる先住民狩り激化*1
1630年オランダがポルトガル領ブラジル北東部のレシフェやベルナンブーコを占領( – 1654年撤退)*1*2。
1632年メキシコで鉱山を除きレパルティミエント制廃止*1
1634年長崎に出島造成*2
1635年カリブ海のマルティニーク島とグアドループ島にフランスが植民*1。フランス人デスナンビュックがセントクリストファー島からマルティニーク島に上陸しこの地をフランス領とする*2。
1639年(日本)鎖国の始まり南蛮(ポルトガル)船入港禁止~1854年3月31日日米和親条約締結まで*2。
1640年ポルトガル独立戦争*2
1642年ポルトガルが海外評議会を設置。植民地の支配強化を目指す*1
1646年ポルトガル国王ジョアン4世が植民地ブラジルをブラジル公国に昇格*2
1648年ロシア人探検家セミョン・デジニョフがユーラシア大陸最東端のチュクチ半島デジニョフ岬に到達。(大航海時代終り)*2
1650年オマーンヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。インド洋全域を商業圏とし東アフリカ海岸部を勢力下に置く(オマーン海洋帝国、1696年〜)*2。
1652年第一次英蘭戦争( – 1654年)イギリスが勝利*2。
1654年ブラジルからオランダ撤退*1
1655年イギリス海軍がスペイン領ジャマイカを占領*1*2。
1659年フランスがセネガルに植民地サン=ルイを建設*2。
1665年第二次英蘭戦争(オランダが勝利)。ポルトガルがコンゴ王国に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。アイザック・ニュートンが万有引力を発見(古典力学の創始)*2。
1666年イギリスロンドン大火・ペスト流行。フランスで地中海と大西洋をつなぐミディ運河が着工*2。
1667年メキシコ市の司教大聖堂完成*1
1670年スペイン・マドリード条約でイギリスのジャマイカ領有承認。この頃までバルバドスやジャマイカの植民地議会で包括的な奴隷法制定*1
1671年パナマ市がイギリス人海賊モーガンに占拠*1。
1671年セント・トーマス島(ヴァージン島)をデンマークが領有*1
1672年第三次英蘭戦争(フランス参戦)*2
1676年ブラジルのリオデジャネイロに司教管区設置*1
1680年スペイン植民地に関する法令がインディアス法令として法典化*1
1680年ヌエバ・エスパーニャでポペ率いるプエブロの反乱*2。
1681年グアテマラ市でサンカルロス大学開校*1
1685年フランスが黒人奴隷法制定、奴隷制の制度化*1 ※黒人法(Code Noir)(参考)コード・ノワール:Code Noir; 黒人法, 1685-1789 – 池田光穂
1692年~1693年ポルトガル領ブラジルのミナス・ジェライスで金鉱が発見。ゴールド・ラッシュが起こる*1*2。
1697年スペインがライスワイク条約でフランスのサンドマング領(後のハイチ)承認。この頃イギリス、フランス、オランダのカリブ海進出によりスペインはカリブ海地域での覇権(ヘゲモニー)を完全に失う*1
1700年~現在スペイン・ブルボン朝始まる。フェリペ5世(フランス・ブルボン家出身)即位。3度の中断のち現在のフェリペ6世に至る。
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、*2 17世紀(ウィキペディア)

18世紀中南米

18世紀ラテンアメリカ史できごと:大西洋奴隷貿易本格化(3)
(年表)
1701年スペインがフランス王立ギニア会社にアシエント権(スペイン領への奴隷供給権)を与える*1
1701年~1714年スペイン継承戦争
1706年パラグアイのラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナのイエズス会伝道所が設立*2。
1713年スペインがイギリスの会社にもアシエント権を与える*1。1710年代前半頃奴隷制が拡大*1。1710年代前半頃ジャマイカでの黒人奴隷の数がバルバドスを上回る*1
1717年スペイン本国で商務院がセビージャからカディスに移動*1
1717年スペインがヌエバ・グラナダ副王領を設置(1723年に廃止の後1739年に再設置)*1*2
1718年フランス領ルイジアナのミシシッピ川河口付近にヌーヴェル・オルレアン(ニューオーリンズ)が建設*2
1722年オランダ海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーンが南太平洋のイースター島(ラパ・ヌイ島)を発見*2。
1728年ナイジェリア東部ヨルバ人のオヨ王国(1400年頃~1905年)がベナンのダホメ王国を服属*2。
1734年ジャマイカで第1次マルーン戦争(~1739年)*1
1740年スペイン本国が船団制貿易を一時中断*1
1743年スペイン人政治家コシオ(José del Campillo y Cossío)が『アメリカに対する経済政策の新しい体系』発表。後にスペイン王カルロス3世がインテンデンシア(地方監督官)制など同勧告の一部を実施*1
1748年スペイン人ウジョーア(Antonio de Ulloa)ら『南米諸王国紀行』出版
1750年ポルトガル外相ボンバル侯爵が植民地改革*1
1750年マドリード条約により、ポルトガルとスペインとのアマゾン地域の領土が確定*2。
1751年頃フランス領サンドマング(ハイチ)でマカンダル率いる奴隷反乱(~1758年)*1
1755年ポルトガルのボンバル首相が対ブラジルの貿易独占会社設立*1
1761年ドミニカをイギリスが占領*1
1762年ハバナが7年戦争で一時イギリスに占拠*1
1762年ブラジルがポルトガル副王領に昇格*1
1763年ブラジルの首府がバイーアのサルヴァドールからミナス・ジェライスの外港リオデジャネイロに遷都*1*2。
1764年キューバにスペインのインテンデンシア制導入。その後スペイン植民地全域に広がる*1
1766年スペインのカルロス3世が貿易自由化に着手。スペイン本国カディスの対インディアス貿易独占廃止*1
1767年スペイン領アメリカからイエズス会士を追放*1
1767年(~1786年)田沼時代。イギリス人サミュエル・ウォリスがタヒチ島を発見*2。
1775年アメリカ独立戦争( – 1783年)*2
1776年アメリカ独立宣言*2
1776年スペインがリオ・デ・ラ・プラタ副王領(現在のアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア)設置*1
1777年ポルトガル首相ボンバル解任*1
1777年アメリカ大陸でのスペイン・ポルトガル領境界画定(サン・インデフォンソ条約)*1
1778年ブエノスアイレス港で貿易自由化*1
1780年植民地ペルーにおけるトゥパク・アマル2世の反乱*1*2。1781年トゥパク・アマル処刑*1
1781年ヌエバ・グラナダ(現在のパナマ・コロンビア周辺)のソコロでコムネーロスの反乱*1
1789年ブラジルでみなすの陰謀発覚*1
1789年スペイン帝国の全土で貿易自由化*1
1789年フランス革命( – 1794年)*2
1790年スペイン領アメリカ全域にインテンデンシア制普及*1
1791年フランス領サンドマング(ハイチ)で奴隷蜂起始まる*1
1793年メキシコのグアダラハラで独立の陰謀発覚*1
1794年コロンビアのボゴタでナリーニョがフランス『人権宣言』を翻訳*1
1797年ルヴェルチュールがサンドマングのフランス軍司令官に任命*1(参考)トゥーサン・ルーヴェルチュール(ウィキペディア)
(参考)*1 大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、*2 18世紀(ウィキペディア)、ほか

19世紀~近現代ラテンアメリカ史

19世紀~:近現代ラテンアメリカ史
・独立国家の時代:19世紀~現代:1804年ハイチ独立から1983年クリストファーネイビス独立まで。

19世紀ラテンアメリカ

19世紀ラテンアメリカ史できごと:19世紀初頭~現在:独立国家の時代。19世紀初頭~ラテンアメリカ諸国の独立(:1804年ハイチ独立、1810年代南米諸国独立、1820年代中米・南米諸国独立、1840年代・1900年代カリブ諸国独立、など)
(年表)
1801年サンドマング(ハイチ)議会が憲法を制定。奴隷制廃止を明文化*1
1802年トリニダードをイギリスが領有*1
1803年ルヴェルチュールがフランスで獄死*1
1804年ハイチがフランスから独立(世界初の黒人による共和国)
1807年イギリスでウィルバーフォース議員らにより奴隷貿易禁止法制定(奴隷制度廃止運動始まり~1888年奴隷制度終わり)
1807年ナポレオンがポルトガルに侵入。ポルトガル王室がブラジルに避難*1
1808年~1814年スペイン独立戦争(半島戦争)(参考)スペインの反乱/スペイン独立戦争(世界史の窓)
1810年~1820年代:ラテンアメリカ独立(南米・中米)
1810年アルゼンチン五月革命。ブエノスアイレス臨時政府樹立。自治の動き広まる*1
1810年メキシコでイダルゴ率いる対スペイン反乱起こる*1
1810年7月20日コロンビアがスペインからの独立宣言(コロンビア独立記念日)
1811年ベネズエラ独立宣言。シモン・ボリバル(ベネズエラ出身南米5ヵ国の解放者(El Libertador))の独立戦争始まる。(参考)シモン・ボリバル(ウィキペディア)
1811年パラグアイ独立宣言
1814年スペインのフェルナンド7世復位(スペイン・ブルボン朝復活)。ウィーン体制を背景に植民地の反乱鎮圧を決意*1 ※ただしナポレオンとの戦争で国土荒廃。自由主義やクーデター宣言(プロヌンシアミエント)多発。アメリカ植民地独立機運は収束せず反乱鎮圧は失敗。
1814年~1815年ウィーン会議。1814年~(1848年革命)~1856年クリミア戦争終結までウィーン体制。
1818年チリ独立*1
1819年シモン・ボリバルがヌエバ・グラナダを解放。大コロンビア共和国樹立を宣言*1
1820年フランスで奴隷貿易禁止
1821年7月28日ペルー独立前言(ペルー独立記念日)。サン・マルティン(アルゼンチン出身のアルゼンチン、チリ、ペルー独立指導者)1821年9月15日グアテマラ総督領独立(グアテマラ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス独立記念日)
1822年9月7日ブラジル独立宣言(ブラジル独立記念日)ブラジル帝国初代皇帝ペドロ1世がポルトガルからの独立を宣言。
1823年~1839/1841年中央アメリカ連邦(中米諸州連合)(旧グアテマラ総督領:グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)
1824年ペルー・アヤクーチョの戦い。シモン・ボリバルらペルー革命軍がスペイン副王軍に勝利。
1826年パナマで最初のラテンアメリカ諸国会議*1
1825年8月25日ウルグアイ独立宣言(ウルグアイ独立記念日)
1828年ウルグアイ独立戦争終結(参考)ウルグアイの歴史(ウィキペディア)
1830年大コロンビアが三つの共和国に分立*1
1831年ジャマイカで黒人奴隷大反乱
1833年イギリスで奴隷制度廃止法成立(イギリスでの奴隷制度廃止)
1833年イギリスがマルピナス諸島(フォークランド諸島)を占領*1
1834年キューバで最初の鉄道敷設*1
1835年ペルー・ボリビア連合結成*1
1836年テキサスがメキシコから分離独立*1
1838年ニカラグア、ホンジュラスが中米諸州連合から分離・独立*1
1840年ブラジルでペドロ2世即位*1
1840年代~1980年代:ラテンアメリカ独立(カリブ)
1844年2月27日ドミニカ共和国がハイチから独立(ドミニカ共和国独立記念日)
1845年ペルーでカスティージョ大統領就任。ペルーでグアノ(guano)という堆肥燃料輸出がブーム*1
1846年~1848年アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)メキシコが領土の約半分を失う。合衆国がカリフォルニア、ニューメキシコなどを獲得し領土が太平洋岸に到達(参考)アメリカ=メキシコ戦争/米墨戦争(世界史の窓)
1848年フランス(二月革命)奴隷制廃止
1850年合衆国・イギリス間でクレイトン・ブルワ条約締結。パナマ地峡の運河建設をめぐる紛争解決*1
1851年旧スペイン領コロンビアで奴隷制廃止
1853年~1854年旧スペイン領アルゼンチン、ベネズエラ、ペルー、エクアドル、ボリビアで奴隷制廃止
1853年アルゼンチン連邦共和国制に移行*1
1854年ペルーで奴隷制と先住民の貢納制廃止*1
1855年メキシコ軍人政治家サンタ・アナ追放、改革始まる*1
1855年パナマ鉄道完成*1
1856年「ラテンアメリカ」名称始まり(コロンビア首都ボゴタ生まれの文人ホセ・マリア・トーレス=カイセード発案)
1856年ニカラグアでアメリカ人ウォーカーが大統領就任*1
1857年メキシコで自由主義憲法制定*1
1858年~1860年メキシコ内戦*1
1862年アルゼンチン統一国家*1
1863年アメリカで奴隷解放宣言(米国での黒人奴隷制度廃止)
1864年~1867年メキシコ皇帝マクシミリアン即位*1
1865年~1870年パラグアイ戦争*1
1866年日本で海外渡航禁止令(鎖国令)解除
1868年日本からハワイへの移民始まり(明治元年)
1868年キューバで独立10年戦争始まる*1
1870年ベネズエラでブランコ長期政権始まる*1
1873年スペイン領プエルトリコで奴隷制度廃止
1873年グアテマラでバリオス政権「自由主義革命」*1
1876年メキシコでディアスが武力政権奪取、独裁はじまる。*1
1876年アルゼンチンで食肉輸出の冷凍船使用開始*1
1879年チリ対ペルー・ボリビア間で戦争*1
1881年パナマ運河起工*1
1883年メキシコで空き地法制定。空前の大土地所有制発展*1
1885年日本の官約移民開始ハワイ移民本格化
1886年旧スペイン領キューバで奴隷制完全廃止*1
1888年旧ポルトガル領ブラジルで奴隷制度廃止*1※最後の奴隷制度廃止(奴隷制度の終了)(参考)奴隷制度廃止(世界史の窓)
1889年ブラジル共和党革命訂正廃止*1
1889年ペルーに最初の日本人移民到着(明治22年)南米日系移民の始まり(南米移住第1期)
1891年チリ内乱(議会主義成立)*1
1891年アルゼンチンで急進市民同盟(急進党)結成*1
1892年キューバでホセ・マルティが革命党結成*1(参考)ホセ・マルティ(ウィキペディア)
1893年ニカラグア自由主義派セラヤ政権*1
1895年キューバで再び独立戦争勃発*1
1895年ベネズエラと英領ギアナで国際紛争*1
1896年メキシコ・ディアス大統領5期目就任*1
1898年アメリカ・スペイン戦争(米西戦争)(参考)米西戦争(世界史の窓)
1899年キューバが合衆国軍事占領下に置かれる*1
(参考)*1大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、*219世紀(ウィキペディア)、ほか

ラテンアメリカ諸国の独立(年表)33ヵ国

(参考4)ラテンアメリカ諸国の独立(年表)
独立年 ラテンアメリカ諸国の独立 / 旧宗主国・領有国 (地域別) 公用語
1804年 ハイチ / フランス (カリブ) フランス語、ハイチ語
1810年 コロンビア / スペイン (南米) スペイン語
1810年 チリ / スペイン (南米) スペイン語
1811年 ベネズエラ / スペイン (南米) スペイン語
1811年 パラグアイ / スペイン (南米) スペイン語、グアラニー語
1816年 アルゼンチン / スペイン (南米) スペイン語
1821年 メキシコ / スペイン (中米) スペイン語
1821年 グアテマラ / スペイン (中米) スペイン語
1821年 ホンジュラス / スペイン (中米) スペイン語
1821年 エルサルバドル / スペイン (中米) スペイン語
1821年 ニカラグア / スペイン (中米) スペイン語
1821年 コスタリカ / スペイン (中米) スペイン語
1821年 ペルー / スペイン (南米) スペイン語、ケチュア語、アイマラ語
1822年 ブラジル / ポルトガル (南米) ポルトガル語
1822年 エクアドル / スペイン (南米) スペイン語
1825年 ボリビア / スペイン (南米) スペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語など多数
1825年 ウルグアイ / スペイン (南米) スペイン語
1844年 ドミニカ共和国 / スペイン (カリブ) スペイン語
1902年 キューバ / スペイン (カリブ) スペイン語
1903年 パナマ / スペイン (中米) スペイン語
1962年 ジャマイカ / イギリス (カリブ) 英語
1962年 トリニダード・トバゴ / イギリス (カリブ) 英語
1966年 バルバドス / イギリス (カリブ) 英語
1966年 ガイアナ / イギリス (南米) 英語
1973年 バハマ / イギリス (カリブ) 英語
1974年 グレナダ / イギリス (カリブ) 英語
1975年 スリナム / オランダ (南米) オランダ語
1978年 ドミニカ国 / イギリス (カリブ) 英語
1979年 セントルシア / イギリス (カリブ) 英語
1979年 セントビンセント・グレナディーン / イギリス (カリブ) 英語
1981年 ベリーズ / イギリス (中米) 英語
1981年 アンティグア・バーブーダ / イギリス (カリブ) 英語
1983年 セントクリストファー・ネイビス / イギリス (カリブ) 英語

ラテンアメリカ諸国独立記念日一覧:
1 ハイチ独立記念日 1804年1月1日 フランス
2 エクアドル独立記念日 1809年8月10日 スペイン※独立宣言の日
3 コロンビア独立記念日 1810年7月20日 スペイン
4 メキシコ独立記念日(ディア・デ・ラ・インデペンデンシア) 1810年9月16日 スペイン
5 チリ独立記念日(フィエスタ・パトリアスの一部) 1810年9月18日 スペイン
6 パラグアイ独立記念日 1811年5月14日・15日 スペイン[96]
7 ベネズエラ独立記念日 1811年7月5日 スペイン
8 アルゼンチン独立記念日 1816年7月9日[8] スペイン
9 ペルー独立記念日 1821年7月28日 スペイン
10 グアテマラ独立記念日 1821年9月15日 スペイン
11 エルサルバドル独立記念日 1821年9月15日 スペイン
12 ホンジュラス独立記念日 1821年9月15日 スペイン
13 ニカラグア独立記念日 1821年9月15日 スペイン
14 コスタリカ独立記念日 1821年9月15日スペイン
15 パナマ独立記念日 1821年11月28日 スペイン
16 ドミニカ共和国独立記念日 1821年12月1日 スペイン
17 ブラジル独立記念日 (Dia da Independência) 1822年9月7日 ポルトガル
18 ボリビア独立記念日 1825年8月6日 スペイン
19 ウルグアイ独立記念日 1825年8月25日 ブラジル帝国
20 ドミニカ共和国独立記念日 1844年2月27日 ハイチ
21 ドミニカ共和国復興記念日 1863年8月16日 スペイン
22 キューバ独立記念日1868年10月10日 スペイン
23 パナマ分離記念日 1903年11月3日 コロンビア
24 ジャマイカ独立記念日 1962年8月6日 イギリス
25 トリニダード・トバゴ独立記念日 1962年8月31日 イギリス
26 バルバドス独立記念日 1966年11月30日 イギリス
27 ガイアナ独立記念日 1966年5月26日 イギリス
28 バハマ独立記念日 1973年7月10日 イギリス
29 グレナダ独立記念日 1974年2月7日 イギリス
30 スリナム独立記念日(スリフィデンシ) 1975年11月25日 オランダ
31 ドミニカ独立記念日 1978年11月3日 イギリス
32 セントルシア1979年2月22日 イギリス独立記念日
33 セントビンセント・グレナディーン諸島独立記念日 1979年10月27日 イギリス独立記念日
34 ベリーズ独立記念日 1981年9月21日 イギリス独立記念日
35 アンティグア・バーブーダ独立記念日 1981年11月1日 イギリス独立記念日
36 セントクリストファー・ネイビス独立記念日 1983年9月19日 イギリス独立記念日
※ラテンアメリカ諸国の独立記念日は独立宣言の日、周辺諸国との独立の経緯などにより旧宗主国以外からの独立なども含まれる。(参考)List of national independence days(en.wikipedia)

19世紀初頭~独立国家の時代

「イスパノアメリカ独立戦争」
19世紀初頭から独立国家の時代:
1814年9月1日ナポレオン戦争でナポレオン敗北
1815年6月9日ウィーン会議開催
1848年革命

1815年~1818年ウィーン体制確立

1815年~1818年ウィーン体制確立:ナポレオン戦争に勝利したオーストリア、ロシア、プロイセンの復古勢力が革命再発を防ぐために締結した同盟など。※1792年以前の状態に戻すことと勢力均衡が原則とされたウィーン会議以降の国際秩序
1815年神聖同盟:オーストリア、ロシア、プロイセンの3カ国によるキリスト教的友愛による平和を提唱する同盟。
1818年五国同盟:イギリスと敗戦国フランスを加えた同盟。

1820年スペイン立憲革命(五国同盟により鎮圧)

スペインではナポレオン軍の敗北によりジョゼフ・ボナパルトは追放。スペイン・ブルボン復古王政のフェルナンド7世が復位。これに対して自由主義者リエゴが1820年にスペイン立憲革命を起こしたが、革命の波及を恐れた五国同盟によって鎮圧。

イタリア・カルボナリ党革命(五国同盟により鎮圧)
イタリアでもカルボナリ党がスペインを模倣してナポリ・ピエモンテで蜂起したが、五国同盟によって鎮圧。

1810年代~1820年代ラテンアメリカ諸国の独立

1810年代から1820年代を通じてラテンアメリカ諸国が相次いでスペイン帝国からの独立を果たし、スペインは中南米植民地を失っていった。

1804年ハイチ独立

1804年 ハイチ / フランス (カリブ) フランス語、ハイチ語
ハイチ独立記念日 1804年1月1日 フランス

1809年エクアドル独立

2 エクアドル独立記念日 1809年8月10日 スペイン※独立宣言の日

1810年コロンビア独立

1810年 コロンビア / スペイン (南米) スペイン語
1810年コロンビア独立~1819年大コロンビア建国:1810年7月20日クンディナマルカ共和国独立。コロンビア首都ボゴタ中心部(現在ボリーバル広場)スペインから独立宣言。コロンビア独立記念日。
1819年コロンビア共和国(大コロンビア)建国

1810年メキシコ独立

4 メキシコ独立記念日(ディア・デ・ラ・インデペンデンシア) 1810年9月16日 スペイン
1810年9月~1821年メキシコ独立革命
1810年9月メキシコ独立革命の開始
1821年メキシコ独立達成

1810年チリ独立

1810年 チリ / スペイン (南米) スペイン語

1811年ベネズエラ独立

1811年 ベネズエラ / スペイン (南米) スペイン語

1811年ベネズエラ・アメリカ合衆国独立~1821年ベネズエラ独立

1811年ベネズエラ・アメリカ合衆国がスペインから独立
1821年6月ベネズエラ独立

1811年パラグアイ独立

1811年 パラグアイ / スペイン (南米) スペイン語、グアラニー語

1811年パラグアイ独立

1811年パラグアイ共和国がスペインから独立

1816年アルゼンチン独立

1816年 アルゼンチン / スペイン (南米) スペイン語
1816年アルゼンチン独立の流れ:
1810年5月ブエノスアイレス五月革命で自治宣言
1816年7月ラプラタ連合(現在のアルゼンチン)独立
1825年アルゼンチン改名

1821年ペルー独立

1821年 ペルー / スペイン (南米) スペイン語、ケチュア語、アイマラ語

1821年グアテマラ独立

1821年 グアテマラ / スペイン (中米) スペイン語

1821年ホンジュラス独立

1821年 ホンジュラス / スペイン (中米) スペイン語

1821年エルサルバドル独立

1821年 エルサルバドル / スペイン (中米) スペイン語

1821年ニカラグア独立

1821年 ニカラグア / スペイン (中米) スペイン語

1821年コスタリカ独立

1821年 コスタリカ / スペイン (中米) スペイン語

また、1821年にはオスマン帝国からの独立を目指してギリシャ独立戦争が始まっている。露土戦争で連合軍に敗北したオスマン帝国は1832年ギリシャ独立を認め、列強はバイエルン王子オットーをギリシャ王オソン1世とするギリシャ王国を樹立した。

1822年ブラジル独立

1822年 ブラジル / ポルトガル (南米) ポルトガル語


1822年9月にはポルトガルからブラジルが独立した。

1822年エクアドル独立

1822年 エクアドル / スペイン (南米) スペイン語

1823年12月アメリカ合衆国モンロー大統領は、独立したラテンアメリカ諸国に対して神聖同盟諸国が干渉すること、および西半球におけるヨーロッパの植民地拡大へ反対すると表明した[13]。

1825年ボリビア独立

1825年 ボリビア / スペイン (南米) スペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語など多数

1825年ウルグアイ独立

1825年 ウルグアイ / スペイン (南米) スペイン語

1830年のフランス7月革命に対抗してロシア、オーストリア、プロイセンが1832年10月に旧秩序維持を再確認したが、革命干渉を忌避したイギリスとフランスは真摯協商を結んだことでウィーン体制は分裂し、さらに各国での1848年革命によってウィーン体制は崩壊した[12]。

1844年ドミニカ共和国独立

1844年 ドミニカ共和国 / スペイン (カリブ) スペイン語

20世紀ラテンアメリカ

20世紀ラテンアメリカ史できごと:1900年代前半キューバ、パナマ独立。合衆国の軍事干渉・戦争、ラテンアメリカ諸国で独裁・反乱など政情不安定、1950年代キューバ革命、1960年代イギリス領カリブ諸国独立
1980年代「失われた10年」と呼ばれる経済危機と、それに伴う政治的混乱。
20世紀後半以降:軍事独裁政権から民主化への移行、新自由主義政策の導入、経済のグローバル化の影響など。
(年表)
1902年キューバ独立1902年5月20日キューバ独立承認(キューバ独立記念日)キューバが旧スペイン植民地から合衆国保護国として独立。
1903年パナマ独立
1906年合衆国がキューバに干渉*1
1908年ブラジル日系移民始まり(笠戸丸)南米移住第2期。
1908年4月28日神戸港より笠戸丸出航(水野龍の皇国殖民会社、移民約781人)。
1908年6月18日ブラジル・サントス港に笠戸丸到着(海外移住の日)(参考)笠戸丸水野龍(ウィキペディア)
1909年12月合衆国がニカラグアに軍事干渉`*1
1910年11月メキシコ革命勃発*1
1911年5月メキシコのディアス大統領失脚*1
1912年2月アルゼンチンで民主的な選挙法改正*1
1913年2月メキシコでまでーろ大統領暗殺*1
1914年7月28日~1918年11月11日第一次世界大戦(戦車の実践投入)
1914年8月パナマ運河開通*1
1914年ベネズエラでマラカイボ油田発見*1
1915年~1934年合衆国がハイチを軍事占領*1
1915年11月ウルグアイで8時間労働法成立*1
1916年10月アルゼンチンで急進党政権成立*1
1916年~1924年合衆国がドミニカ共和国を軍事占領*1
1917年2月メキシコで革命憲法公布*1
1917年ドミニカ共和国・ハイチで武装農民の反米闘争*1
1918年11月11日第一次世界大戦終了
1920年12月チリで急進党政権成立*1
1924年12月ペルー人トーレが亡命先のメキシコでアブラ(アメリカ革命人民同盟)結成*1
1926年7月~1929年メキシコでクリステーロの反乱*1
1926年12月合衆国海兵隊がニカラグア侵攻、サンディーノのゲリラが抗戦*1
1928年9月ペルーでマリアテギがペルー社会党結成*1
1930年11月ブラジルでバルガスが革命で政権掌握*1 1930年~1945年、1951年~1954年バルガス政権(参考)ヴァルガス(ウィキペディア)
1930年ドミニカ共和国でトルヒーヨが大統領就任、独裁始まる*1
1931年11月エルサルバドルでクーデタ*1
1932年1月エルサルバドルで農民蜂起*1
1932年6月~1935年ボリビア・パラグアイ間でチャコ戦争*1
1933年9月キューバでバティスタ軍曹らのクーデター。民族主義政権成立*1(参考)バティスタ(ウィキペディア)
1933年12月合衆国がラテンアメリカへの善隣外交声明*1
1934年2月ニカラグアのサンディーノ暗殺される*1
1934年12月メキシコでカルデナス政権樹立*1
1937年1月ニカラグアでノモサス大統領就任、独裁始まる*1
1937年11月ブラジルでバルガスが独裁政治強化(新国家体制)*2
1938年3月メキシコのカルデナスが米英系石油会社を国有化*1
1938年12月チリで人民戦線政権樹立*1
1939年9月1日~1945年8月15日(または9月2日)第2次世界大戦
1940年ペルーで排日運動*1
1941年~1942年中南米諸国(アルゼンチン以外)が反枢軸で第2次世界大戦参戦*1
1944年10月グアテマラで独裁者ウビコ大統領追放*1
1945年3月アルゼンチンも日独に宣戦布告*1
1945年8月15日(または9月2日)第2次世界大戦終了
1946年ベネズエラでクーデタ、改革派政権成立*1
1946年2月アルゼンチンでベロン大統領就任*1
1947年米州相互援助条約調印*1
1948年3月米州機構(OAS)憲章採択*1
1949年コスタリカで新憲法、軍備を禁止*1
1951年グアテマラでアルベンス民主政権成立*1
1952年3月キューバでクーデタ、バティスタが政権掌握*1
1952年4月ボリビア革命*1
1953年7月キューバでカストロの反乱始まる*1
1954年6月グアテマラに反革命軍侵攻、アルベンス政権崩壊*1
1957年ハイチでデュバリエ父子の独裁始まる*1
1958年~1962年英国カリブ海諸島西インド連邦結成
1959年1月キューバ革命(バティスタ失脚)*1
1961年5月ドミニカ共和国のトルヒーヨ大統領暗殺*1
1962年8月6日ジャマイカ独立(記念日)
1962年8月31日トリニダード・トバゴ独立(記念日)
1962年10月キューバ危機*1
1964年4月ブラジルで軍事政権成立*1
1965年5月ドミニカ共和国の革命に合衆国が軍事干渉*1
1966年5月26日ガイアナ独立(記念日)
1966年11月30日バルバドス独立(記念日)
1967年ハバナでラテンアメリカ連邦機構第1回会議*1
1967年10月ボリビアでチェ・ゲバラ死去
1968年10月ペルーでクーデタ、ベラスコ軍事政権成立*1
1968年10月パナマでクーデタ、トリホス軍事政権成立*1
1968年コロンビアのメデジン司教会議でカトリック教会が社会正義の立場採択(解放の神学)*1
1969年5月カルタヘナ協定でアンデス地域統合発足*1
1970年11月チリで人民連合のアジェンデ政権成立*1
1973年7月アルゼンチンでベロン大統領復活*1
1973年7月10日バハマ独立(記念日)
1973年9月チリでクーデタ、アジェンデ政権崩壊*1
1974年2月7日グレナダ独立(記念日)
1974年6月チリでピノチェト大統領就任*1
1975年11月25日スリナム独立(記念日)
1976年3月アルゼンチンでクーデタ、軍事政権成立*1
1977年9月合衆国・パナマ間で新運河条約調印*1
1978年11月3日ドミニカ独立(記念日)
1979年2月22日セントルシア独立(記念日)
1979年3月グレナダ革命、左翼政権成立*1
1979年7月ニカラグア革命、サンディニスタ左翼政権成立、ソモサは合衆国亡命*1
1979年7月~1990年ニカラグア内戦(コントラ戦争)※コントラは中米ニカラグアの親米反政府民兵の通称(参考)コントラ戦争(ウィキペディア)
1979年10月エルサルバドルでクーデタ、軍事独裁崩壊*1
1979年10月27日セントビンセント・グレナディーン諸島独立(記念日)
1980年7月ペルーが民政へ移行*1
1980年10月エルサルバドルでゲリラ組織FMLN結成、内戦本格化*1
1981年5月ジャマイカのボブ・マーリー死去*1
1981年9月21日ベリーズ独立(記念日)
1981年11月1日アンティグア・バーブーダ独立(記念日)
1982年フォークランド紛争(マルビナス紛争)
1982年ラテンアメリカ諸国の債務危機表面化*1
1983年1月中米紛争の平和的解決めざすコンタドーラ結成*1
1983年9月19日セントクリストファー・ネイビス独立(記念日)
1983年10月グレナダに合衆国が侵攻(グレナダ侵攻)、左翼政権崩壊*1
1983年12月アルゼンチンが民政移行*1
1984年ローマ教皇庁が解放の神学批判文書発表*1
1984年11月ニカラグア総選挙オルテガ大統領当選*1
1985年3月ブラジル民政移行、ウルグアイ民政移行*1
1985年5月合衆国がニカラグアの経済封鎖発表*1
1986年2月ハイチのデュバリエ独裁崩壊*1
1986年7月ローマ教皇がコロンビア訪問、解放の神学批判のメッセージ発表*1
1986年7月国連安保理でコントラ援助中止決議に合衆国が拒否権*1
1987年8月中米和英案に中米5ヵ国首脳が合意*1
1988年8月ハイチでクーデタ、ナンフィ大統領亡命*1
1988年10月チリで国民投票、ピノチェト不信任が過半数*1
1989年2月ベネズエラのカラカスで大暴動*1
1989年7月アルゼンチンでベロン派のメネム大統領就任*1
1989年8月中米5ヵ国サミットがニカラグア反革命ゲリラ・コントラ解体で合意*1
1989年8月コロンビアで麻薬組織メデジン・カルテルが大統領候補暗殺、政府との全面衝突始まる*1
1989年10月パナマでクーデタ失敗*1
1989年12月合衆国軍がパナマ侵攻、ノリエガ将軍逮捕を図るが失敗*1
1990年1月パナマのノリエガ将軍が合衆国に投降*1
1990年2月ニカラグア自由選挙でサンディニスタ政権敗北、チャモロ大統領就任*1
1990年3月チリが民政移行。ハイチでアブリル軍政崩壊・民政移行。*1
1990年6月合衆国ブッシュ大統領が米州自由貿易圏構想を提唱*1
1990年7月ペルーで日系人フジモリ大統領就任*1
1991年8月メキシコでイベロアメリカ諸国首脳会議*1
1991年10月ハイチでクーデタ、軍事政権復活*1
1991年10月キューバ共産党大会で社会主義堅持を表明*1
1992年2月ベネズエラでクーデタ未遂*1
1992年2月エルサルバドルで内戦終結*1
1992年4月ペルーでフジモリ大統領が議会を解散し憲法停止*1
1992年4月合衆国が対キューバ経済封鎖強化を発表*1
1992年6月ブラジルで環境と開発のための地球サミット開催。リオ宣言(参考)環境と開発に関する国際連合会議(ウィキペディア)
(参考)*1 大井邦明・加茂雄三(1992)ラテンアメリカ、*2 20世紀(ウィキペディア)、ほか

1902年キューバ独立

1902年 キューバ / スペイン (カリブ) スペイン語

1903年パナマ独立

1903年 パナマ / スペイン (中米) スペイン語

20世紀前半のラテンアメリカ(1929年世界恐慌など)

1929年世界恐慌:1929年の世界恐慌によって寡頭支配勢力の弱体化が起こり、ラテンアメリカ諸国は新しい政治・経済秩序を模索し始めた。民主化の波に飲み込まれ、それまで無視されてきた大衆と呼ばれる人々が政治に大きな影響を与え始めるようになっていった。

20世紀後半のラテンアメリカ

1959年キューバ革命

1962年ジャマイカ独立

1962年 ジャマイカ / イギリス (カリブ) 英語1962年8月6日ジャマイカ独立(ジャマイカ独立記念日)

1962年トリニダード・トバゴ独立

1962年 トリニダード・トバゴ / イギリス (カリブ) 英語25 トリニダード・トバゴ独立記念日 1962年8月31日 イギリス

1966年バルバドス独立

1966年 バルバドス / イギリス (カリブ) 英語26 バルバドス独立記念日 1966年11月30日 イギリス

1966年ガイアナ独立

1966年 ガイアナ / イギリス (南米) 英語27 ガイアナ独立記念日 1966年5月26日 イギリス

1973年バハマ独立

1973年 バハマ / イギリス (カリブ) 英語28 バハマ独立記念日 1973年7月10日 イギリス

1974年グレナダ独立

1974年 グレナダ / イギリス (カリブ) 英語29 グレナダ独立記念日 1974年2月7日 イギリス

1975年スリナム独立

1975年 スリナム / オランダ (南米) オランダ語30 スリナム独立記念日(スリフィデンシ) 1975年11月25日 オランダ

1978年ドミニカ国独立

1978年 ドミニカ国 / イギリス (カリブ) 英語31 ドミニカ独立記念日 1978年11月3日 イギリス

1979年セントルシア独立

1979年 セントルシア / イギリス (カリブ) 英語32 セントルシア1979年2月22日 イギリス

1979年セントビンセント・グレナディーン独立

1979年 セントビンセント・グレナディーン / イギリス (カリブ) 英語独立記念日33 セントビンセント・グレナディーン諸島独立記念日 1979年10月27日 イギリス独立記念日

1981年ベリーズ独立

1981年 ベリーズ / イギリス (中米) 英語35 ベリーズ独立記念日 1981年9月21日 イギリス独立記念日

1981年アンティグア・バーブーダ独立

1981年 アンティグア・バーブーダ / イギリス (カリブ) 英語34 アンティグア・バーブーダ独立記念日 1981年11月1日 イギリス独立記念日

1983年セントクリストファー・ネイビス独立

1983年 セントクリストファー・ネイビス / イギリス (カリブ) 英語36 セントクリストファー・ネイビス独立記念日 1983年9月19日 イギリス独立記念日

21世紀ラテンアメリカ

21世紀ラテンアメリカ史できごと:
2011年ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体
※2011年11月24日「教育のための行進」中南米各国の学生によるデモ集会。呼びかけはチリ大学生連合とコロンビアの全国学生拡大会議。ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、エルサルバドル、パラグアイなどでも開催。
2011年12月2日「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」結成。植民地を除く全33ヶ国が参加。前身はラ米・カリブ首脳会議。

備考

ラテンアメリカの歴史を時系列にまとめ中(中南米カリブ年表作成用メモ)

ラテンアメリカの歴史(概要)
ラテンアメリカの歴史は、数万年から数千年にもわたる先住民時代の文化や文明、15世紀末から約3世紀のヨーロッパによる植民地化とアフリカからの奴隷貿易、19世紀からの独立運動、そして20世紀以降の経済開発など、約55の国々が多様な歴史的背景を持っている。

ラテンアメリカの歴史の主な流れ:
先住民の時代:
数万年前から中央・南アメリカ大陸に居住していた先住民が石器時代、狩猟採集、農耕などを始めた。
数千年前からカリブ海地域を含む中南米カリブ各地に先住民が居住。
14世紀頃までには中米のメソアメリカ文明(マヤやアステカ)、南米のアンデス文明(インカ、ムイスカ)
などの高度な文明が発展した。また、近年ではアマゾン文明の見直しも始まっている。
植民地時代:
15世紀末からスペインとポルトガルによる植民地化が始まり約300年間続いた。中南米カリブの先住民が征服され、西アフリカから黒人奴隷貿易が行われるなど、現在のラテンアメリカ社会に続く人口構成が大きく変化した。

独立運動:
1776年アメリカ独立革命
1789年~1799年フランス市民革命
1808年ナポレオンのスペイン征服
ラテンアメリカに独立の気運

18世紀末から19世紀にかけて、欧米の革命や戦争の影響などを背景に、ラテンアメリカ諸国で独立運動が活発化。
1804年ハイチ独立に始まり、1811年パラグアイ独立、1811年ベネズエラ独立(シモン・ボリバル)、1818年チリ独立(ホセ・サン・マルティン)など中南米の多くの国が独立を達成した。

ラテンアメリカの呼称:
1856年「ラテンアメリカ」名称始まり(現在のコロンビア首都ボゴタ生まれの文人ホセ・マリア・トーレス=カイセード)
その後フランスがそれまで以前スペイン語圏で使用されていたイスパノアメリカやイベロアメリカという用語の代わりに、フランス語やスペイン語などを包括するラテン系言語などとの親和性からラテンアメリカという用語を推奨。英語圏でもラテンアメリカという言葉が広まり、現在に至る。

独立後の歴史:
独立後も多くの課題に直面。貧困や格差、環境問題など、依然として多くの開発課題も残されている。
政治的には独裁政治や軍事クーデターなど政治的不安定の課題を抱えつつ、民主化や政治安定化を図っている。
経済的には、国際経済市場に左右される資源依存型経済が続いたが、近年では大きな中南米市場の形成により域内経済も活性化している。
こうした様々な歴史的課題を抱えながらも、ラテンアメリカは独自の文化を育み、ラテン音楽など多様な魅力のある地域となっている。ラテンアメリカの先住民、欧米、アフリカの文化が融合した歴史的背景から、ラテンアメリカの文化(音楽、ダンス、文学、美術など)は多様な発展をしている。

近年のラテンアメリカ史の見直し
こうした従来のラテンアメリカの歴史は最近の研究により見直しが進んでいる。
とくに「先コロンブス期」といっても、世界史でも先史時代・古代・中世と約数千年にわたる長い期間であり、その間には世界遺産にも登録される数々の文化遺跡が発見されている。

また、先史時代といっても旧石器時代から古代文明まで約数万年にわたる歴史のなかで、従来の考古学的発見に加え、ヒトゲノム研究やミトコンドリアDNAなどのラテンアメリカの人類学、リモートセンシングやLIDARによるアマゾン文明(仮称)研究など、従来のラテンアメリカ史観の見直しをせまるような発見がとくに21世紀以降の研究でも進行中である。

(あとがき)(※この記事は近年、古代の中央・南アメリカやカリブ海などで恐竜や人類史、古代文明などの様々な発見などで従来のラテンアメリカ史の見直しがおこなわれているなかで、個人的に「いつ?」という素朴なギモンを軸に年表ふうにまとめている私的メモである。

一般的にラテンアメリカの歴史は「先コロンブス期」「植民地時代」「独立の時代」などに区分される。
ただ、まず素朴なギモンが「「先コロンブス期」とされる15世紀以前の中南米史の長さである。

世界史でいえば先史時代から古代・中世頃までが一括りにされてしまう。日本史でいえば縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・平安時代・鎌倉時代・戦国時代までがざっくり先住民の時代とくくられる。正直、古代ラテンアメリカ史などでマヤ文明やインカ帝国・アステカ王国といわれてもそれが「いつ?」の話なのかピンとこない。

他にも、昨今の中南米に関する話題などで個人的に気になるのが「いつ頃?」すなわちラテンアメリカ史全体でどの時期にあたるのか、どういった時系列なのか、という点が線につながりにくい「もやもや感」である。

「南アメリカ大陸はいつできたのか?(よくみるとゴンドワナが何回もでてきて混乱する件)」「南米の恐竜はいつ頃?(NHKでもやってたマイプとかえらい最近の発見な件)」「南米の人類はいつ頃?(約1万年前とされてきたが6万年前とされるブラジルのカピバラ世界遺産の年代と整合性とれないじゃん、そこは?人類史超難問)」「マヤっていつ始まった?(古代マヤ先住民とマヤ文明の違い?)」「アステカとかインカって古代っていってるけど世界史の時代区分では中世だろ(戦国時代とかその辺だし)」「先コロンブス時代長すぎ(世界史の先史時代・古代・中世相当分の中南米史をまとめて一段落とは?数千年なのに記述短すぎ)」「ラテンアメリカという呼び方はいつ頃から?(実は19世紀頃のフランス語圏用語でスペイン語圏ではイベロアメリカ。まあ植民地戦争の名残なので第三者的にな日本人としては地理的な中南米カリブが無難かな、とか)」「ラテンアメリカの独立(1804年ハイチ独立から1983年セントクリストファーネイビスまでラ米独立国33ヵ国もあって確かに覚えにくい件)」など。

なんとなくもやもやするラテンアメリカの歴史についてなるべく一気通貫で記述してみたい、というのが個人的なねらいであった。

ラテンアメリカの歴史も、先コロンブス期だけでも様々な文化や文明がある。メソアメリカ文明でもオルメカやサポテカなど。南アメリカでもアンデス文明のチャビンやモチェなどあまり耳なじみのない文化や、ムイスカなどの古代コロンビア先住民、アマゾンやカリブ先住民などまで含めるとかなりの多様性がある。ただ、その中南米史の多様さこそは豊かな歴史があったことの証左であり、たんに「先コロンブス期」と一括りにはできないラテンアメリカ史観の見直しを切望する古代中南米先住民の願いではないかと思う。そうした素朴なギモンから、ここでは試みとして「先コロンブス期」を世界史の時代区分の例にならって、先史時代・古代・中世に区分してみた。ただし、これらはあくまで個人のブログであり、諸説ありが大前提の個人的感想である。)

(参考文献)
*1大井邦明・加茂雄三.ラテンアメリカ.朝日新聞社,1992,[地域からの世界史16](amazon.co.jp)
**石塚道子編.カリブ海世界.世界思想社,1991
***高野均・網野徹哉.ラテンアメリカ文明の興亡.中央公論社,1997
****増田義郎.物語ラテン・アメリカの歴史: 未来の大陸.中公新書.1998、
ほか各種世界史資料集年表など。

(参考リンク)
History of Central America(en.wikipedia), 中央アメリカ史(ウィキペディア)
History of the Caribbean(en.wikipedia), カリブ史(ウィキペディア)
History of South America(en.wikipedia), 南アメリカ史(ウィキペディア)
Pre-Columbian Mexico(en.wikipedia)

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